風来坊必殺拳 「夢見の粉」4
雪安の診療所は、感心するほどのボロ屋であった。
立て看板に「ボロ屋」などと書いて飾れば、先進的な芸術品か何かのように、見えなくもない。
そんな絵にかいたようボロ屋には、多くの患者が訪れていた。
皆、怪我をしているか、ぐったりしているか。
とにかく、具合が悪いのだけは確かだ。
その間をせっせと行きかっているのは、白い前掛けをした女性である。
「ははぁ。アレがおトキという娘ですにゃ?」
「みたいだなぁ。しかしありゃぁ」
ゼヴルファーとリットクは、思わず感心の声を上げた。
病人や年寄りの世話をしているのに、嫌な顔一つしていない。
それどころか、ぱっと周囲が明るくなるような笑顔である。
驚くのは、それが患者達にも伝播していっていることだ。
「医者にかかる必要があるもの、というのは、気分が沈んで居るものですからにゃぁ。それが、あの娘が居るだけで、笑顔になる。アレは稀有な才能ですにゃぁ」
「なるほど。そういうもんかぁ」
そういった所の判断は、ゼヴルファーはリットクに敵わない。
年の功、という甲羅には、鉄拳魔王の拳も敵わぬのだ。
待合室と思われる座敷には、十人ほどの患者がいる。
娘、おトキに声をかける。
「すまねぇ。ここぁ、雪安先生の診療所かい?」
「はいっ! はい!」
どうやら、ゼヴルファー達が来たことに気が付いていなかったらしい。
おトキは飛び上がって驚き、慌てた様子でやってくる。
「はい、こちらで間違いありません。診察をお望みですか?」
「いえね、俺ぁ、叔父の付き添いでして。患者はこっちなんで」
「いや、雪安先生の噂をお聞きしましてな。是非、見て頂こうと来た次第ですにゃ」
遊び人で通っているゼヴルファーに、家老などというものが居る、というわけにはいかない。
外では、ゼヴルファーはリットクの甥、ということになっていた。
見た目には孫子ほども年が離れているが、リットクはそのまま「さる魔王家の御家老」を名乗っている。
武家というのは年の離れた兄弟も少なくなく、それこそ孫子ほど年の離れた甥と叔父など珍しくもない。
「そうでしたか! 申し訳ありませんが、患者さんがおりますので。少々お待ちいただくことになりますが」
「なに、急病でもないですからにゃ。待たせていただきますとも。ゼヴ、お前はどうするかにゃ?」
「どうせ暇ですからねぇ。そこの縁側にでも座ってまさぁ」
縁側に座り、のんびりと待つ振りをしながら、おトキを観察する。
そう簡単に見ているとばれるほど、下手な手は打たない。
魔王家の当主ともあろうものがこんな技を身に着けざるを得なかったのは、ひとえに鉄拳魔王家の御役目ゆえである。
雪安が診療する場所は、部屋の奥にあるらしい。
一応、ふすまで区切られているが、何せボロ屋である。
穴が開いていて向こう側が見えるのだが、そのあたりはご愛敬だ。
ゼヴルファーは、ちょっと気になった、という風を装って順番を待っている男に声をかけた。
「なぁ、そこの兄さん。あの娘さんは、ここのお手伝いをなさってるのかい?」
「ん? ああ、おトキちゃんのことかい? 違う違う。ありゃぁ、ここの見習いなのさ」
「見習い? ってことたぁ、お医者先生か!」
「まだ見習いなんだってよぉ。でも、ああしてここに来た連中の世話をしながら、先に具合を聞き取ってるんだとさ」
「へぇ?」
なるほど、言われてみれば待合室の一人一人に声をかけている。
そして、どこが悪いのか、今の具合はどうなのか、といった話を聞いているようだ。
「ああして聞いた話を、雪安先生に伝えてるんだとさ。で、その後に雪安先生が直接診察してくださる」
「先に、見習いのおトキちゃんってのが、診てくれるわけだな?」
「そういうこった。で、おトキちゃんの見立てが正しかったかどうか。聞くべきところをちゃぁんと聞いていたか、雪安先生が見てくださるってぇわけだ」
実地で訓練をさせている、というわけか。
そういう育て方もあるのだなぁ、と、ゼヴルファーは感心する。
なるほど、おトキの振る舞いは、熱心な見習い医、といった風情である。
医者というものには、魔法の腕前も問われる。
魔法の扱いに、男女の差はない。
必要なのは、生来の魔力と、魔法を学ぶ心構えである。
医者にとっては必須の魔法であるが。
翻って、魔法さえ扱えるなら、やる気次第で誰にでもなれるのが医者という職業である。
「時に、おトキちゃんってなぁ、魔法の方はどうなんだい?」
「ああ、そっちに関しちゃぁ、相当なもんだぜ?」
「トキ! 手を貸してくれ!」
ふすまの向こうから、声がかかった。
低く、落ち着いた声音である。
「はい、先生! すぐに!」
弾かれたように、おトキがふすまを開けて中に入っていく。
奥に居たのは、寝台に寝ている老婆と、白衣を着た壮年の男性だ。
あれが、雪安先生なのだろう。
白髪の老人を想像していたが、思ったよりも若かったようだ。
「時々ああして、魔法治療のお手伝いをしてるのさ。そっちに関しては、雪安先生も頼りにしてるみてぇだぜ」
そういえば、おトキの生家である呉服屋八分咲は、エルフの血筋であったか。
魔法の得意なものが多い血統であったはずである。
もちろん、魔王家や武家ほどではないにしても、種族的特徴というのはバカにできない。
「ところでお前さん、待合室にいるってこたぁ、病気か何かなのかい?」
「おう、俺ぁ、こう見えて腹が弱くてよぉ。この時期になって腹を冷やすってぇと、毎度腹を壊しちまうのさ。それが、雪安先生に診てもらって薬を貰うと、けろっと治っちまう。ほら、思い出したらまた、あいたたた」
男はそういうと、腹を抱えて走っていく。
ゼヴルファーはその後姿に、苦笑するしかない。
いよいよ自分の番となり、リットクは雪安の前に座った。
取り立てて、どこが悪いというわけではない。
だが、まあ、寄る年波には勝てぬ、とはよく言ったものだ。
ところどころ、気にするほどではないだろうが、というような不調はある。
まずはそれを適当に話して、おトキの人となりでも聞き出そう。
それが、リットクの思惑である。
ついでに、この雪安という医者についても、見極めようと思っていた。
弟子を見れば師匠が分かる、という。
逆に、師匠を見ても、弟子のことが少しはわかるかもしれない。
「さて、まず先にお断りをせねばならぬのですが。この診療所には、あまり金のない患者も多く来ております」
「はぁ。なるほど」
突然何の話だろう、リットクは疑問を飲み込んで、とりあえず話を聞くことにした。
「なので、あまり診療費用や薬代をとることができません。時には大根や菜っ葉を持ってきて、診てくれと言われるほどです」
「ああ、それで」
雪安の後ろには、野菜が並んでいた。
薬の材料にでも使うのかと思ったが、どうやら診療費だったらしい。
「ですので、当診療所では、お持ちの方からは少々多めにお代を頂くことにしております。もちろん、診療にご納得いただいた場合にのみ、後払いという形でですが」
なんとも良心的な医者である。
診察費用などというものは医者の言い値であり、とんでもない金額を吹っ掛けるものが少なくない。
名医などと呼ばれている医者に掛かろうと思えば、ひどい時など金貨十枚も積み上げることもある。
それがたった一度診てもらうのにかかる費用だというのだから、全くバカげた話ではないか。
「ちなみに、おおよそで構わぬのですがにゃ。私ではいかほどになりますかにゃ」
一応、「さる魔王家の御家老」という触れ込みである。
雪安は至極申し訳なさそうな顔をして、頭を掻いた。
「そうですな。その、大銀貨三枚か、いや、せめて二枚。一枚でも、頂ければありがたいかな、と」
大銀貨四枚で、金貨一枚である。
妥当、よりいささか安い金額だ。
「なるほど。いや、では、とにかく見て頂いてからということで」
早速、診察が始まった。
日頃の不調を聞き取りつつ、触診などを行っていく。
ある程度診てもらったところで、雪安は「なるほど」とつぶやいた。
「では、リットク様。そこの寝台に寝転んで頂けますか。そして、お腹を出していただいて。そうです、そうです」
言われるまま腹を出して、寝転がる。
どうやら、腹の触診をするようだ。
「まずここは、痛いですか?」
「いえ。とくには」
「こちらは?」
「まったく」
「では、そうですな。うむ。ここは、如何ですか?」
「んん!? あいたたた!」
痛い。
まるで腹の中にトゲ鉄球でも入れられて、それを外から押されてるような激痛である。
「ははぁ。となると、こちらは」
「あれ? いや、痛くありませんな」
「となると、ここは」
「いたたたたた!!」
それを見た雪安は、「ああ、やはり」とつぶやいた。
なにが「ああ、やはり」なのか。
自らの病など全く想定していなかったリットクだが、こうなるとにわかに不安が押し寄せてくる。
「これは、猫尿道魔石結晶ですな。いわゆる、ネコイタ病というヤツです」
「にゃんと!? ネコイタ病!!」
寝台に寝ていたからよかったが、もし普通に座っていたら、リットクはひっくり返っていただろう。
ネコイタ病というのは、知恵猫がかかりやすいとされる病である。
それだけではなく、リットクにとっては恐ろしい思い出のある病なのだ。
リットクの父、叔父などが、この病で亡くなっているのだ。
聞くところによれば、祖父もそうだったという。
病状が悪化するごとに下腹の痛みが堪え切れぬほどになっていき、顔色はどす黒く変色。
挙句、発作の如くやってくる強烈な痛みに七転八倒。
体はどんどんと弱っていき、ついには力尽きて死に至る。
若かりし日、父親が
「我が家はネコイタ病を起こしやすい家系じゃによってにゃ。おぬしも気を付けるのじゃぞ。まあ、こればっかりは気を付けようもないのだがにゃ」
といっていたのだが。
まさか、この歳になってついに自分も。
リットクも武家である。
戦場で死ぬる覚悟はあるのだが、病で苦しんだ挙句に死ぬ、というのはまっぴらごめんであった。
真っ青になって震え上がるリットクに、雪安は「安心なさってください」と笑顔を見せる。
「不治の病、などと言われていた病気ですが、昨今原因がわかりましてな」
「雪安殿、いや、先生! では、治るんですにゃ!? これは治るんですかにゃ?!」
「落ち着いて! 落ち着いて!」
縋りつくリットクに首を絞められ、雪安は苦しそうにその手を叩く。
「まずはやってみなければわかりませんが、治療法はあります! リットク様、魔法の御心得はありますな?」
「無論のことですにゃ」
「では、よくよく、注意深く体内の魔力の流れを調べてみてください。ここ。この、指で押している先のあたりです」
「どれどれ。んん?! こっこれはっ!」
砂粒ほどの魔力の塊ができている。
本来、そんなものが出来るはずの場所ではない。
「これは、体内の尿、つまり小便の通り道です。魔力が特別高い知恵猫は、たまにここに魔力の塊が出来てしまうことがありましてな。尿の道が詰まると、尿が出にくくなる」
そういえば、最近は夜に何度も小便に起きる。
尿意はあるのに、出ないことも、毎日のようにある。
歳のせいかと思っていたが、そうではなかったのだ。
「尿の道は狭いものでしてな。ごく小さい塊で詰まってしまう。尿の毒が外に出ないと、特に知恵猫にとっては致命的です。塊が大きくなれば、当然痛みも出てくる」
「先生! どうにか、治療法があるとおっしゃいましたにゃ!?」
「原因が分かってから、治療法が確立しました。絶対とは言えませんが、九分九厘は治ります。ですから、首を絞めないで、くるしい!」
「なんだ、騒がしいなぁ」
襖の向こうの騒がしさに小首をかしげながら、ゼヴルファーはあくびを一つ。
あとは、リットクが出てくるのを待って、帰るだけである。
帰りに甘いものでも買っていこうか。
そんなことを考えていると。
「おトキちゃーん! 洗濯終わったっすよー!」
見知った顔が飛び出してきた。
洗濯盥を抱えたその男は、ゼヴルファーを見て顔をひきつらせる。
「げっ!? 兄貴っ!?」
「ダイ公!? てっめぇ、こんなところで何やってやがるっ!」
「あら、お知り合いですか?」
ニコニコしながらやってきたおトキに、ダイ公はパッと顔を輝かせる。
ゼヴルファーはといえば、それはそれは苦い顔だ。
「いえ、まぁ。弟分見てぇなもんでして。こいつが、何かご迷惑を?」
「とんでもない! 人手が足りないだろうからって、お手伝いしてくださってるんですよ! 本当に助かってるんです!」
「なぁに、てぇしたこともできねぇんすけどね! こう、ご立派なお医者先生のお役に、ちょっとでも立てればいいなぁ、なぁーんて。どうせ暇っすからねぇ!」
なにがなぁーんてだ、天下国家のことをしっかりやれ。
そんな言葉が出そうになるのを、ぐっと飲みこむ。
まあ、ダイ公が必要なのは、よほどの時のみである。
大抵のことは、「良きにはからえ」でおしまい。
いかにも癪に障るが、「ヒマ」というのは、一応事実である。
「トキ! 手伝ってくれ! 少し厄介な治療だ!」
「厄介!? 先生! 治るのですよにゃ、先生!」
「大丈夫! そう難しくはない術式ですので! 落ち着いてください!」
「はいっ! すぐに!」
どうやら、リットクに何か病気が見つかったらしい。
ただ、先生の言葉や落ち着きから見るに、治る見込みはあるもののようだ。
もちろん心配ではあるが、リットクの取り乱しようを見ると、かえって落ち着いてくる。
「お付きの方、貴方ですな! ご安心ください、今説明申し上げますが、九分九厘治ります! まずはこちらに!」
どうやら、雪安先生は付き添いにも病の説明をしてくれるらしい。
そちらに行かなければならないようだ。
とりあえず、ダイ公に釘を刺しておかなければならない。
「お前ぇ、そこでじっとしとけよ」
「でも兄貴、洗濯物を干さねぇと」
「わかった、干したら、ここで待ってろよ」
「へいっ!」
いったい、今日は何なのだ。
ゼヴルファーは思わず、ため息を吐いた。
いつもよりずいぶん遅くなってしまい、申し訳ありません
少々体調を崩しておりましたが、復調致しました
明日の朝型の更新もできるかどうか、時間的に怪しいですが、ご容赦いただければ幸いです




