手学庵お節介帖 「赤い亀」4
件の土は、やはり大魔王都の北側。
獣魔王城近くの土であるということが分かった。
ただ、少々変わった場所のものであるという。
「あの辺りの土地は元々凹凸が多い地形だったそうで、大魔王都として整備される際、かなり整地なども行われていたのだそうです」
「聞いたことがあるな。四天王家が協力して、都を作ったとか」
「かなり以前のことのですが、当時から土自体はあまり動いていないのだそうです」
「なるほど。おかげで、件の土の出どころも分かったということか」
「はい。おそらくは、あまり弄られていない土地。その、水辺、あるいは水底の、さらにいくらか下の土。とのことでした」
「そんなことまでわかるのか。凄まじいな」
「ちなみに、こういった情報を用意しろ、とおっしゃったのは、先代の術魔王様。つまりご隠居なのだそうで」
「なんだと?」
「ずいぶん予算を付けて頂いたので、これだけの資料がそろった。と、担当のものがいたく感謝しておりました」
「まったく覚えていないな」
現役の時のエンバフは、とにかく忙しく動き回っていた。
同時にいくつもの仕事をし、あれこれと人に指示も出していた。
あるいはそういうこともしていたかもしれないが、全く覚えていない。
「あの頃は忙しかったからな」
「お歳を召してお忘れになったわけでは」
「ばかものっ! まだ耄碌などしていないわ!」
とはいっても、そろそろ記憶の方も危なくなってくる年齢ではある。
だが、自分でいうならばともかく、人に言われるというのは面白くない。
「ということは、やはりあの亀は獣魔王城近くの沼にいた。ということになるようだな」
「そういうことになるかと思われます」
「であれば、だ。そのあたりの土地で普請をしているような場所を調べれば、おのずと亀が元居た場所はわかるだろうな」
「普請、ですか」
「うむ。おそらく、大規模なものではないだろう。商家でやっているようなものだろうな。大掛かりな普請で出た土ならば、番屋の者も出所を聞いておるだろう」
「そういうものですか」
「気にも留めない程度の補修でしか使わなかった。ということだろうからな。ただ、小規模なものでもない」
「普通の家を建てるのであれば、そこまで土は削りませんからね」
「わしもそう思う。おそらく、それなりに広い庭のある、料亭といったところではないかな」
「わかりました。そういったところがないか、調べておきます」
「よろしく頼む」
「んー、あの辺りは大魔王都でも水が良いところです。たしか、豆腐が美味いとか」
「豆腐か。だが、いつも買っている店のものはかなり美味いのではないか?」
エンバフの夕食に上る豆腐は、ゴードルフが見つけてきた店のものであった。
何しろ大魔王都に住む者は、豆腐を好む。
二日に一度は、必ず口に入っているのではないだろうか。
それだけに、ゴードルフとしては味にこだわりたかった。
自分で作ろうかとも思ったそうなのだが、流石に手間がかかりすぎる。
そこで、密偵としての能力を最大限に生かし、手学庵の近くで美味い豆腐屋を見つけてきたのだ。
見つけてきた、というのは、ゴードルフも随分丸くなったということだろう。
その気になれば、気に入った豆腐屋をこの辺りに引っ越させることもやってのけられる男である。
もちろん、自分がかかわったという証拠を一つも残さずに、だ。
「ええ。豆腐自体はそうなのですが、変わった油揚げを食わせる店があるのだそうでして」
「ほう。油揚げか」
「寒い地方の名産だとかで、なんでも厚みが一寸ほどもあるのだそうです」
一寸というのは、おおよそ親指一本分。
油揚げとしてはかなりの厚みである。
「厚揚げではないのかね」
「いえ、外はザクっとしていて、なかはふわふわだそうで。そうですね。明日行ったついでに、買ってきましょう。明日の夕食は豆腐料理ですね」
ゴードルフは嬉々とした様子で、献立を考え始めた。
全く、どちらが本題だと思っているのか、怪しいところである。
ゴードルフが買い求めてきたのは、こちらの世でいう所の「栃尾揚げ」であった。
新潟県長岡市栃尾地域の名物であり、その見た目は巨大で分厚い油揚げそのもの。
たっぷりの油で二度揚げることにより、表面はザクザクとしていながら、中はふっくらとした食感を生み出している。
大魔王都で売られていたのも、まさにこれに近いものであった。
買い求めたとき、ゴードルフは店主に。
「これはね、揚げたてがうめぇんだよ」
といわれ、その場で一つ食べていくことにした。
四等分に切られたものに、醤油を回しかける。
ザクザクとした温かい油揚げに、じわっと醤油がしみこむ。
齧りついたときにまず感じるのは、ざくざくとした食感と香ばしさ。
噛みしめるうちに感じる、ふわりと柔らかな味わい。
この味は、揚げたてでなければ楽しめないという。
まさに、買いに来た者だけが楽しめる特権と言える。
では、家に持って帰ってしまったら、この油揚げを存分に楽しめなくなるのか。
といえば、全くそんなことはない。
夕食に上がったのは、その店主に勧められた調理方法である。
油揚げを弱い炭火で炙り、香ばしさを出す。
表面を焦がすのはもってのほかだが、キツネ色を少し通り過ぎるぐらいがいい、というのが店主の談である。
そうすることで、焼いた油揚げ独特の得も言われぬ香ばしさが楽しめるのだという。
これは焼き豆腐などと同じように、火で炙らなければ出てこないのだとか。
しっかりと温めたら、水気を軽く絞った大根おろしを乗せる。
量をケチってはいけない。
たっぷりと乗せ、その上に刻んだねぎを、油揚げの半分にだけ散らす。
もう半分には、やはり刻んだみょうがを乗せるのだ。
このみょうがは、手学庵の庭で育てたものである。
新鮮なみょうがは、ジャキジャキとしていて風味も香りも段違いに良い。
大根おろしの上に醤油をかけ、全てを一緒に口に入れる。
これまで感じていた香が、一気に口から鼻に抜けていく。
ざく、ざく。
じゃき、じゃき。
豆腐の甘味、炙ったもの独特の香ばしさ、揚げ油のほのかな香り。
大根おろしの舌触りに、少し刺すような辛味。
分厚い油揚げでなければ感じることが出来ないであろう歯触りに、ネギやみょうがの嚙み心地。
「なるほど、これは名物だな」
作るのに技が必要な、いわゆる「凝った」料理ではない。
だが、豆腐屋の店主に聞いた手順を一つでも外せば、こうはならないのだろう。
「もう一つ、変わったのを教わってきました。ですので、今日の豆腐はその店で買ったものです」
一人用の小さな鍋である。
開いた瞬間、エンバフは「おお」と声を上げた。
まんまるで黄色い、ふわふわとしたものが、目に飛び込んできたからである。
「柔らかい豆腐と、卵をよく混ぜて、出汁を張った鍋に入れるのです。すると、ふわふわの、雲のような食感になるのだとか」
出汁の香りに、大豆のえも言われぬ匂いがいい。
匙ですくって見る。
たしかに、まるで雲のようにふわふわである。
よほどきめ細かく混ぜ合わせたのだろう。
そうすることで、中に泡を閉じ込め、それによってふわふわとしているのだろうか。
「普通に混ぜるだけでは、こうはならんのだろうな」
「ええ。特別な方法で、ひと工夫しております」
語らないところを見ると、秘密の方法のようだ。
まあ、無理に聞き出すのは野暮だろう。
この特別な方法でひと工夫した鍋とやらを、口に入れる。
出汁と豆腐、卵の相性は、もう文句の付けようがないほどに素晴らしい。
噛むごとに、鼻に抜けていく香もたまらない。
出汁というのは、口に入れて舌で味わうものではない。
口から鼻に抜けていく、香も同時に味わうものなのである。
この二つは決して切り離すことは出来ず、どちらかが欠けてしまえば全てが台無しになるものであった。
むろん、ゴードルフが作る出汁は味も香りもどちらも素晴らしく、そこにふわふわとした豆腐と卵があいまれば、まずいはずがなかった。
口に入れたものを、舌だけで押しつぶしてみる。
ほろほろ、ふわふわと崩れていきながら、まるでその中に詰め込まれていたという様に、香が味が染み出してくる。
「ご隠居。これは、飯にかけて食べると、また美味いのだそうです」
「なにっ! いや、そうだろうな。うむ、間違いない」
これを飯にかけて、口にかき込む。
時折漬物などを齧れば、もはやそれはこのうえもない贅沢だ。
結局この日も、エンバフはお銚子一本。
あとは飯というような食事になった。
やはり、ゴードルフの一本勝ちである。
「少し歩いてみると、すぐに見つかりました。新しい料亭を作るのだとかで、普請をしている場所です」
庭に大きな池のある料亭。
そんなものを作ろうとしているのだとかで、今は普請の真っ最中であった。
元々あった沼を整備し、そのわきに料亭を作る計画なのだという。
「ただ、あまりにも藻やら水草が氾濫しているということで、今は水を抜いて整備しているのだそうです」
かいぼりといって、水を抜いて沼などを干すのである。
そうすることで、ごみを除去しやすくなり、また、水質改善といった効果も見込めた。
「料亭を作るために、一部土も削っているのだそうで。それを、えぐれた水路の補修用に売ったのだそうです」
「ほう。場所は?」
「まさに、あの池の場所でした。働いていたものに聞きましたので、間違いありません」
「その池の生き物は、どうしておるのかな?」
「別の場所に水場を作って、泳がせているようです。ヨセギアカガメもいましたよ」
どうやら、当たりのようである。
もちろんそれでも、念には念を入れたほうが良い。
エンバフは、マウエブロを伴って、その料亭の普請場へと行くことにしたのであった。