手学庵お節介帖 「かどわかし騒動」5
手学庵では月に一度、子供達にお菓子を振る舞うことになっている。
勉学をがんばっているご褒美、というのが名目だ。
子供達はただただ楽しみにしているこの日だが、ゴードルフにとっては決戦の日である。
このゴードルフは、元は大魔王四天王術魔王家に仕える忍びであり、“霞”のゴードルフという異名で知られる男であった。
隠密としての能力は無類であり、大魔王城にある大魔王様御寝室に忍び込むことすらやってのけるという、文字通りの凄腕である。
万事おおよその仕事をそつなくこなし、それでいて様々なことに無関心そうな顔を向けていたこの男であったが。
どういうわけか、手学庵で暮らす様になって以降、料理にだけは凄まじい執着を示すようになっていた。
曰く、「今まではゆっくり食事をする機会もありませんでしたので」。
なるほど、ゴードルフという男は有能であるがゆえに、忙しすぎたのだろう。
食事を楽しむ時間というのもなかったわけだ。
それが、エンバフに付き添って手学庵に入ったことで、その時間が持てるようになった。
元々備わっていた「食事を楽しむ」という才能が、ここで開花したわけである。
「あのなべ、しかくいかたちしてるなぁ」
「知ってるよ。あれはね、卵焼きを作る鍋なんだ」
この日、ゴードルフは手学庵の庭に出て、お菓子を造ろうとしていた。
屋台などで使う持ち運びが可能な炉を用意しており、傍らには材料の乗った机を用意してある。
あまりの周到さに、エンバフもあきれ顔だ。
「わざわざここで作るということは、出来立てを食べさせたい、ということかな?」
「それだけではありません。作っているところを見ると、食べたくなってくるお菓子なのです」
どうやら、自信があるらしい。
卵焼き用の鍋を火にかけ、温める。
そこに、黄色味がかった生地を流し入れた。
少量で、ごくごく薄く焼き上げていく。
「これは小麦粉と牛の乳、それに、卵を入れたものです」
これを聞いた子供達から、どよめきが起きた。
牛の乳は、最近になって大魔王都でも飲まれるようになってきたものである。
以前は気味悪がるものが多かったが、高級志向の茶店などに行くと、温めたものを飲めるようになってきている。
それに、卵。
これは言わずと知れた高級品で、滅多に口にできるものではない。
庭に出て見学していた子供達などは、興味深そうに生の生地を見入っている。
縁側に並んでいた子供達も、落ちそうなほど身を乗り出していた。
エンバフが「落ちないようにな」と声をかけると、思い出したようにやや後ろに身を引く。
だが、すぐに同じぐらいに身を乗り出す。
「このお菓子は、速さが命です。出来上がったらすぐに食べるんですよ」
子供達にそう厳命してから、ゴードルフは続きに取り掛かった。
生地が焼きあがってきたのを見計らって、匙を使ってあんこを乗せる。
焼きあがった生地の一番端に、指の太さ程度を一直線に置いた。
そして、さらにその上に、白い塊のようなものを並べる。
「これは牛酪です。遠方の国では、バターともいうそうです」
その牛酪とやらを乗せると、ゴードルフは大慌てといった仕草で、生地を巻き始めた。
ちょうど、卵焼きを作るような仕草である。
ここで、恐ろしいことが起きた。
生地の温められた匂いに、あんこの温められた匂い。
そして、もう一つ。
得も言われぬ香ばしい匂いが、ぶわりと立ち上ったのである。
子供というのは、基本的にいつも腹を空かせている。
うまそうなものを見て、美味そうな匂いをかがされたら、どうなるか。
ぐぅ。
こちらでも、ぐぅ。
むこうでも、ぐぅ。
子供達の腹が、次々に鳴り始める。
それでいて、目線はゴードルフが操る鍋にくぎ付けだ。
出来上がったのは、細長い卵焼きのようなもの。
包丁を使い、鍋の上で半分に切り分ける。
これを、用意してあった紙の上に一つずつ乗せ、包む。
「はい、出来上がりましたよ。最初の二人、火傷をしないように、急いで食べてくださいね」
庭に出ていた子供二人が、慌ててお菓子に手を伸ばした。
切られた断面が見える。
周りの子供達も、それを覗き込んだ。
エンバフも興味津々で、首を伸ばした。
黄色味がかった生地に、あんこの黒、バターの白が良く映える。
まず、香がたまらない。
温かく、甘く、どこか深い味わいのある香り。
生地ともあんことも違う、コク、とでも言いたくなるようなこの香りは、おそらく牛酪のそれである。
見た目もいい。
黄色に、黒と白。
ここで、お菓子を見ていた子供達から、「あっ」という声が上がる。
なんと、牛酪が溶け始めているのだ。
そういえば、牛酪というのは牛乳の、油分を固めたものである、と聞いたことがある。
これは常温では固まったままだが、高温でなくとも温めれば溶けてしまう。
牛酪が全部溶けてしまっては、流れ出てしまう。
お菓子を持った二人は、慌てて齧りついた。
頬張り、もぐもぐと咀嚼する。
味については、聞くまでもないだろう。
とろけるような笑顔が、雄弁に物語っている。
「ゴードルフ先生! 次、早く次を焼いておくれよ!」
「おいらの! つぎはオイラのばんだ!」
「まだ、生地はあるんだよね?!」
にわかに、子供達が騒がしくなった。
言われるまでもなく、ゴードルフは次のお菓子を焼いている。
子供達にお菓子がいきわたったところで、ようやくエンバフの手元にもお菓子が回ってきた。
口に入れてみて、エンバフは思わず唸った。
あんこというのは、大魔王都周辺のものである。
そして、牛酪とは遠い土地のものである。
大昔であれば出会うはずもなかったこの二つの食材が、恐ろしく合うのだ。
むしろさっぱりとしたあんこの甘さに、牛酪が目を見張るほどのコクを与えている。
甘い、というのは、美味い、ということである。
そしてやはり、温かい、というのも、美味い、ということである。
その二つの条件を満たしているこのお菓子は、つまり驚くほどに美味い。
「うまいなぁ、これ」
「ホントになぁ。でも、あったかいうちじゃないと、こうはいかないのかも」
「ゴードルフ先生がここでつくったりゆうが、わかるなぁ」
子供達は皆、感心しきりといった様子である。
その言い草や仕草が、いかにも大人びている。
だが、話題はお菓子の事。
子供達の見た目と、言い草仕草、話題が、見事にずれている。
エンバフの目から見て、これはいかにも面白い光景であった。
「でもさ、セイイチロウはこういうおかし、たべなれてるだろ?」
ドキリ、とした。
子供の一人が言ったこの言葉には、全く他意など含まれていない。
あるいは大人が言ったのなら、嫌味のような悪意ある言葉に聞こえるだろう。
エンバフがドキリとしたのも、そういった意味合いが含まれている恐れを抱いたからだ。
だが、エンバフ自身直ぐにこの気持ちを否定した。
口ぶりにも表情にも、そういった気配は微塵もなかったからだ。
ただ心に浮かんだ疑問を、聞いただけなのである。
聞かれたセイイチロウの方も、そういった嫌な意味合いを、微塵も感じていないようであった。
「そりゃ、お菓子は食べるけどさ。こんなに美味しいのは、食べたことないよ。ゴードルフ先生が作ったんだよ?」
「そっかぁ。ってことは、オイラたちはウッドタブしょうかいのあととりより、じょうとうのごはんをたべてたのか」
「そういうことになるのか? いや、なるか。ゴードルフ先生のつくるものは、みんなうまいよ」
「うまい、うまい。どれもうまいから、食べすぎちゃうんだよな」
全く、まっすぐな言葉である。
裏の意味や、含みなどといったものの全くない、まっすぐな好意である。
だからこそ、ゴードルフもその賛辞を素直に受けて、笑っていた。
武家同士のいざこざや、商家などの裏の顔をさんざんに見てきたはずの男が、作ったものを褒められて、笑っているのだ。
年を取り、老練するごとに、物を見る目は養われる。
などと、世間一般では言うらしい。
だがそれはただ、人を、物を見る目が濁っていくだけのことなのではあるまいか。
むしろそれそのものを素直に受け入れるのではなく、それまで培ってきた偏見を押し付け、まっすぐに見ていないということなのでは。
多くの経験を積み、たくさんの物事を見てくれば、当然様々な事態を想定し、予測という名の想像、妄想で世界を見るようになる。
むろん、エンバフ自身もそうであろう。
先ほどの言葉に、どきりとしたのがその証拠だ。
子供といるだけで、学ぶことというのは実に多い。
ただ、懇切丁寧に教えてくれることなどは、一切ない。
自ら学ばせてもらうのだという思いで、しっかりと見聞きしなければ、せっかくの学びを得る機会を失うのである。
全く、城を出てここに暮らし始めたのは、正解であった。
エンバフは目を細め、お菓子と話に興じる子供達を見守るのであった。
物陰に隠れ、目当ての子供が来るのを待ちながらも、ゴンロクとモスケは未だに悩んでいた。
もうすぐ、この場所を例の子供が通るという。
「なぁ、アニィ。やっぱり気がすすまねぇよ」
「俺もだ。そうだな。やっぱり、やめるか。失敗したことにして、親分さんには詫びを入れてな」
「そうだよ。それがいい。なぁに、無一文の宿無しになったってさ。それもまたいいよ」
宿無しとわかって捕まると、寄せ場とか言う場所に送られるらしい。
そこで働かされるらしいのだが、別に飯を食わせてくれないとかといった事はないそうだ。
むしろ、寝床と食事を与えてもらえるらしい。
「またそれも楽し、か。御解き放ちになったら、大魔王都で暮らしても構わねぇっていうじゃねぇか。それも面白そうだ」
その時である。
後ろの方から、何かが近づいてくる音がした。
身構える二人の前に現れたのは、組にいた若いのの一人であった。
「おめぇさんは、組にいた・・・」
「見つかってよかった! 何人か連れて、助っ人に来ましたよ」
ゴンロクは、思わず顔をしかめた。
親分が言っていたのだ。
なんだったら、襲う所はうちの若いのにやらせてもいい。
二人は子供を隠れ家に連れていき、見張っていてくれるだけでもいい、と。
断ったのだが、どうやら勝手に気を回されたようだ。
「ほかに隠れているのもいますんでね、そいつらがもう取っかかりますよ」
同時に、複数の走る音と、けん制するような声が聞こえてくる。
四人は居るだろうか。
こうなったら、もう迷っている場合ではない。
「ちょっ! なにをっ! あっ!」
ゴンロクは男に殴りかかると、腹を突いて気絶させた。
「モスケっ! 行くぞ!」
「そう来なくっちゃっ!」
ゴンロクとモスケは腕まくりをすると、一斉に茂みから飛び出した。
相手は多勢である。
やってやれないことはないだろう。
あるいはドスやらといった得物を持っているかもしれないが、男は度胸。
そんなものに怯むような二人ではない。
だが。
威勢よく飛び出した二人の脚は、すぐに失速することとなった。
襲い掛かったと思しき連中が、既に地面に転がっていたからである。
「んん?! どうなってんだ!?」
「こいつは、いってぇ?」
「ああ、大丈夫ですよ。こちらは無事ですので」
そういったのは、目的の子供、セイイチロウの横に立っている男であった。
周りには、他に誰もいない。
どうやらこの男一人で、あっという間にこの人数を叩き伏せてしまったようだ。
「あの、ゴードルフ先生。この人たち大丈夫なんですか?」
「気絶してるだけだから、心配いりません。それにしても、どうしたもんですかね」
ゴードルフは凄腕の忍びである。
遠く離れたところでの会話を聞く技にも、優れていた。
ゆえに、既にこの二人。
ゴンロクとモスケが土壇場で心変わりし、かどわかしをやめたこともわかっていた。
ゆえに、二人は敵ではなく、叩き伏せる必要もない。
問題なのは、この後の始末である。
転がした連中を放っておくのも、頂けない。
せっかく捕まえたのだから、色々と聞き出したい。
この二人を放免するのも、不味かろう。
裏切ったと知られれば、何をされるかわからない。
純朴そうな、悪く言えばバカそうな二人組である。
放っておいてもいいのだが、いささか寝覚めも悪そうだし、エンバフはそういったことを好かないだろう。
そんなゴードルフの考えを、セイイチロウは正確に見抜いていたらしい。
「ゴードルフ先生。とりあえずこの人達をふんじばって、あの賭場に持っていくのはどうでしょう。親分さんなら、頼りになりますし」
なるほど、とゴードルフは手を打った。
ナツジロウの賭場なら、ここから近い。
場所もあるので、この連中を捕まえて置くには申し分ない場所である。
「そこのお二人。ちょっと、この連中を運ぶのを手伝ってください」
「ええ? あ、え? あ、はい。はい?」
ゴンロクもモスケも、訳が分からないという顔をしている。
こういうのは、勢いで手伝わせてしまうのが一番だ。
気絶している連中を、ゴンロクとモスケにも手伝わせ、さっさと縛り上げていく。
五人も運ぶことになったが、幸いゴンロクとモスケは力だけはあり、一人で二人を運ぶことが出来た。
さて、エンバフにどう説明したものか。
ナツジロウの賭場へと急ぎながら、ゴードルフは頭を悩ませるのであった。
牛乳について:
大魔王都周辺地域では、牛は畑仕事の労働力として昔から飼われてはきました。
ただ、それはあくまで労働力であり、乳や肉は食べることは少なかったようです。
この周辺で作られていたコメは作物として優秀で、これさえしっかり作っていれば、栄養は補えたからだ、と言われています。
ただ、大魔王都が栄えるにつれ、食糧事情もだんだんと変わってきました。
遠方地域の食文化なども伝えられ、徐々に乳や肉なども、食べられるようになってきたわけですが、このころはまさにその初期も初期、といった時代だったようです。
“霞”のゴードルフ:
いくつかの記録証拠から、実在が確認されたとされる術魔王家に仕えた密偵。今作品では、エンバフについて「手学庵」で暮らしているのだが、実際はどうであったかは不明。ただ、現役であった頃のエンバフが手掛けた「フォレスト屋事件」に関する資料には、いくつかゴードルフが書いたとされる報告書なども残っており、史実でも二人に関係があったことは確かなようだ。




