手学庵お節介帖 「赤い亀」3
太平の世とはいえ、そこは武門の家柄。
各魔王家は、様々な形で武力を抱えていた。
密偵、忍びなども、その一つである。
中でも術魔王家は、そういった手合いを多く抱えていることで有名であった。
戦国の世より、裏の裏、そのまた裏から大魔王家を支え、影の仕事を担ってきたもの達。
術魔王家は魔法による戦働きだけでなく、そういった者達の頭としての役割も持っていたのである。
むろん、それは今の世も変わらず、諸国に張り巡らされた密偵の網を操り、時に支えることも、術魔王家の大切なお役目であった。
そんな術魔王家の中にあって、屈指の忍びと称される男がいた。
“霞の”ゴードルフである。
その腕前はあまりにもすさまじく、「大魔王室の忍」と呼ばれるほどであった。
警備厳重な魔王城の中をたった一人で掻い潜り、大魔王様の寝所までたどり着くことが出来るほどの腕、という意味であり、つまるところ当代一とうたわれているわけである。
さる西方の魔王領に侵入した際などは、敵に発見されはしたものの、そのすべてを掻い潜り、国を脱出していた。
あるいは、わざと見つかってかく乱することも任務だったのでは、と言われているが。
真実は術魔王家だけが知るところである。
さて、その“霞の”ゴードルフだが。
手学庵の厨房で両腕を組み、真剣な面持ちで唸り声をあげていた。
「さて、どうしたものか」
ここが悩みどころ、一つ間違えば命も危うい。
そんな気配すら漂わせながら迷っているのは、今夜の献立である。
この日、手学庵では料理の勉強会が行われていた。
ゴードルフが料理上手ということで、近所のもの達が習いたいと集まってきたのが、きっかけである。
今では女将さん連中や、若い娘さんなどが集まり、ワイワイと楽しく料理を習い、それを食べながらおしゃべりをする会となっていた。
十日に一度ほど開かれるこの会の時は、子供達の手習いはお休み、となっている。
なので、エンバフが日のあるうちに出かけなければならないときは、この日を見計らうのが常となっていた。
この日作ったのは、つみれ鍋である。
大魔王都では、魚というのは魚屋がおおよそ調理を行ってくれるものであった。
骨を外し、切り身として持ってきてくれるのだ。
大魔王都の住民は鮮魚が好きで、よくこれを刺身などにして食べている。
だが、買ったはいいものの、あまり鮮度が良くない、あるいは落ちてしまうことも少なくなかった。
氷などを使って保存することもあるのだが、それは魔法を使えるようなものがいなければできない方法。
暖かい時期ともなれば、生魚にあたって腹を壊す、などというのも少なくなかった。
そうならないためには、やはり火を通すのがいい。
つみれにする、というのは、正にうってつけの方法だ。
女将さんや娘さん連中の受けもよく、勉強会は好評で終わった。
さて、問題は好評すぎて、すっかりつみれが売り切れてしまったことである。
夕食に回すつもりだったのだが、もう一つも残っていない。
むろん、魚の切り身もなかった。
さて、どうしたものだろうか。
ゴードルフには、今の術魔王、エンバフの息子から課せられた使命がある。
「親父は放っておくと毎日晩酌をするだろう。なるだけ、飯粒を食わせてやってくれ。体の為にもな」
御当主からのご命令であるから、否があろうはずもない。
何とかして飯を食べていただきたいのだが。
つみれがないというのが、痛い。
本来はソレを味噌汁にして食欲をそそり、飯を食べていただくつもりだったのだが。
残念ながら、汁しか残っていない。
これもうまいのだが、いかんせんこれだけでは。
さて、残った材料を見回してみるが、野菜などしかない。
あとは、握り飯の具にしたものが少々。
では握り飯を、と思いたいところだが、そうもいかなかった。
大魔王都の一般家庭で飯を炊くのは、一日に一度だけ。
朝に温かい飯を食う、ということが多かった。
対して、手学庵では昼に炊くことになっている。
子供達に、温かい飯を食べさせたいという、エンバフの意向からだ。
なので、今あるのは冷や飯であり、握り飯には向かない。
湯漬けなどにして食べるしかないのだが。
はて、どうしたものか。
野菜や山菜の類に、握り飯の具。
鍋用の汁に、冷や飯。
それと、生卵がいくつか残っている。
高級品であるが、術魔王家の城では鳥を飼っており、そこからくすねてきたものである。
「ん! そうだ、あれをやってみよう」
ゴードルフの中に、唐突なひらめきが舞い降りた。
これがあるから、料理は楽しい。
この日の夕食は、少々変わったものであった。
野菜中心の天ぷらなのだが、汁が少々変わっている。
丼になみなみと、温かい汁が入っているのだ。
いわゆる「大魔王都風の汁」より、色は薄いように見える。
「こちらは今日の勉強会で作った出汁なのですが、天ぷら用に味を調えました。ご隠居は、天抜きをご存じで?」
「おお。知っているよ。蕎麦屋のな」
蕎麦屋が常連にだけ出してくれる、幻の酒のあてである。
天ぷら蕎麦から肝心なもの、つまり「蕎麦」を「抜いた」もので、つまり丼に汁と天ぷらだけが浮かんだものであった。
これを出してもらえるようになるには、十年は通わねばならない、と言われている。
もちろん、本当に十年通わねばならないような「本物の老舗」はそう多くない。
そのぐらい顔なじみになり、店主に信頼してもらわないと出してもらえないよ、という意味である。
「実は、勉強会でつみれ鍋を作ったのですが、全て食べきってしまいまして」
「よほど好評だったんだな。おお、本当はそれが、夕食に出るはずだったのかな?」
「はい。そのつもりだったのですが」
「なになに、皆が美味しいものを食べられるのが何よりさ。そうか、それで、夕食がこうなったか」
丼の汁には、何も入っていないわけでは無かった。
焼いたネギと、青い葉物なども浮いている。
よく出汁が効いているようで、実に良い香りだ。
「つみれに使った魚の骨を焼いて、それと昆布で出汁を取ってあります。その汁に、ドボンと天ぷらを沈めて、召し上がっていただければと」
早速、言われた通りにやって見ることにする。
箸で天ぷらをつまみ上げ、たまげた。
大魔王都で天ぷらというのは、具にうどん粉を薄く纏わせて揚げる、素揚げのようなものが主流である。
だが、これは衣が思いのほか厚い。
しかも、黄色味がかっている。
「ほう、金ぷらか! 贅沢だな!」
金ぷらというのは、衣に卵を使い、黄金色に揚げた天ぷらのことである。
こちらの世での天ぷらに近い形だ。
いくら出回っているとはいえ、卵というのは贅沢品。
それを使うというのに、エンバフは驚いたのだ。
だが、ゴードルフは苦笑いを浮かべる。
「そういいますが、ご隠居も現役の頃は毎日召し上がっていたではないですか」
確かにその通りである。
卵は活力になるからと、丸ごと塩ゆでにしたやつを、よく食べていた。
多い時には、一日に五つも六つも食べていたものである。
「ううむ。そういわれればそうなのだが。全く、恐ろしい贅沢をしていたものだな」
苦虫をかみつぶした顔をしていたエンバフだが、漂ってくる出汁の匂いに我に返った。
慌てて、天ぷらを汁に沈める。
衣が程よく汁を吸ったところを見計らって取り出すと、ガブリ、と齧る。
レンコンである。
まず感じるのは出汁の香りで、これが口から鼻に抜けていく。
それだけでもう美味いのだから、出汁というのは偉大だ。
ザクリ、とした衣の食感。
よく揚がった香ばしさと風味がよい。
その奥に、レンコンがいる。
ザクリとした中に粘り気がある、レンコン独特の食感が楽しい。
泥臭い、などという言葉は、とかく悪くとらえられがちである。
だがこのレンコンの味は、「美味い泥臭さ」と言わざるを得ない。
ざく、ざく、とレンコンを噛みしめ、浮いている葉物野菜をつまみ上げて口に入れる。
これはシンソウ菜と言って、大魔王都近くのシンソウ村が名産としている野菜だ。
癖がなく、程よい柔らかさと歯ざわりが心地よい。
汁にもよくなじんでいて、天ぷらとの歯触りの差が楽しい。
これが流れぬうちに、米酒を飲む。
熱燗にしたキリリとした酒が、喉にすとんと落ちていく。
「っん、はぁーっ。これは、よいなぁ」
ウド、ちくわ、ササガキにしたゴボウのかき揚げ、木の芽、変わったところでは大根もある。
「ほう、この大根はよいな」
ザクっとした歯触りがありながらも、汁気がたっぷりとある。
この汁気が、またいい。
天ぷらそのものも当然美味いのだが、またこの汁がいい。
塩をわずかに振って齧る、というのがいかにも通といった食べ方だろう。
だが、温かく、それそのものがごちそうというような汁にどっぷりと浸けて食べることの、なんと気持ちのいいことだろう。
「これは、酒が進むな」
また手酌で、と徳利を持ち上げたところで、エンバフはふと手を止めた。
この手学庵では、エンバフもゴードルフも、膳を並べて飯を食べることになっている。
本来ではありえないことだが、ここでのエンバフは元術魔王ではなく、「どこぞのご隠居」ということになっている。
そういった「武家の作法」は気にせず、美味いものを美味く楽しむために、膳を並べることになっているのだ。
そのゴードルフの膳に、エンバフのところにはないものが乗っていた。
「ゴードルフ、それは何かな」
「これですか? ちょっとしたおじや、というか、出汁茶漬け、といいますか。天ぷらをつける汁に飯を入れて、少し温めてやったものです」
「ほう、出汁茶漬けな」
「ちょっとした店などに行くと出すのだそうです。天ぷらを飯の上にのせて、出汁をかける。酒の締めになるのだそうでして。ご隠居はお酒を召し上がるとおっしゃっていたので、いらないかと思いまして」
エンバフは、酒を飲むときには飯を食べないことが多かった。
酒と肴だけを楽しむのである。
そのため、息子に心配されるのだが、当人はどこ吹く風であった。
「そうか。美味そうだな。いや、美味いだろうな」
この汁に、飯を入れる。
元々鍋に使うものだったというだけあって、旨味が強い。
飯に合わないはずがないだろう。
エンバフは自分で想像し、思わず唾を飲み込んだ。
それだけではない。
「ここにですね、昼の握り飯で残った具材を、散らしてやるんです」
貝の甘辛煮や、漬物。
横で見ているだけのエンバフにとっては、もはや暴力だ。
「お銚子をもう一本、お持ちしましょうか?」
声をかけられ、エンバフははっとなって銚子を振った。
どうやら、中身は空だったようである。
「いや、出来ればわしも、それを食いたいな。面倒だと思うが、出来ないかな?」
「ああ、はい。いえ、面倒だなんてことはありませんよ。汁に飯を入れて、少々温めてやるだけですから。すぐにお持ちしますので、お待ちください」
ゴードルフは立ち上がり、台所に向かった。
その顔には、にやりとした笑いが浮かんでいる。
ご隠居に飯を食わせる。
この日の勝負も、ゴードルフの勝ちであった。
飯を食い終わったところで、エンバフは亀のことについて話をした。
「ヨセギアカガメ、ですか。危険はなかったのですね」
「そうだな。草食の亀だそうで、今はマウエブロに預けてある」
亀は、エンバフが魔法で捕まえていた。
元とはいえ、術魔王であった男である。
亀一匹捕まえるのなんぞ、造作もないことであった。
捕まえた亀は、マウエブロが薬草園に連れて行っている。
あの男に任せておけば、まず間違いないだろう。
「さて。あの場所だがな、どん詰まりなのに、水の流れがあった。水路のそういった場所は、底が抉れやすくなっておるのさ」
底が抉れると、様々な弊害がある。
水路は船だけでなく、水に親しみの深い種族が通路として使うこともあった。
当然、「水路の中」も整備を怠るわけにはいかない。
地上の道と同じく、整備してやらねばならないのだ。
「普通は上流から砂やらが流れてくるが、あそこはそうはいかない。となれば、よそから持ってきてやる必要がある。見ればあの池の底は、土の色が違う場所があった」
池の底は、透けて見える程度には水が澄んでいた。
だからこそ、わかったことである。
「番屋に聞いてみれば、やはり最近になって土を入れたそうでな」
「なるほど。まさか」
「ヨセキアカガメは、泥や土の中に潜って寝ることもある。という話でな。つまり、えぐれた水路の底を補修するための土に、亀が紛れていたのではないか。わしはそう見たわけさ」
「マウエブロ殿は、なんと」
「うむ。的外れではない。というより、以前に似たような話を聞いたことがある、ということだった。最も、それは龍だったらしいがな」
「ああ。蜃ですか」
有名な歴史、古典の類である。
ある魔王家で開拓をしている時、土と一緒に蜃という魔物を掘り返し、別の場所に捨ててしまった。
蜃というのはハマグリのような見た目をしているのだが、実はその中に龍が住んでいる。
これは周囲を霧で満たし、幻覚を見せたり強力な術を使ったりという凶悪な龍であった。
知らぬうちに住処を追い出された蜃は怒り狂い、暴れに暴れた。
なんと悪いことに、この捨てた場所というのが開拓をした魔王家のものではなく、別の魔王家の土地であったから、話がこじれた。
すわ戦か、というところまで行ったのを、当時の大魔王様が出張ることで、ようやく収めたのである。
「そう、それよ。はは、まぁ、こちらは大人しい亀なのだがな。だからと言って、生まれ故郷から突然連れ去らわれたのは変わらんだろうさ」
「ヨセキアカガメが大人しくて、助かりましたね」
「まったくだ。とはいえ、まだそうと決まったわけでは無いからな。水路底の色が違う土を、拾っておいた。明日にでも本家に持って行って、調べるように伝えてくれ」
本家というのは、術魔王家のことだ。
古今東西、全ての魔法が集まっているといっても過言ではない場所である。
様々な術と知識によって、おおよそのことは調べることが出来た。
「土というのは、場所場所によって違うのだそうでな。調べれば、おおよその出どころはわかるのだそうだ。本家には、少なくとも大魔王都中の土が保管してある」
「ならば、それを持っていけば」
「ヨセキアカガメの生息地と土の作りが同じであれば、当たりだろうな。おそらく、そこから持ってこられたのだろう。あとは、その周辺で、最近になって土を掘り返して売ったものを当たればよい」
「わかりました。そのように。しかし、どういって調べてもらうのですか?」
「そうだな。流石に亀を元の池に戻すため、などと言ったら、文句を言われるかもしれんな。よし、迷子の親を探すため、とでも言っておけばよいさ」
「迷子ですか。確かに、亀も生き物。誰かの子ではありますね」
これが、余計な憶測を呼び、面倒事に発展するのだが。
この時のエンバフはそんなことになろうとは、露ほども思ってなかったのである。
ネタが尽きるとあれ何で、あんまり飯ネタはやらんように、と思ってるんですが
思ってるだけで終わります
なんでだ