風来坊必殺拳 「夢見の粉」9
突然診療所にやってきておトキを攫おうとした武家達は、ずいぶん立派な身なりをしていた。
動きやすそうな軽装ではあったものの、あれはおそらく船乗りの衣装。
それも、立派な主持ち、つまり大魔王家などの家臣であると思われた。
おトキには、そんな連中に目を付けられる覚えはない。
となると、雪安が居なくなったこととかかわりがあるのだろうか。
まさか、何か事件に巻き込まれているのでは。
おトキの中で、不安がどんどんと大きくなっていく。
大きな商家の娘に求められるものというのは、店の利益になることである。
習い事も、例えば生け花であったり踊りであったり、「流石、八分咲の娘さんだ」と言われるようなものばかり。
もっとも両親は優しく、「それほど気にすることはない、好きなことをおやり」と言ってくれてはいたが。
まさか本当に好きにするわけにはいかない。
ご先祖様から引き継いできた看板を、汚すわけにはいかない。
大切な看板に傷が付いたりしたら、困るのは自分だけではない。
家族や、何十人もの奉公人達。
仕事を頼んでいる職人や、付き合いのある商家。
百や二百ではきかないだろう。
迷惑はかけられない。
そう考えて、おトキはなるだけ枠から外れないようにして生きてきた。
なるべくうちの中に居て、外に出ず、静かに生きていく。
そんなおトキの人生を一変する出来事が起こった。
父親の大病。
それを治してくれた、医者との出会いである。
日に日に弱っていく父を、ただ見ていることしかできなかった。
家族も奉公人達も、父本人でさえ、半ばあきらめていたのだ。
それを、たった一人の医者が、救ってくれた。
誰もがあきらめている中、一人だけ父の手を取り、きっと元気になりましょうと励ましてくれたのである。
父が再びお店に立って、笑顔でお客様の相手をすることが出来たときの姿を、おトキはずっと忘れないだろう。
あのお医者様は、普段どんな仕事をなさっているのだろう。
多くのお医者様が匙を投げた父の病を治してくれたぐらいなのだから、さぞ立派な診療所で働いているに違いない。
そんな風に思っていたおトキだったから、初めて雪安の診療所を訪れたときは心底びっくりした。
お金のない人からは診療費をもらわず、お金を持っている人からは、少し多めに頂く。
多め、といったところで、ほかのお医者様に比べればずっと安い金額だった。
父の病気を治せず、匙を投げたお医者様達の半分も、雪安は診療費を求めなかったのだ。
もちろん父は、それではこちらの気が収まらないと、かなりの額を無理やりに押し付けていた。
おトキが初めて診療所を訪れたときには、そのお金はすっかり薬を買うために消えていたのだから、心底驚いた。
今聞けば、「雪安先生なら、そうするに決まっている」と分かる。
そういうお人なのだ。
押しかけ弟子になり、無理やりお手伝いをさせていただくようになって。
すこしは、お役に立てるようになったのだろうか。
近くでお仕事をお手伝いさせていただくようになって、よくわかったことがある。
雪安先生は本当に立派な方で、いつも患者さんたちのことを第一に考えている。
ただ、その分自分のことを蔑ろにする傾向があった。
気を付けないと食事をとらないことあるし、薬の調合のために夜なべをして、そのまま布団にも入らず寝てしまうことも。
ああ、この方は本当にすごいお医者様だけど、こんなに困ったところもあるのか。
惹かれるようになるのには、そう時間はかからなかった。
その雪安先生が、居なくなってしまった。
何か嫌な予感がする。
とにかく、無事で戻ってきてほしい。
おトキはとにかく、その一心であった。
「あの、幽霊の私が言うのもなんですけど。大丈夫なんですか、ダイ公殿。必死に慰めてますけど、完全に眼中に入ってないですよ」
「良いからほっとけ。アイツはそういうやつなんだよぉ。それより、雪安先生だろうが」
さっさと歩いていくゼヴルファーの後を、アルガは肩をすくめて追いかけた。
閉じ込められた蔵の中で、雪安はどうするべきかを悩んでいた。
自分が騙されたのは、仕方ない。
己が愚かだっただけである。
だが、まさかおトキまで巻き込もうとは。
今はあの魔王の配下が、おトキを攫いに行っているらしい。
夢見の粉は、強力な劇薬である。
魔王にも効くのだから、尋常のものではない。
そんなものの作り方を、雪安は知っていた。
何故かと言えば、使いようによっては有益な薬となるからである。
分量さえ間違えなければ、強力な麻酔薬となるのだ。
注意深く最適な量を見極めることさえできるなら、後遺症もなく、人を深い眠りへといざなうことが出来る。
その間に、例えば手足を切断、あるいは腹を切るような手術を行っても、起きることはない。
魔法があるゆえにそのような大手術はめったに行われないが、皆無というわけではなかった。
事実、タンチ港では年に一度か二度、夢見の粉を使った手術が行われている。
しかし。
少なくともこの大魔王都においては、作ることも持ち込むことも禁じられたご禁制の品。
その特性や扱いについて詳しい雪安にしても、その処置は正しいと思っている。
いや、詳しいからこそ、その危険性を知るからこそ、けっしてこの大魔王都に入れてはならぬと思うのだ。
もし言われた通りに作ってしまえば、どれだけ多くの人が泣くことになるか。
だが、作らなければ、おトキの身がどうなるか。
なにか、方法はないのだろうか。
せめてここから逃げ出せれば。
そんな風に考えていた、その時だった。
「なんだ貴様っうわあああ!?」
雪安が閉じ込められている蔵を見張っていた武家が、悲鳴を上げている。
何事かと身構えていると、何やら地響きのような音が聞こえ始めた。
どうやら、蔵の扉の方から響いてきているらしい。
何やら嫌な予感がして、雪安は扉から離れた。
すると。
頑丈なはずの扉、金属で作られたそれが、軋みを上げてひっぺ返されたのだ。
あまりのことに腰を抜かす雪安の目に飛び込んできたのは、鋼鉄の体を持つ人馬型のゴーレムであった。
ゴーレムは中を覗き込むと、「おお!」と大声を上げる。
「ご老体! こちらに人がおり申した! 雪安先生でござろうか!」
「ふむ? おお、雪安先生! よかったよかった、無事のようですにゃ」
「貴方は、リットク様!」
見知った知恵猫の患者、リットクを見て、雪安は驚きの声を上げた。
「ご安心召されよ。この者は私がお仕えしております魔王家の、馬廻りでしてにゃ。共に、雪安先生を助けに来たのですにゃ」
「私を、助けに?」
「ええ。助けに来ました。おお、そうだ! ついでにですにゃ。先生を攫った連中の悪事の証拠などがあると、大変に助かるのですがにゃ。なに、これだけのことをしている連中ならば、抜け荷の一つや二つや五つや六つしておるでしょうからにゃ。危険な薬でもないか、見て頂けますかにゃ」
そういうと、リットクは蔵の中を指さした。
積みあがっているいくつものつづらや木箱は、なるほどどれも怪しげな雰囲気を纏っている。




