風来坊必殺拳 「夢見の粉」2
鉄拳魔王家に仕える男装の幽霊、アルガは、家令である。
家の内向きの事全般を取り仕切っているのだが。
主な仕事は掃除洗濯料理などといった、本当に「内向き」の事ばかりであった。
なにしろ鉄拳魔王家に仕える家来と呼べるものは、ほんの四人しかいない。
ご近所から来てもらっているお手伝いさんなどはいるのだが、それだけでは手が足りない。
では、女中なり家来なり雇えばよいのでは?
もちろんそうしたいところだが、先立つものがないのである。
三百余ある魔王家の中で、唯一ご領地を持たぬ鉄拳魔王家は。
常に金欠なのであった。
よって、買い出しなどもアルガ自ら行わなければならない。
野菜や魚などは振り売りがわざわざ運んできてくれるが、そうはいかないものもある。
漬物などが、その最たる例だろう。
古来、漬物は寺院が作るものであり、それを買うことはお布施の一環、功徳とされている。
特に大魔王都に置いて、漬物の製造販売は寺院の特権とされていた。
個人で使う範囲で作る分には咎められぬのだが、やはり作り慣れているモノが作った方が、旨い。
この日、アルガはいつもの寺院で、季節の漬物を買った。
その寺院は自前の畑で作った野菜を使っているためか、素晴らしく味が良い。
良い買い物が出来たと、ほくほく顔で帰路に就くことが出来た。
「いやぁ、いい買い物が出来ました! やっぱり旬の漬物は良いものです! ま、私は食べられませんけど」
何しろアルガは幽霊である。
物を直接食べることはできないのだ。
お供えしてもらえば、いくばくか味や生気は得られるのだが、やはり直接食べるのとは一味違う。
今更生身の体に未練などないものの、そこだけはいささか寂しくあった。
「それにしても、真昼間から幽霊が出歩けるというのもありがたいですよねぇ。大魔王都は暮らしよい所です」
何しろ、大魔王都は種族の坩堝である。
昼間から幽霊がうろちょろしていようが、気にとめるものなど居はしない。
それでも、「漬物桶を抱えた、男装の幽霊」というのはいささか珍しいようだ。
幾人かの人が振り返ったりはするものの、特別気に掛ける様子もなかった。
アルガは運河にかかる、橋に通りがかる。
「おや? あれは?」
そこで、思わぬ顔を見つけた。
橋の欄干によりかかり、運河の流れを見ているダイ公である。
いつもはニコニコとして楽しそうに歩いているのだが、この日は少々違っていた。
なにやら、ぽかーんとした、いかにもな間抜け面をしている。
これは不味い。
アルガは思わず、顔をしかめた。
こういう顔をしているときのダイ公にかかわると、ロクなことがない。
またぞろ、「例の病気」が出たのだろう。
出来れば避けて通りたいところが、そういうわけにもいかない。
何しろ相手は、大魔王様である。
「仕方ありませんねぇ」
幽霊は諦めが肝心。
アルガはダイ公に声をかけようと、宙を漂いながら近づいて行った。
少し漬かり過ぎたぐらいの漬物を塩抜きして、細切りにする。
水気をよく絞った後、鰹節を乗せ、しょうゆを垂らす。
これで、「かくや」と呼ばれる一品の出来上がりである。
細く刻んだ漬物のことを「かくや」というのだが、少なくとも鉄拳魔王家で「かくや」といえば、これであった。
漬物の酸味と、鰹節のうまみに、しょうゆのコク。
これが存外に相性がよく、白飯の友として大変に優秀である。
夏の暑いころなどは、冷めた白飯に熱い茶を注ぎ、茶漬けにする。
それに「かくや」を添えると、これが格別に旨い。
刻む漬物は、大根、キュウリ、カブなど、何でもよかった。
ゼヴルファーは、キュウリとミョウガで作ったものが好みである。
漬物になったキュウリのさわやかさと、ミョウガの歯触りと心地よい刺激。
これで茶漬けをかきこむのは、夏バテ防止というよりも、それそのものが楽しみである。
そろそろアルガが、寺院から帰ってくる頃だろう。
買ってきた漬物はどんなものか。
ゼヴルファーがいそいそと台所に顔を出すが、肝心のアルガの姿がない。
まだ帰っていないのか、それとも別の用事をしているのか。
探すほどの用もないし、部屋に戻ろう。
「おおう!?」
そう思ったゼヴルファーの目の端に、ひょっこりと顔を出すものがいた。
すわ曲者か、と驚いたゼヴルファーだったが、すぐに何者か思い出す。
ダイ公に陰から付き従っている、護衛の忍びの一人である。
わざわざ顔を出したということは、何事かあったのだろう。
その表情を見ると、何やら心底困り果てた、という色が見える。
そして、鉄拳魔王家の縁側の方向を指差した。
忍びの者たちは、むやみに声を出すことが出来ぬ。
表向きはいないものとなっているので、正規の場所でないときに意思を伝えるには、表情と手振りだけと決められていた。
なんとも不思議な決まり事だが、まぁ、初代大魔王様がこの世を治めてから幾星霜。
不思議な決まり事など、今更珍しくもないのである。
さて。
大魔王付きの忍びが困った顔をしているとなると、ゼヴルファーには思い当たる節がある。
「まさか、またぞろ悪い病気が出たってぇのかい?」
忍びは苦虫をかみつぶしたような顔で、コクリと頷いた。
全く厄介なことになったものである。
ゼヴルファーは大げさにため息を吐いた。
古今東西、大魔王家に釣り合う格式のある家というのは、存在しない。
例えば大領地を持つ魔王家であろうが、橋の下で寝泊まりをする河原モノであろうが、大魔王様から見ればほとんど同じ。
どちらも「身分卑しきもの」なのである。
よって、大魔王様が伴侶とするものについては、その格式は一切問わぬ。
大魔王様が「伴侶」と認めたこと、それそのものが、すなわち「格式」となる。
というのが、習わしであった。
たとえば、先々代大魔王様のご正室様は、茶屋の奥で働く下働きであった。
お忍びで大魔王都をふらついていた先々代大魔王様の目に留まり、求婚を受けたと伝えられている。
身分を隠しての求婚は、それはもう熱烈なものであったと伝えられている。
当時のことを知る鉄拳魔王家の家老リットクなどは、当時のことを思い出すたびに苦い顔をする。
「静林院様(先々代のご正室様)はそれは控えめな性質のお方でにゃ。
自らが見目麗しくないから、などと表に出るのを恥ずかしがておられたんだが、先々代大魔王様は全く意に介しておられなかったのだにゃ。
今から思っても、彼の種族からすれば確かに特別見目麗しいといったことはなかったのですがにゃ、かと言って気になされるようなお姿ではなかったものにゃのですが。
きっと、何かしらご事情があったのでしょうにゃぁ。
まあ、ともかく。
大魔王様は押しの一手で静林院様を口説きに口説き、最後には嫁になってくれぬなら死ぬ、と地べたに手までお着きになったのですにゃ。
もっともそのころにはすっかり絆されていた様で、そこまでしなくてもよかった、と、後年お笑いになっておられたのですがにゃぁ」
事程左様に、大魔王の伴侶となるに身分は問われぬ。
大魔王様が惚れさえすればよい、というのが、常識であった。
ただ、これには一つだけ、秘された「条件」がある。
魔王家三百余りのなかでも、知る者の方が圧倒的に少ない、まさに秘中の秘とされる条件であった。
相手に、ほかに惚れた相手がいない。
恐れ多くも初代大魔王様がお定めになった、大魔王が守らねばならぬ数少ない「戒め」の一つである。
何しろ、大魔王とはこの世でただ一つのもっとも尊き身。
おおよそどんな「わがまま」であろうと、通すことが出来る。
だからこそ。
人心真心に土足で踏み込む事べからず。
それをすれば、大魔王はたちまちただ一匹の魔物。
単なる災いとなるだろう。
誠に素晴らしき心がけではないか。
もっとも。
これを初代大魔王様が定めた背景には、「好きな人がいるから」と幾たびも振られ続けたという背景がある。
その際、一人の家臣がこういったとされている。
「お前さん、好いた男がいる女を押しかけまわすなんざぁ、粋じゃねぇよ。だからモテねぇんだ」
これを言ったのは初代鉄拳魔王であり、以来どういうわけか、鉄拳魔王家は大魔王様のご結婚をお手伝いするという「使命」を頂くこととなった。
もちろんこれは「秘中の秘」で、ほとんど知るもののないことである。
秘密を知る四天王達などは、本当に気の毒そうな顔を鉄拳魔王家に向ける。
なにしろ歴代の大魔王様には、困った性質があった。
どういうわけか、気にいる相手には多くの場合、「思い人」がいるのである。
世の人間の多くがそうであるからなのか、あるいはその「恋心」にこそ、大魔王の目が美しさを見出すからなのか。
まこと横恋慕の多いその性質は、大魔王が守らねばならぬ「戒め」と相反するものであった。
つまりダイ公が恋をする場合、大抵はそれが叶わないわけで。
それをあきらめさせるのも、鉄拳魔王家の「使命」なのであった。
鉄拳魔王ゼヴルファーは、己の居城の縁側にやってきた。
その隅でこそこそとうごめいているのは、当家家令とダイ公である。
何やら二人でこそこそと、話し合っているようであった。
「ホントっすね!? ほんとに色々調べてきてくれるんすよね!?」
「お任せください。このアルガ、幽霊でございますので。諜報偵察大得意。ご明示頂けますれば、それはもう棺桶に入ったつもりでお待ちください」
「なんで棺桶なんですか、すんごいダメそう」
「何をおっしゃる。幽霊にとって棺桶といえばそれはもう貴いもの。豪華な屋形船や大魔王軍所有の軍艦にも劣らぬものですよ」
「そうなんすか? じゃあ、それでもいいんすけど。とにかくお願いしますよ!」
「ふっふっふ。その前に、約束のものを」
「わかってるっすよ。コレ、うちでお客さん来たときに使うお箸。こんなもんでいいんすか?」
「ファー! コレが! 大魔王様ご主催の晩餐会でのみ使われるという、銀箸!! なんと精緻極まる彫刻でしょう! これを我が家の食器棚に並べれば、それは得も言われぬ喜びに思わず成仏してしまうかもしれません!!」
ゼヴルファーは激しい頭痛に何とか耐えながら、アルガとダイ公の頭に拳骨を落とすのであった。




