風来坊必殺拳 「夢見の粉」7
一日の診療を終え、おトキを送り出した雪安の下に、一人の男が訪ねてきた。
「これは、楼悦殿!」
「やぁ、雪安殿! お久しぶりです! タンチ港以来ですな!」
雪安と楼悦は、どちらも生命館で学んだ仲であった。
どちらも優秀であり、競い合った間柄である。
生命館を出たのは楼悦が先。
雪安はその後数年して、大魔王都に上ったのである。
久しぶりの再会に、雪安は喜んだ。
「久しぶりではありませぬか!」
「まったく! 先日たまたま見かけて、挨拶をしたいと思っていたのだが。どうにも暇がなく、顔を見せられずにおりました」
「楼悦殿の噂は、私なんぞの耳にも入っています。ご活躍とのこと、暇がないのも当然でしょう!」
楼案は既に、大魔王都でも指折りの名医、として知られていた。
医者としての見立てや治療の腕は、疑う余地もない。
「いや、まだまだ道半ば。己の不出来が身に染みておりますよ。して、実は雪安殿。折り入って、ご相談があってな」
「私に? では、そのあたりの居酒屋にでも」
「いや、そういうわけにはいかぬのです。聞かれては不味い話でして」
「聞かれては、不味い。よもや、医術のことにかかわることですか?」
「さよう。私だけではどうしようもない、のっぴきならぬ事態になり申した」
とにかく話を聞こうと、雪安は自宅に招き入れた。
見た目はボロ屋だが、板などを張ってある部屋もある。
治療の時、苦しむ患者の声をなるだけ外に出さぬようにするための部屋だ。
魔法での治療には痛みを伴うものもあり、そういった声がご近所に響けば、妙な誤解を受けてしまう。
もっとも、魔法での治療は痛いものもある、というのは大魔王都っ子にとってみれば当たり前のこと。
今更気にすることでもないのだが、まあ、一応そういう「格好」を取っておかなければならないのだ。
「まず、これを見て頂きたい」
楼悦が懐から取り出したのは、白い粉薬である。
その慎重な手つきから、雪安はそれを尋常ならざるものである、と見て取った。
顔をむやみに近づけぬように気を付けながら、手で仰ぎ臭いを嗅ぐ。
それから、小指で潰して感触を確かめる。
見る見るうちに、雪安の顔が強張った。
「まさか。いや、そんな馬鹿な。こんなものが大魔王都にあろうはずが。楼悦殿。これは、これは、ブナの渡り廊下。夢見の粉ではありませんか」
雪安の言葉に、楼悦は只管に苦い顔を作った。
「やはり、雪安殿もそう見ますか。私もそれを見たときは、腰を抜かすほどに驚きました」
夢見の粉。
その名が知られるようになった事件から、「ブナの渡り廊下」とも呼ばれる薬である。
今より数世代前のこと、大魔王城内にある控えの間前で、刃傷事件が起こった。
乱心した魔王が、別の魔王に斬りかかったのである。
斬りかかった魔王はその場で斬り捨てられ、斬りかかられた魔王はとんだ災難を被った。
このままでは御家断絶、配下は路頭に迷うことに。
だが、斬りかかられた魔王は寛大にも、そのご領地の面倒は自分が見るゆえ、せめて配下の者達だけでもなんとかならぬか、と老中達に掛け合ったのである。
幸か不幸か、斬りかかられた魔王と、斬りかかった魔王のご領地は、隣同士。
あるいは乱心故に斬りかかったは、隣同士ゆえの遺恨もあったのだろう。
それを水に流すというのだから、斬りかかられた魔王のなんと寛大なことか。
ならばそれを認めてやるのも、懐の深さであろう。
老中達や四天王家も、一時はそう考えた、のだが。
斬りかかり、斬り捨てられた魔王の配下達は、これは可笑しい、何かの間違いだと訴えた。
だが、斬りかかったのは紛れもない事実。
誰も聞く耳を貸してくれぬ中、必死の思いで事情を探り出し、ついに事の真相を掴んだ。
斬りかかった、乱心した魔王が飲んでいた湯飲みから、ある薬が見つかったのである。
どんな毒すらも無効にしてしまうはずの魔王すら蝕み、気を狂わせてしまう薬。
名を、「夢見の粉」。
本来はその名の通り、「夢見心地」を味わわせてくれる薬なのだが、長く摂取を続けたり、あるいは一時に大量に摂取してしまうと、気がくるってしまう恐ろしい薬である。
この薬を、斬りかかられた魔王が湯飲みに仕込んでいた。
そして、そっとイラつかせるような言葉を投げかけ、自らを襲わせていたのである。
このことを掴んだ配下達は、命を捨てる覚悟の者だけで決死隊を結成。
47人で相手魔王家の上屋敷に乗り込み、見事本懐を遂げたのである。
つまるところ、今ここで雪安が手にしている「夢見の粉」という毒薬は、あの無双とも思われる力を持った魔王にすら通用する劇毒なのである。
無論のこと、その扱いは幕府によって厳しく管理されている。
医師たちの街であるタンチ港であればともかく、少なくともこの大魔王都においては。
持ち込むことも作ることも、けっして許されぬ、ご禁制の品であった。
「楼悦殿。これを、どこで」
「雪安殿。改めて確認するまでもないとは思うが、ことは重大。つとめて他言無用に願えるか」
「事と次第によるが。とにかく、話を聞かねば」
「いや、そうであったな。当然だろう。ただ、これはとある魔王家のお家のことであるゆえに、その事心得て聞いていただきたい」
楼悦は声を潜め、真剣な面持ちで語り始めた。
あるとき、船手方が怪しい小船を見つけ、手入れをした。
激しい抵抗を見せたが、ひっとらえて荷物を改める。
すると、厳重な封をした中に、奇妙な粉薬が入っていた。
船手頭と懇意にしていた楼悦のところに持ち込まれたのだが、それはご禁制の薬であると判明。
「それ自体は、いわゆる精力剤でな。こういっては何だが、大したものではない」
それでもご禁制はご禁制。
船手頭は調査を進め、根本と見られる蔵を突き止めた。
そこにいた賊をひっ捕らえ、品物を没収したまではよかったのだが。
「そこで出てきたのが、この夢見の粉だった、というわけだ」
「なんと。そんなことが」
「それだけではない。実に恥ずかしい話だが、私では正体が見破れぬ薬まであった」
「楼悦殿ですらわからぬ薬、ですと?」
「さよう。私は魔法であれば自信があるが、薬の方はそれほどでもない。だが、雪安殿ならば、違う。薬の知識であれば、生命館きってであったな」
確かに、雪安も薬の知識に関しては、聊かなりと自信があった。
特に力を入れて学んできた分野であるし、今も研究や新しい書物などによる知識更新はしているつもりだ。
「船手頭様が言うには、まずは薬の素性を知りたいとのこと。調査をするにも、それがわからねばいかんともしがたいと」
「そういうもの、なのか」
「うむ。そして、このことはなるべく知られてはならない。外に漏れれば、ご禁制の抜け荷をして居る者たちの耳にも届くやもしれぬ。そうなれば。そうなれば、自棄になったその者たちが、手持ちの薬をむやみやたらと売り捌くやもしれぬ」
「そ、そんなことになったらっ!」
「ああ。多くのものが、不幸になる。とにかく、調べのきっかけをつかみたいのだ。雪安殿の力を借りたいのだ」
「し、しかし」
「ためらう気持ちはわかる。だが、薬を調べてくれるだけでよいのだ。誰にもわからぬよう手配すると、船手頭様は仰っておられる」
「だが、ううむ」
「無論、ただではない。まずは夢見の粉の鑑定料として、これだけ預かってきておる」
それは、金貨二枚であった。
雪安の表情が、一層険しくなる。
「もちろん、ほかの薬の鑑定料は別途渡すとのことだ」
それだけあれば。
多くの傷病者に、薬を与えることが出来る。
あの「ご家老」から頂いた金貨は、すっかり薬に代わっていた。
おかげで、どれだけの苦しむものを救うことが出来たか。
結局、雪安は、この誘いに乗ることにしたのであった。
リットクが治療を受けてから、十日ほど後。
ゼヴルファーとリットクは、再び雪安の診療所を訪れていた。
治療の効果が出ているか、きちんと直っているか、確認のためである。
「いや、それにしても前日は実にお恥ずかしい所をお見せしてしまいましたにゃ」
「なぁに言ってんだ。命に関わる病だ、っつってんのに、平気な顔してる方が可笑しいってぇもんよ」
診療所であるボロ屋の前に来ると、どうも様子がおかしい。
何やら人が集まって、騒いでいるのだ。
以前来た時もにぎやかだったが、そういった風ではない。
何やら、不穏な気配である。
「あっ! 兄貴!」
飛び出してきたのは、ダイ公だ。
集まっているもの達の間をかき分け、ゼヴルファーの下へやって来る。
「どうした。何の騒ぎだ?」
「それが、大変! 大変なんすよ!」
「落ち着け、何が大変なんだよ」
「雪安先生が、消えっちまったんです!」
「なにぃ?」
やはり、ろくなことにはならなかった。
ゼヴルファーは眉間にしわを寄せると、とにかく診療所の中へと入っていった。
解説:
「ブナの渡り廊下事件」
歌舞伎や読み本など、様々な媒体で題材にされる、有名な事件である
人気の場面も多い
いざ討ち入りとなったはよいが武器もそろえられぬ四十七士に、無念の死を遂げた魔王に恩を受けた当時の豪商ギリル屋店主リザエモンが武器防具一式を並べ
「ギリル屋リザエモン、男にございます」
と見栄を切るシーンは、歌舞伎などでは拍手喝さいが起きる見せ場である
また、専門家の中には、この四十七士の調べを手伝った「遊び人」に注目するものは少なくない
大魔王家の隠密、町奉行の密偵
中には、「当時の鉄拳魔王に違いない」とする者もいるが
現在のところ身分を特定する根拠は見つかっていない
ただ、様々な資料からこの「遊び人」が存在していたことは間違いなく、その正体が誰であるかという話題は、歴史好きの酒の肴としては定番のものとなっている




