手学庵お節介帖 「赤い亀」2
大魔王都に住む者の数は、凄まじく多い。
となれば当然、中には変わり者もいた。
マウエブロという男も、その一人である。
昔から大魔王都に生息する生き物に興味を持っていたこの男は、それらの絵を描くことを好んでいた。
マウエブロの絵は、まず観察するところから始まる。
その生き物を何日も、時には何カ月もかけて観察し、どのようにして生きているかを見定める。
どこで暮らし、何を食べ、どのようにして寝るのか。
納得いくまで観察したところで、ようやく絵をかき始めるのである。
むろん、これはあくまで絵を描くための観察であり、いわゆる「生態観察」とは異なっている。
まだ現役の四天王であった頃のエンバフはこの絵を見て。
「それでも、そういった研究のいくばくかの役には立つだろう」
と考え、術魔王家で援助をすることにした。
ソレまで食うや食わずの生活をしていたマウエブロは、この世で最も巨大な後ろ盾を持つことになったのである。
もっとも、そのおかげで定期的に学者連中に絵を描かされたり、論文を読まされて感想を求められたりしているようではあったが。
そのあたりのことは、何とかうまくやっているようであった。
この日、エンバフが訪ねたのは、このマウエブロの屋敷であった。
元は貧乏長屋で暮らしていたのだが、今は庭付きの一軒家で暮らしている。
屋敷の大半は得体のしれない道具やらで埋まっているのだが、それでも客間は、相応に片付けているようであった。
「三日に一度ほど、人を雇って掃除をしてもらっているのです。何しろ、お客さんがお見えになることが多くて」
「学者連中やら、うちの家の連中かな。気楽に絵も描けんかね?」
「いえ。昔はただひたすら時間をかけていましたが、今はその頃より集中して描けている気がします。何より、学者方の研究成果をいち早く知ることが出来ますから。全く、御隠居様には頭が上がりません」
一見、こんな風にまともに見えるこの男だが、絵を描き始めると全く人が変わった。
三日も四日もまともに眠らず、叫びのたうち回りながら筆を振るう。
その迫力は凄まじく、事情を知らぬものが見れば気でも触れたのかと思うほどである。
客間からチラリと外を見ると、茣蓙の上に紙が広げられているのが見えた。
そこには見事な魚の絵が描かれているのだが、周囲には絵具やら絵皿やらが散乱している。
どういうわけか竹やりまで地面に突き刺さっており、これにはエンバフもギョッと目を見開いた。
「あの、竹やりも、絵に使うのかね?」
「ああ、あれですか。あれは竹の先を細かく裂いてある、大型の筆なのですよ」
「ほう、筆か」
例え筆だとしても放り投げるな、と言いたいところだが。
この男の場合は何を言っても無駄である。
「しかし、先が尖っているようだが」
地面の上の方に見える部分は、どう見ても竹やりのようにとがっている。
「思うような裂き方が出来なかったので、削ってしまいまして。いや、お恥ずかしい」
いかにも人のよさそうな苦笑を浮かべているのが、かえって空恐ろしい。
全く、人というのは多少変わり者の方が、優秀なのかもしれない。
「おお、そうだ。これは、手土産でな。ゴードルフのやつが作った握り飯なのだが」
「握り飯ですか! これはありがたい! 実は、ここ二日ばかり食事をしておりませんで」
「なんと。よいよい、話というのは、そう難しいものではないからな。食べながら聞いてくれ」
「はっ、では、遠慮なく」
マウエブロという男は飾ったところがまるでない男である。
しょうしゃな手土産なんぞより、こういった物の方を何十倍も喜んだ。
持ってきた握り飯は、大きな三角のものが三つ。
一つが茶碗飯一杯分もあろうかという、大きなものであった。
ゴードルフという男は元隠密、忍びであるにもかかわらず、このところ妙に料理に凝りだしている。
握り飯は三つとも、別々の具が入っているようであった。
まず一つ。
三角の一番の上の部分に、貝の甘辛煮が乗せてある。
手学庵の子供達が飯代、束脩代わりにと持ってきたもので、親指大の一枚貝だ。
これをしょうゆと砂糖で煮たもので、これを粗く刻んで乗せてある。
山椒を一緒に煮込んでおり、ピリリとした刺激と、コリコリとした食感が良い。
むろん、米に抜群に合う。
食べ進めていくと、なんと真ん中には味噌が仕込んである。
この三つの握り飯は二段構えで、全て具材が異なっているのだ。
「おおっ! これは、ネギ味噌ですね」
刻んだ長ネギをごま油で炒め、味噌と砂糖を入れる。
これを練ったものが、握り飯の真ん中にいるのだ。
わずかなザクザクとしたネギの食感と、味噌の香りが良い。
二つ目。
上に載っているのは、味噌漬けの魚を焼いたもの。
作ってそれほど時間を置かずに食べるから、出来ることなのだろう。
マックローという魚で、大魔王都湾で多く水揚げされる、庶民にはなじみ深い青魚だ。
いわゆる、サバのようであるのだが、通人に言わせると違う魚だという。
ただ、食って違いが判るものは、まあ、まずいないだろうと、エンバフは思っている。
この魚の身が持つ脂は少々くどく感じることもあるのだが、味噌がそれを受け止めてくれる。
くどい分旨味が強い脂が塩味とあいまれば、飯が進まぬはずがない。
真ん中に待ち受ける具は、漬物であった。
少々漬かりすぎたような漬物を纏めて刻み、やはり刻んだ昆布を混ぜたもの。
これがマックローの味噌漬け焼きで濃くなった口の中を、さっぱりとさせてくれる。
そして、三つ目。
最後のものは、卵焼きが乗っていた。
少しずつ数が出回るようになってはいるが、やはり卵は高級品だ。
これはしょうゆと砂糖で、甘めに味付けがされているらしい。
中央に鎮座するのは、鳥のそぼろである。
親子の競演、ということらしい。
猛然と握り飯を食うマウエブロを見ながら、エンバフはしまった、と顔をしかめた。
あまりにも美味そうに食う様子を見て、自分も腹が空いてきたのだ。
とても、話をする気分ではない。
飯を食う様子を眺める方に意識が行ってしまい、集中が出来ないのだ。
「はぁ、御馳走様でした! いやぁ、一気に食べてしまいましたよ」
満足そうなマウエブロを、エンバフは恨めしそうに睨んだ。
まさかこの歳になって、握り飯を食うのを指をくわえてみることになるとは。
帰ったら必ず、同じものをこさえさせよう。
エンバフはそう、心に決めた。
「その、それで、お話というのは」
「おお、そうだった、そうだった」
これこれこういうことがあって、と事情を話す。
マウエブロは黙って話を聞き終えると、難しい顔で腕を組んだ。
「お話だけでは、特定はできませんね」
「やはり、そうかね」
「わかりました。ちょうど、絵も書き終わったところです。その亀を、直接見に行こうと思います」
「そうしてくれるか」
用事もないというので、その足で件の池まで行くこととなった。
大魔王都は水路の街である。
途中で猪牙船でも拾えば、あっという間にたどり着くことが出来た。
この日、手学庵は料理を教える日であり、子供達は休みであった。
ゴードルフが先生役を務めており、エンバフは手すきである。
そのため、今は丁度昼時。
亀は甲羅干しの最中であった。
「やや、あれですね。ん? んんん? いや、これは。はぁー」
「わかるかね?」
「ええ。あれは、ヨセギアカガメ。寄木赤亀といいまして。ちょうど、寄木細工のように美しい甲羅が特徴なのです」
言われてみれば、なるほど鮮やかな模様である。
子供達やエンバフは赤い色ばかりに目がとられていたが、確かに美しい模様をしていた。
「どこか、遠くの土地の亀なのかね?」
「いえ。大魔王都に生息する亀です。ただ、ううん、何と言いますか。少なくとも、ここにいるようなものではありませんね」
「ほう? どういうことかな?」
「本来は沼。水中植物が繁茂する場所に生きるものなのです。何しろ、その水中植物を食べる種類の亀ですので」
「ということは、ここにいるような亀ではないわけだ」
この場所は池とはいっても、船着き場として作られた水路の延長である。
魔王家が管理しており、船の往来に邪魔になるとして、水草などは一切ない。
つまり、亀にとって食料が全くない場所なのだ。
「あの亀はあまり縄張りを動きませんし、それほど泳力もありません。寝るときなどは、水底の泥の中で眠ることもあります。それが、一体どうしてこんなところに」
マウエブロはずいぶんと困惑している様子である。
「自分で来たということは、考えにくいわけだな」
「水路を泳いで、あるいは、陸地を歩いてというのは、少し考えられませんね。本来の生息地から、離れすぎていると思います」
「であれば、人が運んできた。ということかな」
「そうなります。できれば、捕まえて元の住処に返してやりたいところですが」
「危険はないのかね?」
「草食の、大人しい亀ですよ。むやみに捕まえようとすれば、泥の中に潜りこそすれ、ほとんど嚙みついたりもしません」
どうやら、子供達に危険はないらしい。
しかしながら、こういう話を聞くと、亀を何とかしてやりたい、という気持ちがわいてきた。
「元の生息地というのは、どのあたりなのかな?」
「大魔王都の、北側。外れの方ですね。ちょうど、獣魔王様のお城のあたりです」
獣魔王と言えば、大魔王四天王の一角である。
大魔王都は四方を四天王家の城によって守られており、獣魔王家の城は北側に配置されていた。
「ううむ。それは、なるほど、ちと遠いのぉ」
「この亀は、好みが偏っておりまして。各々、好きな水草があるんです」
「皆、口が違うということか」
好みに合わない飯を食わされるというのは、なかなかつらいものだろう。
しかもこの亀は、しばらく飯を食べていないのではないだろうか。
「子供らがアレを見るようになって、しばらくたつのだが」
「七日、十日は食わずとも平気なはずですが。それ以上となると」
「なんとか、手はないものかな」
「ひとまず、あの辺りに亀を運ぶとしましょう。水草の生えている沼を見つけて、飯を食わしてやります」
「そこに逃がすのかね?」
「出来れば、本来いたところに逃がしてやりたいところですが。割り出すのはかなり難しいのでは」
「いや、何とかしてみよう」
空きっ腹を抱えているというのは、悲しいものだろう。
目の前で握り飯を食べるのを、指をくわえてみていたエンバフである。
同病相憐れむ、というわけでは無いが、すっかり亀に対して同情的な気持ちになっていたのだ。
それに、マウエブロの話を聞き、池の様子を眺めたことで、おおよその見当もついた。
こうしてエンバフは、迷い亀の住処探しをすることとなったのである。