手学庵お節介帖 「敵討ちの謀」 1
その魔王家は、ご領地こそ大魔王都からは離れているモノの、規模としては中堅どころ。
城下町もそこそこに栄えており、となれば当然、夜の街も栄えている。
自分からは決してそういった場所に足を踏み入れぬ、堅物なオルオンゲンは、おっかなびっくりといった様子でそこを歩いていた。
武家であり、腰には剣があるのだが、腕の方はからっきし。
喧嘩の腕前は、おそらくそこらにふらついている酔客にも劣るだろう。
オルオンゲンの家は代々、台所方として魔王家に仕えていた。
戦や政にはトンと縁がない家柄ではある。
だが、その分料理の技を磨くことで、歴代の魔王様のお役に立ってきた。
と、自負している。
実際の所、料理がどれ程の役に立っているのか、オルオンゲンにはわからない。
だが、台所方というお役目を戴いている以上、やらなければならぬことがある。
オルオンゲンは怖気づきそうになる自分を叱咤し、道を急いだ。
指定された料理茶屋に着き、名を名乗ると、すぐに奥の座敷に通される。
騒がしい笑い声と、楽器の騒音。
下級武家であるオルオンゲンには、生涯縁のないような華やかさだ。
「おお、来たか。待って居ったぞ」
座敷にいたのは、若い武家である。
既に強か飲んでいるらしく、相当に酔っていると見受けられた。
オルオンゲンよりも随分と年若いが、その態度は横柄である。
年上のものを敬うのが武家の美徳とされるが、身分の上下はそれを容易く上回った。
オルオンゲンは平伏し、頭を下げる。
いかにも堅苦しい態度だが、これがオルオンゲンという男であった。
「早急で済まんがな、オルオンゲン殿。お返事を聞きたい」
「はっ。その、何と申しますか。その」
言葉に詰まる。
だが、言わなければならぬ。
下級武家であろうと、戦や政に疎くあろうと。
頂いている台所方としてのお役目を全うすることだけが、オルオンゲンにとって武家の一分であった。
「上司とも話しました上で、これ以上のご協力は、致しかねます」
「なに?」
若い武家の声が、低く響く。
「私が国家老様の御指示で動いていること、御承知と思うが?」
「そのうえで」
平伏し、額を畳にこすりつける。
体が震えるが、身を縮こまらせて耐えた。
なにも反応がないことにじれたオルオンゲンは、ちらりと顔を上げる。
目に映ったのは、怒りに震える若い武家であった。
「おのれ、どいつもこいつも馬鹿にしおってっ!」
若い武家は、手にしていた杯をオルオンゲンに投げつけた。
避けようとするオルオンゲンだったが、後ろにひっくり返ってしまう。
それに追い打ちをかけるように、若い武家は立ち上がった。
手には既に、抜身の剣がある。
武芸の方はからっきしであるオルオンゲンは、それを見ただけで腰が抜けてしまった。
四つん這いにはいつくばって逃げようとするが、どうにもならない。
大上段から振り下ろされた剣は、しかし。
狭い室内とあってか、鴨居に阻まれ、食い込んでしまった。
「くそっ!」
若い武家は、力任せにそれを引き抜く。
そして、その反動でひっくり返ってしまった。
「あっ」
いかにも間抜けな声。
目をつぶって居たオルオンゲンは、恐る恐る目を開いた。
そこに映ったのは。
「へ?」
転んだ拍子に己の剣が体に突き刺さり事切れた、若い武家の姿であった。




