手学庵お節介帖 「かどわかし騒動」7
ウェストシー組の隠れ蓑であるウェストシー商会は、酒屋として中々評価の高い商会であった。
得意先への配達や店頭での接客態度なども良く、悪く言うものは少ない。
酒蔵などと契約し、独自の銘柄酒などもつくっている。
ただ。
従業員や酒蔵が、実のところ借金などで雁字搦めにされているなどといった話を知るものは、ほとんどいなかった。
そのうえで、タダ同然で働かせ、客からは「そこそこ」の値をとる。
元手や店の者に払う金が少なくて済むから、それでも驚くほどの利益が出るわけである。
傍からは見えにくい利益構造は、親分であるセンザエモンの悪知恵の粋を凝らしたものといってよい。
それでもなお飽き足らず、センザエモンは新たな利益を得ようとしていた。
欲の皮の突っ張ったものというのは、どこまで行っても飽き足らないものらしい。
悩んだ挙句センザエモンが思いついたのが、ウッドタブ商会に取り入る、という手であった。
天下の大商人であるウッドタブ商会と取引があるというのは、それだけで大変な名誉であり、信用を得られる看板になる。
ただ、そう簡単なことではない。
何しろ、ウッドタブ商会は今の世でいう所の、「巨大企業体」である。
売り物の大半を、自分のところで抱えた職人によって賄っている。
また、丁稚や手代、番頭、中居に至るまで、しっかりと身分を確かめたものだけを使っている、とされていた。
その辺のヤクザ者に入り込む余地など、微塵もないと言われていたのである。
だが、だからと言って指をくわえて見ているのは、あまりに惜しい。
センザエモンはどうにかできないものかと、情報を集め、考え続けた。
センザエモンという男は、常日頃から金儲けと縄張りの拡大に熱心な男であった。
そうでなければ、生き馬の目を抜く大魔王都のヤクザ業界ではやっていけない。
常に様々な情報を拾い集めているのだが、ある時こんな話が耳に飛び込んできた。
ウッドタブ商会の跡取りが、街場の学問所に通っているらしい。
そんな馬鹿な、と思ったのだが、とりあえずだけ調べさせてみることにした。
すると、どうやら本当らしいことがわかる。
蛇の道は蛇、こういったことはいくら隠そうと、調べ上げることが出来るものなのだ。
さらに調べてみると、どうやら送り迎えはそれほど手厚くないことが分かってきた。
あまり大袈裟にやると、かえって目立つからだろう。
むしろ敢えて少人数で動いた方が、安全な場合もある。
驚いたことに、警護が一人になることもあるのだとか。
これを知ったとき、センザエモンの頭の中で電撃のようにある計画が出来上がった。
それが、「かどわかし」である。
「跡取りが、かどわかされる。そうなりゃ、ウッドタブ商会は上へ下への大騒ぎよ。そこに、俺が現れて、颯爽と跡取りを助け出す。そうなりゃ、俺がウッドタブ商会の大恩人だ。連中も悪くはしねぇだろうさ」
センザエモンはニヤニヤと笑いながら、酒をあおった。
既に己の企みは上手くいった、と言わんばかりの顔である。
隣にいるのは、センザエモンの側近で、右腕とも言うべき男だ。
この男は酒を注ぎながら、うれしそうに笑う。
「その実、かどわかしを裏で仕切っているのは、センザエモン親分、というわけですか」
「ああ、その通りよ。だから、連中が隠れる場所も簡単にわかる。跡取りを助け出すのなんざ、簡単ってわけだ」
子分を連れて乗り込んでいけば、あっという間に救出は成功するだろう。
「なにしろ、実際に動いた連中は、ほとんど人伝で雇っていますからね。うちの組がかかわってるなんて、思ってもいないでしょう」
「直接会った連中にしたって、俺は偽名を使ってるからなぁ。そこからバレる心配もねぇ」
「ですが、顔を見た連中が居やすよ?」
「そういう連中にはな。跡取りを助け出すときのどさくさで、死んでもらうわけだ」
「なぁるほど。そうすりゃ、事の真相を知るのは、親分とあっしだけになる」
センザエモンという男は、極端な秘密主義であった。
部下を動かすときも、最小限の説明しかしない。
今回のことも全体像を知るのは、センザエモン自身と、この側近の男だけなのである。
いや、センザエモンも、あるいは側近の男も、詳細部に関しては知らない、と言ってもよい。
二人はお互いに仕事を分担し、互いに「知らないところ」を作っているのである。
そうすることで、捕まらないための対策をしているのだ。
「跡取りは、無事に捕まえたと知らせが来て居やす」
「あとは、ウッドタブ商会が跡取りのかどわかしに気が付いて、騒ぎになるのを待つばかり、か。そこで、事情を聴いた俺が乗り出すってわけだ」
「任侠者がかどわかされた子供を探すってのは、不自然じゃありませんか?」
「馬鹿野郎。俺はウェストシー商会の、センザエモンだぞ? 街の顔役としてちっとは名のしれた男だ。それが攫われた子供を心配して、何がおかしい」
「いや、そういわれてみれば、そうでした!」
センザエモンと側近の男は、楽し気に声をあげて笑った。
「ということのようです」
ゴードルフが事の真相を話し終えると、ラブルフルードは呆れたような感心したような溜息をついた。
場所は、ナツジロウの賭場である。
エンバフの手紙を受け取ったラブルフルードは、急ぎこの場所にやってきていた。
着流しに一刀を帯びただけの格好で、浪人か武家の部屋住みといった風体だ。
ナツジロウに「どちら様で?」と尋ねられたラブルフルードは、さも何でもないことのような顔で「うむ、隠密廻の一人だ」と言ってのけていた。
もし本当のことを知ったら、ナツジロウや子分達は腰を抜かすだろう。
「私が来るまでの間に、それを調べ上げていたわけですか」
「いえ、お互いに顔を知らなかったようですが、上手くかどわかしたことを知らせる手紙は渡しているわけですから。幾人かの手を渡って痕跡を消そうとはしたようですが。手紙に着いて歩いていけば、そんなもの意味はありません」
さも簡単なことのように言っているが、そんなことが出来るものはそういるものではない。
複数人で組となって動けば、そのぐらいの働きをする者達はいるだろう。
だが、たった一人でとなると、訳が違ってくる。
「まさかうちの孫のことで、こんなことになるとは。いやはや、ご迷惑をおかけしまして」
そう言って頭を下げたのは、ヨシサブロウである。
今頃店では、実質的に今のウッドタブ商会を取り仕切っているヨシサブロウの息子が、派手に騒いでいるはずであった。
むろん、息子が無事でこの賭場にいることは、知っている。
だが、犯人側にそれが知られるとまずい。
口止めはされている、ということになっているので、「跡取りがかどわかされた」と口には出さない。
しかし、何事か困ったことが起きた、とさも思わせぶりな態度を振りまいているのである。
「いや。ヨシサブロウ殿も息子殿も、さぞ気をもまれておるでしょう」
「なに。私はもちろん、息子も商人でございます。この程度の事、むしろ楽しめないようでは、店の主人など務まりません」
流石、大魔王都一の大商人といったところだろうか。
言葉通り、ヨシサブロウもその息子も、また、セイイチロウにしても、どこか楽しんでいる様子である。
「さて。しかしこうなると、どう始末をつけるのがよろしいですかね、ご隠居」
ラブルフルードに聞かれ、エンバフは唸った。
このまま行くと、センザエモンを捕まえるのは難しい。
いや、捕まえるだけならできるが、悪事の立証が困難だ。
もちろん今のままでも罪として裁くことは出来る。
しかしながら、やったことはそそのかした程度。
大きな罰を与えるのは難しいだろう。
「ふぅむ。そうですな。ならいっそ、連中にしっかりと攫ってもらいますか」
「しっかりと攫う。何やら面白い言い回しですね」
「流石、えっちゃんだ。悪知恵が働くねぇ」
どんな風にして、一泡吹かせてやろうか。
元四天王に、北町奉行、それから、大魔王都一の大商人。
三人は顔を突き合わせると、実に楽し気に話し合いを始めたのである。
今回は少々難産でした
読みにくいかもしれませんが、ご容赦頂ければと思います




