手学庵お節介帖 「敵討ちの謀」 5
ゴードルフが絶賛したうどん屋台の店主、オルと名乗っているその男は、大きく息を吐くと、腕で汗をぬぐった。
屋台を出すのは夜、夜中であるが、仕込みは朝のうちから始めなければならない。
料理というのは、手間をかけようと思えばいくらでもかけることが出来る。
オル自身が納得できるものを作ろうとするなら、最低限の準備だけでも半日掛りだ。
まず、麺を打つ。
オルが出すうどんは、柔らかい。
悪く言うなら、腰が全くないうどんだ。
だからと言って、こねる作業に力が要らないかと言えば、全くそんなことはない。
むしろ、しっかりとこねて置かないと、水に溶けてドロドロになってしまったりする。
柔らかく、それでいて崩れず、噛むのに歯が不要なほどであり、啜っても千切れることがない。
そんな麺を作るのには、なかなか手間な作業が必要だった。
大魔王都風では全くない、なかなか受け入れられないだろうと思われるうどんだが。
場所が良いのか、客が良いのか。
今まで怒鳴られたり、お代を貰えなかったことなどは一度もなかった。
それどころか、褒めてもらえることすらある。
自分の作ったものを喜んでもらえることほど、嬉しいことはない。
朝に準備し、寝かせていたうどんの生地を、切り分ける作業。
それが、ようやく終わった。
あとは少し寝かせて置いて、夜を待って下茹でをする。
その間に、汁の支度をしなければならない。
オルが出すうどんの汁は、鶏のガラを使ったもの。
それに、貝の出汁を合わせる。
オルの家では、これを「二重出汁」と呼んでいた。
それぞれの出汁のとり方、配合の比率が難しく、扱うのに相当の鍛錬が必要になる。
別に秘伝というわけでもなんでもなく、教えを請われれば普通に方法を伝えているのだが。
これがなかなか広まらなかった。
何しろ、工程が面倒なのだ。
料理に手間暇をかけられるというのは、凄まじい贅沢である。
オルが以前に暮らしていた地方では、そういったモノは殆ど評価されなかった。
むしろ、武家の中には「無駄である」という者すらいたものである。
それでも何とか、家に伝わる技の数々を守ってきた。
一時はそれが認められ、ある程度の予算なども付けられるようになったのだが。
思考に埋没しそうになったオルだったが、頭を振って気持ちを引き締め直した。
まだ、やることはいくらでも残って居るのだ。
戸を開けて空を見上げ、日の傾き具合を確認する。
そろそろ、いつも鶏がらを貰っている養鶏家が、鶏を絞める頃合いだ。
氷の魔法か、魔法の道具でも使わない限り、肉というのはあまり日持ちするものではない。
ましてガラとなると、足は思いのほか速いのだ。
支度をして外に出ると、近所に住む大工の娘、ミチが、同じく長屋から出てくるところであった。
「あ、オルさん! こんにちは!」
「はい、こんにちは。これからお出かけかい?」
「おとうちゃんのところに、いきます。今日は、てならいが、おやすみなので」
まだ小さいミチだが、なかなかに優秀らしい。
オルも、ミチが算術の問題を解いている所を見たことがあるのだが。
アレは全く、大人顔負けであった。
昔から包丁しか持ってこなかったオルなどでは、もはや敵わないだろう。
父親はどこで仕事をしているのか、と聞けば、オルが向かう道中であった。
ならば、と、途中まで一緒に歩くことにする。
ミチはしっかりしているので、一人で歩いていても大丈夫だとは思うのだが。
見送りに顔見知りの大人が居るというのは、悪いことではないだろう。
「仇? それは。立ち入ったことをお聞きしましたな」
「いえ。こうして、ご案内頂いているわけですから。事情をお伝えしないわけには」
若者は苦笑交じりに、エンバフに頭を下げた。
しかし、今時仇討ちとは。
戦の世も過ぎ去り、平和と言って差し支えの無いご時世である。
仇などというものを持つこと自体、珍しいのではないだろうか。
ましてご丁寧に、それを自らの手で討とうなど。
エンバフが現役であった頃にも、二度、三度程度しか聞いたことのない話である。
しかし、それでこの若者が城に向かう理由が分かった。
「なるほど。お城に、仇討ちのお許しを戴きに行くわけだ」
「はい。まさか、大魔王様の御膝元で、許可なく剣や魔法を振るうわけにはまいりませんから」
基本的に、武家が剣などの武具、魔法などを有することは、禁止されていない。
だが、正当な理由なしにそれを往来などで使うことは、固く禁じられていた。
よって、仇討ちなどをしようと考えた場合、まずはその許可をとらなければならない。
「先ほどの言葉から察するに。仇が大魔王都にいることはわかっているものの、どこにいるかまでは掴めていない。といったところですか」
「まさに、その通りです。いや、しかし、本当に。大魔王都というのは、人が多いですね。圧倒されます」
若者は半ば呆然とした様子で、通りを眺めている。
正直なところ、それほど人通りのある道ではない。
大魔王都ではごくありふれた、どこの町にもあるような道である。
もっとも、それでも他の魔王領で考えれば、祭か何かの様な賑わいに見えるだろう。
「これでは、仇を見つけることなど、出来ぬかもしれませんね」
若者の言葉には、深刻そうな響きがなかった。
むしろ、どこかホッとしているようですらある。
エンバフの気のせいかもしれないが、そんな風に感じられるものであった。
はて、一体どういった事情があるのだろうか。
気にはなるが、ことは仇討ちである。
無暗に余人が踏み入って良い話ではないだろう。
まあ、どうしても気になるようなら、息子である現役の術魔王にでも調べさせれば良いのだ。
そんなことを考えながら歩いていると、道の向こうから見知った顔が歩いてくるのがわかった。
手習いに通ってきている、ミチである。
横にいる男と、親し気に話している様子だ。
おそらく、知り合いなのだろう。
もう少し近づいたら、声をかけようか。
そんなことを考えていたエンバフが、ふと横を向いた。
若者が、突然立ち止まったからである。
どうしたのか。
と、声をかけようとしたのだが。
あまりに驚いた、深刻な表情に、言葉を飲んでしまった。
そうしているうちにも、ミチと男が近付いてくる。
「あ、エンバフせんせい!」
ミチも気が付いたのだろう。
大きく、手を振っている。
エンバフがそちらに目を向けると、ミチの隣に立っていた男の様子が変わっていた。
それまでニコニコとした、穏やかな様子だったのだが。
何か途轍もないものを見つけたような、驚愕と恐怖を張り付けたような顔をしているのだ。
ミチもそれに気が付いたのか、男の様子の変化に驚いている。
だが、それもつかの間。
ミチの隣にいた男は、転がるようにして走りだした。
エンバフ達に背を向け、元来た道を走っていく。
「あっ!」
若者がその後姿に手を伸ばすが、追いかけるまではいかなかった。
というより、驚きすぎて体が固まっているといった様子だ。
「まさか。今の男が、仇?」
ありえないだろう、とは思いつつも、エンバフは己の頭に浮かんだ考えを口に出す。
若者は、どうしたらいいかわからない、といったような困惑した顔で、うなずく。
「は、はい。私の兄を斬った、オルオンゲンという男です」
武家風の名前である。
斬った、というからには、やはり武家なのだろうか。
それにしては、逃げていったあの男は、いかにも町人といった見た目であった。
武家だ、と言われるより、屋台の店主だ、と言われた方がしっくりくる。
それにしても、はて、一体どうしたものか。
こうなったからには、首を突っ込まないわけにもいくまい。
まずは何から取り掛かったものか、と、エンバフは考え始めるのであった。
お待たせして、すみませんでした
この御話が終わるまで、何とか連続投稿を続けられたらいいなぁ、と思います
※大魔王都における、屋台の店主の社会的地位について
大魔王都には屋台が多く、その店主たちが軽んじられることは殆どありませんでした
経済力も馬鹿にできるものではなく、中には通りにある店舗を上回るような稼ぎのある屋台もあったほどです
中には町の顔役を務めるほどの者もおり、立派な職業として認められていたようです
ただ、だからこそきちんとした社会貢献を求められるため、長く続けるのが大変な職業でもあったようでした




