手学庵お節介帖 「かどわかし騒動」6
セイイチロウの送り迎えは、ウッドタブ商会の手代が行っていた。
手代といっても、店に時折現れる不埒モノに対応する、「用心棒」のような者達であり、今の世でいう「警備員」といった役割を担っている者達である。
これが、二人から三人。
手学庵から自宅への行き帰りに、しっかりと護衛をしているのである。
だが、これが手薄になることがあった。
月に一度か二度、護衛が一人になることがあるのだ。
エンバフから使いを頼まれたゴードルフが、付き添う時である。
そう、護衛が一人とは言っても、ついているのはゴードルフなのである。
実際のところ護衛は、数倍手厚くなったといってよい。
ゴンロクとモスケをそそのかした連中は、そのあたりのことをよくわかっていなかったようだ。
「不埒モノを釣るための餌だ、などとヨシサブロウは言っていたが。まさか本当に釣れるとはな」
エンバフは呆れたように、ため息を吐いた。
ここは、ナツジロウの賭場である。
縄で縛られた連中は倉庫の方に放り込まれ、若い連中が見張っていた。
ゴンロクとモスケはと言えば、縮こまって恐縮しきりといった様子だ。
「はぁ。その、申し訳ねぇ限りで」
「なぁに、二人が気にするようなことはないさ。実際にはかどわかしをしていないどころか、助けに入ろうとしていたわけだからね。それを咎めようだなんてのは、筋違いだとも」
実際この二人は、かどわかしにかかわったもの一人を殴り倒している。
身の証、というのも妙だが、これ以上に二人の覚悟を物語るものも無いだろう。
さて。
少し前のことである。
ゴードルフはかどわかしをしようとした連中を縛り上げると、ゴンロクとモスケに手伝わせ、ナツジロウの賭場へと運んだ。
ナツジロウの賭場、というのは、彼の出身である教会付きの孤児院で開かれていた。
土地の広さもあるし、周囲にはナツジロウの子分たちの目もあるので、隠れ場所としては非常に都合がいい。
ゴードルフたちの姿を見たナツジロウは、目を白黒させて驚いた。
だが、訳を話すとすぐに事情を呑み込み、快く場所を貸してくれた。
若いものを走らせ、エンバフを呼んできてくれたのである。
「さて、色々と事情は聴きたいんだが、構わないかな?」
「はい。何でも聞いてくださいやし」
「そうすると、もう元の組には戻れなくなると思うが」
「元々、すっぱり縁を切るつもりになっていましたから。まあ、追っ手は差し向けられるかもしれませんが、その時はその時ですし」
肝が据わっているというか、無茶というのか。
おそらく、両方なのだろう。
そういうことならばと、エンバフは遠慮なく話を聞くことにした。
「まず、自分達が誰をさらおうとしたか、分かっていたのかね?」
「いえ、商家の跡取り息子、とだけ」
「この子はね、ウッドタブ商会の跡取りだよ」
「ウッドタブ商会? って、あの一日金貨一万枚の?」
「ははは! そんなまさか!」
冗談だと思ったのだろう。
ゴンロクとモスケは、声をあげて笑った。
ウッドタブ商会と言えば、大魔王都きっての大商家である。
普通は禁止されている、遠方魔王領との取引も許可された、特別な商家なのだ。
下手をしなくても、政治的な影響力であれば、ちょっとした魔王家ぐらいはあった。
そんな大商会の跡取りが、こんなところにいるはずがない、と思うのが、普通である。
エンバフ、ゴードルフ、ナツジロウといった面々が、全く笑っていないのを見て、二人の顔色は徐々に青ざめていく。
「ままま、まさか、本当に・・・?」
「うん。間違いないよ」
ナツジロウも、このことは知っていた。
現会長であるヨシサブロウは、時折賭場に遊びに来ている。
一応、ほかの客にはおもちゃ屋の隠居だ、などと言っているが、賭場を仕切っている親分までごまかし続けることは出来ない。
また、ナツジロウ自身がエンバフと交流があるので、手学庵に顔を出すこともある。
その時に、セイイチロウとも顔を合わせていたのだ。
「あああ、アニィ、ど、ど、どうしよう」
「ど、どど、どうしようっておめぇ。どうしよう」
遠方魔王領へ船を出すというのは、大変な危険が伴うことである。
海上や現地では、当然魔物などに襲われる恐れもあった。
そのため、そういった場所へ赴く船には、必ず戦闘船の護衛が付き添う。
当然、乗組員は元武家といったような、荒事に慣れた連中だ。
つまるところウッドタブ商会というのは、大魔王様公認の、武装勢力のようなものなのである。
田舎者であるゴンロクとモスケでも、そのぐらいの事情は知っていた。
だからこそ、話を聞いて青くなったのだ。
いくら腕っぷし自慢の二人でも、相手があまりにも悪すぎる。
「なんだ、知らなかったのかい」
「へ、へぇ。全然、知りやせんでした」
「知らなかった、というより、意図的に知らされていなかったのでしょうね」
ゴードルフの言う通りなのだろうと、エンバフも思っていた。
もう一つ、聞かなければならないことがある。
「お前さん達に仕事を頼んだ親分さんの名前を、聞かせてもらっていいかな」
「へぇ。“賽の目”のナツジロウ親分さんで」
ナツジロウはすすっていたお茶を、盛大に噴出した。
エンバフの方は、なるほど、と頷いている。
「お前さん達、最初から使い捨てにするつもりで声を掛けられたようだね」
「どういうことで?」
「お前さん達に仕事をさせようとしたのは、“賽の目”の親分じゃないんだよ。その名前を騙っただけなのさ」
「えっ!? そうなんですか?! いや、でもどうしてそんなことが?」
「そこにいるのが、“賽の目”のナツジロウ親分だからだよ」
「まあ、自分で賽の目のなんて名乗ったこたぁ、ねぇですけどもね」
まだ喉にお茶が残っているのか、ナツジロウはいささか咽ながら頷く。
ゴンロクとモスケは、全く混乱した顔で、ひたすら首をひねっていた。
つまるところ。
ゴンロクとモスケは、初めから使い捨てにするために、声を掛けられていた。
ウッドタブ商会の跡取りを、そうと知らせずにかどわかさせるためである。
使い捨てにするからこそ、二人の前では他人の名前を騙った。
そのあたりのことが理解できたゴンロクとモスケは、頭を抱えた。
「くっそぉ。はめられたってことかぁ」
「どうすりゃいいんですかねぇ、アニィ」
「相手はそれなりに準備をしていたようだからね。騙されるのも仕方ないさ」
騙り、というのは、気を付けていれば避けられる、というものではない。
本当に上手い騙りというのは、どんなに気を付けていようが、気を付けていなかろうが、関係なく騙してのけるものなのだ。
それに気が付き、止めることが出来るものが居るとするならば、騙されている本人以外の者しかいない。
人というのは思っている何倍、何十倍も騙されやすいものであって、相手がその気になって相応の準備さえしてしまえば、まず間違いなく騙されてしまうものなのだ。
国の中核を担う大魔王四天王の一角、術魔王を務めていたエンバフだからこそ、そのことは嫌というほどわかっていた。
「問題は、二人をだました輩の正体と、その目的だね。さて、どうやってあぶりだしたものか」
「ご隠居。こんなことを考えるやつです。上手くやらなければ、言い逃れされますよ」
ゴードルフの言うことも、もっともである。
むしろ言い逃れをするために、“賽の目”のナツジロウの名を騙ったのだろう。
上手いこと手を打たなければ、さっさと逃げられてしまうに違いない。
さて、どうしたものか、とエンバフが考え始めたときである。
「あの、エンバフ先生」
声をかけてきたのは、セイイチロウであった。
「とりあえず、僕はかどわかされたほうがいいんじゃないかと思うんですが。いえ、誘拐されたことにした方が、ですね」
「ん、いや、そうだね」
エンバフはぽん、と手を叩いた。
これに、ゴンロクとモスケは目を丸くする。
「それはどういった訳で?」
「かどわかしが失敗したとなれば、逃げを打たれるかもしれないからね。そうなったら、捕まえようがなくなるかもしれない。ここは、かどわかしが上手く行っている、と思わせたほうが、都合がいいということだよ」
これはなかなか、難作業だといっていい。
まずは、ウッドタブ商会に繋ぎをとる必要があるだろう。
それから、北町奉行の飛弾魔王ラブルフルードにも了解をとる必要がある。
これはいささか、忙しくなってきそうな気配だ。
それにしても。
セイイチロウはなかなか、気が利いて居るではないか。
すぐに「かどわかされたほうがいい」などということに頭が回るというのは、なかなかのことである。
ウッドタブ商会の未来は、明るい様だ。
「すまんが、親分さん。紙と筆を用意してもらえないかな。急いで、いくつか手紙を書かなければならないからね」
「へぇ。すぐに」
ナツジロウは立ち上がると、声を上げて子分達を呼んだ。
ゴンロクとモスケは、相変わらずポカンとした顔をしている。
「あのぉ、ご隠居さんは一体、どういったお方で?」
「ん? なに、手学庵という所でな、子供達に勉学を教えておる、暇な隠居だよ」
楽しそうに言うエンバフの言葉に、ゴンロクとモスケはひたすら不思議そうな顔をするばかりであった。




