手学庵お節介帖 「かどわかし騒動」9
刻んだ長ネギとショウガを、ごま油で炒める。
これに、味噌とみりん、砂糖などを入れ、しっかりと混ぜる。
白飯に乗せても良し、蕎麦がきなどに付けても良い、焼き味噌の出来上がりだ。
持ってきていたこれを、同じく準備してあったしゃもじに塗り付ける。
囲炉裏の炭火で炙ってやって、焦げ目をつける。
香ばしい香りが漂ってきたら、それで十分だ。
おかずにもなるし、酒のつまみとしてこれほど頼もしいものもない。
軽い副菜として漬物でも、と思っていたのだが、いかんせんそれだと嵩張りすぎる。
量が少なく、それでいておかずになるものをと思って用意してきたのだが、存外当たりだったようだ。
ゴードルフはこれを思いついた自分に満足し、ニヤリと笑う。
「あの、旦那。悠長に料理なんてしてて、大丈夫なんですかね?」
ゴンロクとモスケが、不安そうな顔で尋ねる。
セイイチロウの方は慣れたもので、いかにも楽しみだといった顔で座っている。
「こういったときこそ、温かく美味しいものを食べなければなりません。良い仕事というのは、美味いものの上に成り立つのです」
そもそも仕事というのは、美味いものを食べるためにするものである。
現役の頃、ゴードルフは兵糧丸などというものだけを口にして、何日も働き詰めといった事がザラにあった。
兵糧丸というのは、氷砂糖や穀物の粉、乾燥野菜、米粉などを練り合わせた、携帯栄養食の一種である。
味を調えたり人に食べさせるつもりで作れば、そこそこのものは出来上がる。
だが、機能と栄養一辺倒の実用的なものとなると、これが人の食うものかといった味になりがちであった。
ゴードルフも当時は「体を養えればよい」と、全く何も思わずに食べていたものだったが。
今となっては、全く身の毛のよだつ話である。
本当に忍びなどというものをやめられてよかったと、食事の度、心の底から思う日々である。
もっとも、エンバフも本家の者も、誰もゴードルフが忍びをやめたなどとは思っていないのだが。
さて、副菜が出来上がったところで、主菜の準備である。
とはいっても、これは焼き味噌よりもはるかに簡単だ。
持ってきていた握り飯を、茶碗に入れる。
そこに、熱湯をかけるだけで、出来上がりだ。
当然のこと、ただの握り飯ではない。
まず中身には、昆布と貝の煮物を入れてある。
貝は手学庵の子供達がとってきたもので、小さいものを殻から外して使っている。
これを、刻んだ昆布と一緒に、醤油、みりん、砂糖などで煮たてて、作ってあった。
また、握り飯の周りには、おぼろ昆布が巻いてある。
おぼろ昆布は、乾燥させた昆布を、専用の道具で削ったものである。
向こうが透けて見えるほどに薄い昆布は、口に入れるだけでじわじわと旨味が染み出して来て、それだけで酒のつまみになった。
また、おぼろ昆布を椀に入れ、醤油をさし、お湯を注ぐだけで、吸い物になる。
昆布と貝の煮物が入った、おぼろ昆布で包んだ握り飯。
これにお湯を注げば、どうなるか。
昆布と貝の旨味が溶け込んだ汁をかけた湯漬け、といった具合になる。
まず、何より香がいい。
出汁の香りというのは、温かさを加えられると、驚くほどに発揮される。
あたり一帯に「美味いぞ、早く食べろ」とせっつき始めるのだ。
渋い顔だったゴンロクとモスケも、じっと茶碗を見つめている。
「さて、出来ましたよ。いただきましょう」
香をたっぷりと楽しみながら、汁をすする。
出汁と、煮ものの醤油の味が程よい。
少し濃い味付けにしたのは、正解だったようだ。
飯をほぐして、行儀悪くすすって食べる。
いや、むしろこういったものは、すすることこそが礼儀だといってよい。
つまり、これが正しい「行儀」なのだ。
すすることで、口いっぱいに広がった香が、一気に鼻に抜ける。
香りに誘われて、腹の奥が痛くなるほどに食べ物を欲し始めた。
何とか堪えて米粒を噛むと、じわり、じわりと旨味がにじみだしてくる。
昆布と貝、醤油と白飯の味が、舌に心地よい。
どこか優しさを感じさせる塩味と甘み。
飲み下せば、安堵感に思わずため息が漏れた。
やはり、食事というのはこうでなければならない。
「うめぇ! 湯漬けなのに、こんなに美味いもんなんですねぇ」
「ホント、ほんと! でもアニィ、米だけは、やっぱ村で食ってたののほうがうめぇ気がしますね」
「この、馬鹿! す、すみやせん、旦那」
ゴンロクがモスケを殴り、ぺこぺこと頭を下げる。
だが、ゴードルフはむしろうれしくなっていた。
「故郷の水で炊いた、故郷の米より美味いものというのは、そうそうないものだそうです。それと比べられたのなら、むしろ名誉なことですよ」
食事というのは、記憶と共にするものでもあるらしい。
自分を養い、支えて来てくれた味。
それに勝るなどというのは、簡単なことではない。
あるいは、不可能なのではなかろうか。
しかし、残念なことに、ゴードルフにはそういった味がなかった。
子供のころから、密偵、忍びとなるべく仕込まれてきた。
ゴンロクとモスケの二人は故郷にいられなくなったわけだが、少なくとも、故郷の味を「美味い」と感じることが出来るらしい。
それはゴードルフにとって、いささか羨ましいことであった。
「さて、食べ終わったら、お二人は一仕事ですよ。ご隠居に言われたことは覚えていますね?」
「へ、へぇ」
「なんとか、やってみます」
こちらは、大丈夫そうである。
なれば、ゴードルフは別のことを心配しなければならない。
ことが終わった後は、是非、うどんかそばを食べたい。
わざわざこんな時間に出てきたのだから、体を温めて帰りたいところなのである。
果たして、美味い屋台、あるいは遅い時間にまでやっている店があるだろうか。
ゴードルフにしてみれば、ヤクザ者を陥れるより何十倍も大事な問題であった。
セイイチロウが捕らえられている、ということになっている小屋に、センザエモンがやってきた。
子分を五人ほど引き連れており、皆、長ドスなどの得物を携えている。
「なんぞ、物騒ですね」
「一応、何があるかわからねぇからな。俺自身が動くときは、護衛を付けておかなきゃならねぇのよ。まったく、大魔王都ってのはあぶねぇところだな」
いけしゃあしゃあと言ってのけるセンザエモンに、ゴンロクとモスケは思わず感心した。
事情を知った今となっては、どう考えても自分達を始末するためのものとしか思えない。
「しかし、うまくいってよかったですよ。言われた通りかどわかしをしましたが、子供の名前はセイイチロウってんでよかったんですよね? いや、何度も聞くようで、申し訳ねぇんですが」
「なになに。心配するのも当然だ、こんな仕事なんてなぁ、そう頼まれるもんでもないだろうからな。セイイチロウで、間違いねぇ。あとは、顔を確認すれば大丈夫さ」
センザエモンは小屋に近づいていくと、戸を少しずらし、中を覗き込んだ。
そこからは、縛られた姿のセイイチロウが見える。
「よしよし、間違いねぇ」
「顔はわかってるんですかい?」
「もちろんさ。何度も確認したし、似顔絵まで用意させたからな。おめぇさん達にも見せただろう?」
センザエモンは呆れるほど用意周到で、ゴンロクとモスケに似顔絵まで見せていたのだ。
しかも、見せた後は証拠が残らないように、きっちり回収している。
「見ました。じゃあ、問題ねぇんですね」
「ああ、問題ねぇ。よし、ちょっと渡してぇもんがあるんでな、あっちに移ろうか」
センザエモンの先導で、小屋から少し離れた場所に出る。
ゴンロクとモスケは、そのあとをついていった。
「いってぇ、なんなんです?」
「なぁに、このかどわかしの始末のために、必要なもんを用意しなくちゃいけなくてな」
センザエモンが、手を叩いた。
すると、草むらから竹やりが突き出された。
ゴンロクもモスケも、すんでのところで避けることが出来た。
どうせこんなことだろう、とわかっていたから、体が反応したのだ。
もし事の真相を知らないでいたら、串刺しにされていただろう。
「ちっ、避けやがったか。悪運のつえぇ野郎だ。まあ、いいや、おう、全員で始末しな」
武器を手にしたセンザエモンの子分達が、ぞろぞろと姿を現す。
「こいつぁ、いってぇ、どういうことだ!」
「静かにしねぇか。俺はおめぇらを始末した後、あのガキを助け出さなきゃならねぇんだからなぁ」
「なにぃ? どういうことだ! かどわかせっていったなぁ、アンタだろう!」
「その通りよ。だが、俺はあのガキに顔を見られちゃいねぇ」
「まさか、助け出した恩人にでもなろうってのか?」
「なんだ、案外察しがいいなぁ。その通りよ。あのガキが何者か知ってるか? ウッドタブ商会の跡取りだ! 俺はその大恩人になるって寸法よぉ!」
センザエモンはどこまでも気分よさげに、笑い声をあげた。
己の企み事は成功したも同然、といった顔である。
「冥途の土産が出来てよかったなぁ! おい、おめぇら! さっさとこの二人始末しろぃっ!」
センザエモンの声に、子分達が二人に襲い掛かる。
その時だ。
武器を持った子分達の腕に、どこからか礫のようなものが飛来した。
「ぎゃぁっ!!」
「いってぇえ!」
その勢いはすさまじく、武器をとり落とすだけならまだしも、中には地面に転がるものまでいた。
驚いたセンザエモンは、飛んできたものに目を向ける。
「これは、胡桃か?」
固い殻に覆われた木の実、胡桃である。
そんなものが自然と飛んでくるわけがない。
何者かが投げたのだ。
瞬時にそう気が付き、センザエモンは血相を変えて辺りを見回した。
そして、気が付いた。
数多くの足音に、提灯の明かり。
すっと現れたのは、左右に二人の町方同心を連れた、陣笠を被った武家であった。
「北町奉行所である。神妙にいたせ」
「ばっ、な、なぜ・・・」
何とか言い逃れをしようと、センザエモンは必死で頭を動かそうとする。
だが、陣笠の武家。
北町奉行、飛弾魔王ラブルフルードは、静かに告げる。
「諦めな、ウェストシー商会センザエモン。いいことを教えてやろう、そこにいるゴンロクとモスケはな、私の密偵なのだ」
「じゃ、じゃぁ、はじめっからっ!」
よくよく考えれば、それはいささか不自然だ、と気が付くだろう。
だが、この時のセンザエモンに、冷静になれ、というのはいささか酷である。
「ちくしょうっ! 捕まってたまるかっ!!」
いうが早いか、センザエモンは逃げを打った。
脱兎のような勢いで走るその背中に、ラブルフルードの手から放たれた胡桃が叩き付けられる。
「捕らえよ!」
もんどりうって転がるセンザエモンに、捕り手達が群がる。
ほかの手下達も、次々に捕らえられていくのであった。
「うわぁ、すごい迫力ですね」
小屋の中から外の様子を覗き、セイイチロウは興奮したような声を上げた。
その後ろからは、ゴードルフも顔を出している。
「でも、なんで自分のした悪さを自慢するようなこと言ってたんですかね?」
「ああいう連中は、基本的に目立ちたがりなんですよ。自分のしたことを誰かに自慢したくて仕方ないんです」
「そんなものなんですか?」
「商人が自分の付けた帳簿を、夜な夜な眺めてニヤついていたりするでしょう。それと同じです」
「なるほど! それならわかります」
それがわかるのもいかがなものか。
そう思ったゴードルフだったが、まぁ、ここでは黙っておくことにしたのであった。
思いのほか、長い話になってしまいました。
申し訳ない。
次回で締め、プロローグです。




