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手学庵お節介帖 「敵討ちの謀」 10

 その日、大魔王都には早朝から霧がかかっていた。

 水路、運河が張り巡らされている大魔王都では、昼夜の寒暖差が激しい季節になると、霧が出ることが珍しくなかった。

 朝早くから動き出すもの、あるいは、夜通し働いて朝にようやく仕事が終わるもの。

 そういったモノ達がちらほらと動くばかりで、多くのものが未だ眠りの中にある時刻。

 二人の武家が、運河にかかる橋の上で対峙していた。

 両端から橋に足を踏み入れたのが、ちょうど真ん中で鉢合わせになった形である。

 なかなか大きな橋で、広さもある。

 昼間は賑わうのだが、この時間はまだ静かなもの。

 通るものも少なく、橋の上にいるのは二人だけであった。

 ただ、通りにはいくらか人が出てきていて、何やら橋の上でにらみ合うような形になっている武家二人に気圧されてか、不安げに様子を見守るものも居た。


 二人いる武家のうち、片方は身なりのしっかりした、いかにも若武家といった出で立ちであった。

 腰には、派手さはないものの、質実剛健といった気風のある鞘に収められた、大小二振りの剣を差している。

 対するもう一方の武家は、いかにも浪人然とした、うらぶれた服装であった。

 所々解れた編み笠が、得も言われぬ気迫の様なものを放っている。


 見守る者達の目には、どちらも一角の武家のように思われた。

 何しろ、二人が対峙しているだけで、恐ろしく近寄りがたい空気が流れてくる。

 急ぎ足のものが何人か橋に入ろうとするものの、二人を認めるやたたらを踏んで引き返すほどだ。

 徐々に見物人が増えてくる中、声を発したのは若者の方であった。


「元、風鎌魔王家家臣。オルオンゲン殿とお見受けする」


「いかにも」


「某は、貴殿に斬られたサクグルブルの弟、ロードーブル。これは、風鎌魔王様より頂いた、仇討ち免状に御座る」


 ロードーブルと名乗った若者が、懐から白い何かを取り出した。

 霧のため良くは見えないが、それがなにがしかの紙のようなものであることは分かる。


「おい、仇討ち免状だってよ。ってぇこたぁ、なにか? まさか、こんな天下の往来で剣でも抜こうってのか!」


「てぇへんだ! おおい! 誰か! 自身番に知らせてくれ! 俺ぁ、お奉行所に行ってくらぁ!」


「おいおいおい! だめだめ! 止めに入ろうなんざしねぇ方が良いや! 巻き込まれてうっかり切られでもしたら、ことだからよぉ!」


 にわかに、見物人たちが騒めいた。

 若者はその白いものを懐に戻すと、剣に手をかける。


「兄の無念、晴らさせて頂く」


「笑止」


 浪人、オルオンゲンと呼ばれていた男が、剣を抜いた。

 武家の町である大魔王都に住んでいるものならば、真剣を見る機会は少なく無い。

 だからこそ、誰もが剣を持ったオルオンゲンに息を呑んだ。

 構えたその姿は妖しさすら感じられるものであり、ほとばしるような殺気をあたりに振りまいていた。

 一目で、恐ろしい剣の使い手と感じられるような威圧感に、見物人達は静まり返る。

 対するロードーブルも、負けてはいない。

 大小二振りの剣を左右の手に持ち、構える。

 その姿は堂に入っており、オルオンゲンに勝らずとも劣らないものである。




 先に動いたのは、ロードーブルであった。

 踏み込みながらの突き。

 空いた手での薙ぎ。

 二方向からの攻撃を、オルオンゲンは危なげなくさばく。

 どころか、ロードーブルの懐に飛び込むや、剣を一閃。

 あわやロードーブルは真っ二つ、と思われた。

 見物人達のなかにも、思わず悲鳴を上げたものがいたほどである。

 だが。

 間一髪、寸でのところで飛びのいたのか、斬られたのはロードーブルの衣服、胸元だけであった。


 このわずかのやり取りで、双方がかなりの腕前であることが分かった。

 もはや見物人達は固唾を飲み、見守ることしかできない。


 剣が交差し、そのたびに見物人達は息を呑む。

 震えが来るような立ち合いが続く中、ついに決着がついた。

 ロードーブルの剣が、オルオンゲンの体を貫いたのだ。


「あっ!!」


「やったっ!」


 赤い血が迸り、オルオンゲンの体が傾く。

 だが、体勢が崩れ切る前に、オルオンゲンが剣を振るった。

 仇の体を刺し貫いたことで、気が緩んだのか。

 ロードーブルはその一撃を避け損ねた。

 見物人の中から悲鳴が上がる。

 その間に、オルオンゲンはふらふらと歩き、橋の欄干にもたれかかった。

 だが、体勢を保てなかったのだろう。

 血を流しながら、頭から川へと落下していく。

 ロードーブルは剣を取り落とし、傷口を押さえた。

 その時、人垣をかき分け、橋の上をかけるものが現れる。


「あっ! 北町の、お奉行様だ!」


「飛弾魔王ラブルフルード様だぞ!」


 確かに、町奉行が出役の時に着る陣羽織である。

 町奉行の顔を知らぬものでも、この衣服を見れば、一目でそれが誰なのか分かった。

 ラブルフルードは、倒れたロードーブルを助け起こすや「しっかりいたせ!」と声をかける。

 だが、ロードーブルは何か小さな声を発するだけで、しっかりとした言葉は聞こえてこない。

 ラブルフルードは血に汚れるのもかまわず、ロードーブルを抱えたまま顔を上げた。


「風鎌魔王家家臣、ロードーブル殿が、見事本懐を遂げられた! だが、御自身も重傷を負っておられる! これより医者に運ぶ故、皆、道を開けよ!!」


「て、てぇへんだっ! ほら、皆! 散れ、散れ!!」


「ラブルフルード様の仰せだぞ! 退いた退いた!」


 ラブルフルードの声に、人垣が割れ始めた。

 あれこれと指示を出しているのは、岡っ引きだろうか。

 手際よく人をさばき、道を作っている。

 ラブルフルードはロードーブルを抱き上げると、猛然と走り出す。

 その姿は力強く、まさに戦国の頃の魔王を思わせる風格であった。




「おおい! こっち、こっち! 早く引き上げて!」


 仇討ち騒ぎがあった橋の上流。

 人気の少ないその場所に、子供達が集まっていた。

 川の中から顔を出したのは、水の中で動くのを得意とする種族の男。

 そして、斬られて水に落ちたはずのオルオンゲンであった。


「おじさん、剣でさされてたでしょ! だいじょうぶなの!?」


「ばぁか。ご隠居先生がいってただろ。ありゃ、人は切れない剣なんだよ」


「あっ! そっか。そういう魔剣なんだっけ。体をすり抜けるから、怪我なんかもしないっていう」


「そうそう。どっちが持ってたのも、体をすり抜ける魔剣なんだよ」


「で、オルオンゲンさんが被ってる編み笠が、被ると殺陣がうまくなる魔法道具」


「エンバフ先生が持ってきたやつね。オルオンゲンさん、剣術へたっぴだったからなぁ」


「おい! なに話してんだ! オルオンゲンさん、凍えてるだろ!」


「そうだった! 布団もってこい、布団!」


「あっちの小屋に、火が焚いてあるから!」


 子供達は慌てて、オルオンゲンの方へと走っていった。




 さて、当然のことながら、橋での仇討ちの一件は、エンバフが筋書きを書いた、いわば芝居だったのである。

 双方に体をすり抜ける、斬れない魔剣を持たせ。

 全くの剣術下手なオルオンゲンには、芝居用の魔法の道具まで用意した。

 そのうえで、橋という人が近づきにくい舞台を選定し。

 こっそりと見物人に紛れ込んだ“賽の目の”ナツジロウ一家の者達と、手学庵に通う子供達が、見物人の行動を誘導。

 双方相打ちという場面で、北町奉行、飛弾魔王ラブルフルードが飛び出して、全てを治めた訳である。


 この「橋の上の仇討ち」騒ぎは、瞬く間に大魔王都中の話題をさらった。

 手学庵に通う子供の親には、瓦版屋もいた。

 また、ナツジロウ一家も、顔見知りの瓦版屋に、この話を売り込んだのである。

 もちろん、それぞれにあちこちで。


「いや、実はあの時、橋の近くにいてさ。一部始終見ちまったんだよ!」


 などと話して回ることも、忘れない。

 何しろしっかりと筋書きを知っている話だから、語る上での臨場感も違う。

 話題が大魔王都に広まった、「橋の上の仇討ち」から数日後。

 オルオンゲンの遺体が、川の河口。

 海も間近のところで見つかったと、噂が流れた。

 奉行所の同心もこれを認め、これは間違いないと大騒ぎである。

 ついで、その一報を聞いたロードーブルも、息を引き取ったと瓦版がうたれた。

 見事仇を討ち果たし、自身も散った若い武家。

 こういった話は、大魔王都っ子の好むところであった。

「橋の上の仇討ち」騒ぎはあっという間に尾ひれ背びれが付いていき、今時珍しい美談として、大魔王都中を席巻したのである。




「ロー、それは、もっと細切りに。そっちが終わったら、熱燗をな」


「はい、師匠。鳥の方は、どうしますか」


「おお、そうだったそうだった。忘れるところだ」


 名を、オルと改めた、オルオンゲン。

 そして、ロードーブルから、ローと名を改めた師弟が、忙しそうに料理を作っていた。

 無論、どちらも死人などではなく、しっかりと両足がそろっている。

 二人が今いるのは、大魔王都を守る結界の根本。

 術魔王城も近い「大魔王都の外れの外れ」といった場所に立つ、料理屋であった。

 さほど広い店ではなく、客席から板場が見える作りになっている。

 大魔王都では珍しい作りだが、全くない訳ではない。

 いわゆる居酒屋や寿司屋などに多い構造であり。

 オルとローのような素晴らしい腕前の料理人がそこで技を振るう姿は、見ているだけで全く飽きないものであった。

 そんな姿を見ながら酒を飲んでいるのは、エンバフとラブルフルード、そして、ナツジロウである。


「しかし、飛弾魔王様ってなぁ、相当に気風の良い方でしたねぇ」


「ん? ああ、そうだな」


 感心するように言うナツジロウに、ラブルフルードは曖昧な表情でうなずいた。

 あちこちを歩き回るのに都合がいいよう、ラブルフルードは「隠密廻り方同心だ」と偽っている。

 今回のことで面が割れるか、と思いきや。

 どうやら被っていた陣笠が、うまく顔を隠してくれたらしい。

 また、普段と髪型などを変えていたのもよかったのだろう。

 ナツジロウ一家の誰も、ラブルフルードと「隠密廻りの旦那」を同一人物だとは、思いもしていなかった。

 もっとも、エンバフに言わせても、「町奉行」としてのラブルフルードと、「隠密廻り」のラブルフルードは、なかなか同じ人物だとは思えない仕上がりである。

 存外、この二枚目な町奉行には、役者の才能もあるのかもしれない。


「しかし、驚いたね。橋の上の仇討ちは、もう芝居になってるそうじゃないか」


「へぇ。立派な劇場じゃなく、掘っ立て芝居小屋でやってるんですがね。これがまた、偉く評判のようで」


「幕府にとっても、風鎌魔王家にとっても美談ということで、取り締まりもゆるくなっているようです。お奉行からも、取り締まりはほどほどでよい、とのことでした」


 自身でいうラブルフルードの言葉に、エンバフは思わず吹き出しそうになるが、堪える。

 話しているうちに、料理が出てきた。

 三人の前にある火鉢に載せられたのは、鍋である。

 中は、透き通った汁で満たされていて、他には何も入っていない。

 料理の皿を持ったローが支度を整えている間に、オルが説明を始める。

 実に息があった様子で、合図もしないのにテキパキとお互いの動きを支えあっていた。


「こちらは、二重出汁と申しまして。うちの自慢の出汁になります」


「へぇ、自慢の! あっ! だから、店の名前にもなってるってわけか!」


 ナツジロウが、納得いったというように手を叩く。

 この店の名は「ふたえ」となっている。

 表にある看板は、恐れ多くも元術魔王エンバフ様が、直々に書いたものであった。


「今日はこの汁に、鳥の肉をくぐらせて、召し上がっていただきます」


 しっかりと鶏、貝の出汁が効いた汁に、薄く切った鳥肉をくぐらせる。

 鳥の肉は火をきちんと通さねば「あたる」のだが、これはかなり薄く切られていて、普通よりずいぶん早く火が通る。

 向こうが透けて見えるような薄さに切るのは、かなりの包丁の技と見受けられた。

 肉を引き上げる前に、白髪ねぎ、水菜などを鍋に入れる。

 そして、肉で野菜を巻いて、引き上げるのだ。

 付けダレは、なくてもよい。

 鍋の汁に十分に旨味があるので、これだけで食べても実に美味い。

 ただ、一応付けダレの用意もあった。

 最近になって流行り始めた「ポン酢」というヤツで、店の手作りである。

 醤油に、柑橘のしぼり汁を入れ、そこに昆布やかつぶしなどを入れて、暫し寝かせる。

 種や果肉、昆布、かつぶしなどをしっかりと濾しとったら、完成だ。

 これが実に爽やかで、美味い。


 さっそく、頂くことにする。

 くつくつという鍋に鳥肉を入れ、待つこと暫し。

 早すぎると肉が生のままになってしまうが、遅すぎるとせっかくの肉がぱさついてしまう。

 程よい所を見極めて、白髪ねぎと水菜などの野菜を入れる。

 そして、肉でそれらを巻き取って、引き上げる。

 立ち上る湯気に、空いた胃の腑を殴るような香りが立ち上る。

 これを、まずはそのまま食べてみる。

 口を近づけて、息を吹きかける。

 この熱さもまた、御馳走だ。

 一口で口に入れれば、鳥の強烈なうま味が口に広がる。

 驚くほど味わい深く感じるのは、隠れてはいるものの、しっかりと貝の出汁が仕事をしているからだろう。

 肉に歯を入れると、その弾力の良さに驚く。

 さらに力を入れれば、じゃき、じゃきと小気味いい歯ごたえが返ってくる。

 これが楽しくて、堪らないほどに美味い。

 そこに、酒を流し込む。

 米の酒は、臭みを旨味に変えてくれる、という。

 食材の持つ癖のようなものと合わせると、どうだ。


「はぁーっ」


 ため息が漏れる。

 どこかぞくぞくとする感じは、体がうまいものを喜んでいるかのようだ。

 当然、ポン酢を付けても美味い。

 柑橘のさわやかさ、醬油の塩味が小気味いい。

 かなり主張の強いものである酸味と塩味だが、二重出汁の旨味、鳥と野菜の美味さは、それらに全く負けていない。


「いや、驚いた。さすが、元魔王家の台所方だね」


「ありがとうございます。ただ、実はこの料理の仕方は、私共が思いついたものではありませんで」


「ほぉ。では、誰か?」


「ゴードルフさんです。いやぁ、あの方には驚かされてばかりですよ」


 今回の仕掛けでは、当然ゴードルフも動いていた。

 橋に踏み込もうとするものをそれとなく止めたり、余計なことをしようとするものを気絶させたり。

 水に飛び込んだオルを受け止めたのも、水の中で呼吸が出来る魔法道具を咥えさせたのも。

 そのあと、泳ぎの達者な種族の男にオルを引き渡したのも、ゴードルフの仕事であった。

 ほかにも、細かなことを上げればきりがないほど、ゴードルフはあちこち動き回っていたのである。


「何かお礼を、と思ったのですが。この二重出汁のとり方を教えてくれれば、それが何よりの報酬だ、とおっしゃって。本当に、感謝してもしきれません。もちろん、それは皆さんにもですが」


「本当に、ありがとうございました」


 改めて頭を下げる師弟に「何のこともないさ」と笑って首を振りながら。

 エンバフはゴードルフの抜け目なさに、舌を巻くのであった。

手学庵お節介帖 「敵討ちの謀」

これにて、終わりでございます

楽しんでいただけたでしょうか




さて、次回ですが

新しいのでもやってみようかなぁ、と思っております

主役となるのは、飛弾魔王ラブルフルードでございます

という、予定は未定

書いても来年なわけでして

のんびりお待ちいただければ、幸いと思っております

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― 新着の感想 ―
[一言] ちゃんとだしから作った水炊き食べたくなってきたな……
[一言] 相変わらず、読み応えがありよく脳内で映像変換して楽しんでます。 風鎌魔王家の騒動も読みたいです。
[一言] >被ると殺陣がうまくなる魔法道具 道具を用意したのはひょっとして怒羅衛門さん⁉
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