手学庵お節介帖 「敵討ちの謀」 2
手学庵に、新しい子供が通うようになった。
大工の娘で、ミチという。
このミチの父親、ゲンジは、元は腕のいい城大工であった。
エンバフも顔を見知っていたほどで、将来を嘱望されていたのだが。
訳有って城大工を辞して、町場の大工となっていた。
とはいえ、やはり腕はいい。
すぐに評判となって、噂はエンバフの耳にも入った。
丁度、手学庵の修繕をしたいと思っていたエンバフは、この大工を訪ねて行った。
そこで、エンバフとゲンジは思わぬ再会を果たしたのである。
「こ、こ、これはっ! 術魔王様!」
「ああ、いいんだ、いいんだ。もう私は引退したんだからね。それに、この辺りじゃ、ただの隠居のじいさんで通ってるんだ」
何とかゲンジを納得させて、エンバフは手学庵の修繕を頼んだ。
ついでにあれこれと話しているうち、娘のことが話題に上る。
「そろそろ、手習い所にでも通わせようかと思っていまして。なにしろ、読み書き計算は出来るに越したことはありません」
「まあ、確かにそうだね」
「手に職があれば、何て言いますが。やはり、城大工をしていて、それなりに教育ってのを受けさせていただいたからでしょうか。やはり、読める、書ける、計算が出来るってのは、便利だなぁ、と。しみじみと思いましてね」
なるほど、城大工というのは特別な仕事である。
この時代の技術職にありがちな、職人の勘に頼るだけの仕事ではない。
きちんとした計算、知識を基にして作業を進める。
いわば、最先端の技術者であった。
だからこそ、ゲンジは読み書き計算の大切さを、身に染みて分かっていたのである。
「ふむ。そうか、そう言う事なら、そのミチさんとやら。うちに通わせて見たらどうだい」
「いえ、そんな、術魔王様のお手を煩わせるわけには」
「だから、私はもう引退した、ただのじいさんなんだよ」
散々ためらったゲンジだったが、結局、娘のミチは手学庵に通うようになったのであった。
さて、手習い所のような場所には初めて通うというミチだったが。
既に父親にある程度のことは習っており、簡単な読み書きであれば出来るようであった。
未だに文字を書きなれておらず、読めるのも簡単な文字ばかりであったが、それでも普通の町人から見ればかなり達者なものである。
特にエンバフを驚かせたのは、その算術の巧みさであった。
ミチが手学庵に通うようになった、ちょうどその日の事である。
ある寺院に奉納された算術の問題を、一人の子供が手学庵に持ち込んだ。
ミチはこれを、すらすらと解いてしまったのである。
「ここが、こうですから、こたえは、こうなるわけです」
「うむ、間違いないね。正解だよ」
エンバフが太鼓判を押すと、子供達は大いにどよめいた。
「すげぇ、ほんとにせいかいした!」
「手習いなんて、しなくても良いんじゃないか?」
「おとうちゃんが、だいくですから。えずめんは、とくいです。でも、ほかのはまだ、わからないのも、おおいですよ」
照れたように言うミチに、子供達は大いに感心した。
なるほど、確かに問題は絵図面であった。
城大工であるゲンジが、得意とするような分野である。
ミチはゲンジから、しっかりと学び取っていたと言う事だろう。
「はぁー、おっとうが大工だと、こんなのもわかるようになるのか」
「そんなことないだろ。オイラの父ちゃんだって、大工だよ」
「そうだな。お前、算術苦手だもんな」
「オイラはまだいいよ。セイイチロウよりはましなんだから」
突然話を振られて、セイイチロウは気まずそうに首をすくめた。
ウッドタブ商会の跡取り息子であるセイイチロウは、幼いながらもすでに商才の片鱗をのぞかせていた。
だが、実は商売に関する事柄で、苦手としていることもあったのだ。
算術が、どうにも性に合わないのである。
生来のせっかちが災いしてか、落ち着いてモノを数えたり、よく読みこんだりするのが苦手なのだ。
そのせいで、早合点して先走ってしまい、答えを誤ってしまうのである。
本人もそのことはよく自覚していて、直そうとしているようなのだが。
「そういうけどさぁ。ぎゃくにさ、おちついてよめるほうが、すごいんだよ。ちょっとしっぱいするぐらい、ふつうだって」
生来のものというのは、どうにも直し難いらしい。
「おちついて、ゆっくりよめばいいんです」
「そうなんだけど、どうもなぁ」
「しょうばいの、タネになるとおもえば、だいじょうぶかもしれません」
このミチという娘は、驚くほど観察眼に優れていた。
セイイチロウが目立っていた、というのもあるのだが、すっかりその性質を見抜いていたのである。
これには、セイイチロウは頭を掻くしかない。
周りの子供達も、あのセイイチロウをやり込めたと、ミチに一目置くようになった。
僅かの間に、ミチは手学庵に溶け込んでいったのである。
手習い所について:
武家などの高等教育では男女別になることもあった手習い所ですが、庶民が通う場所では、男女共学ということも珍しくありませんでした
男であろうが女であろうが、適材適所で働くべき、という考え方が浸透していたためです
戦働きさえできるなら、女であろうと魔王に成れる
実際、初代「剣魔王」が女性であり、この時代の「剣魔王」にも、女性が就いていました
性別よりも適性、実力によって仕事をこなすことを良しとする
この時代の「大魔王都」では、そういった戦国時代から続く風潮が、強く残っていたわけです




