手学庵お節介帖 「かどわかし騒動」2
大魔王都に置いて、博打はご法度。
見つかれば胴元はもちろん、賭けたものも処罰される。
と、言うのはあくまで建前。
賭け事というのは、今も昔も人気の娯楽。
それをすべて取り上げてしまうというのは、あまりに狭量。
大きな問題にならない程度の少額で、こそこそ隠れてやる分には、お叱り程度で済まされるのが常であった。
また、賭場などについても、あまりやりすぎる、胴元が奉行所同心に袖の下を渡す。
あるいは、集まってきたほかの犯罪に関する情報を提供する限り、大半がお目こぼしされた。
何しろ、奉行所同心というのは俸禄が少ない。
それでいて、役目には存外に金がかかる。
手足となって働く小者や手下に与える金は、全て同心の懐から出ていた。
小さな悪を見逃すことで得た金で、大きな悪を捕まえる。
もちろん褒められたことではないのだが、これもまた当時には必要な仕組みだったわけである。
そして、賭場にはその場所がら、様々な悪事のうわさが集まった。
これらももちろん、同心達の耳に入ってくる。
貴重な情報源であり、大いに捕り物の役に立った。
犯罪の現場でありながら、ほかの犯罪を取り締まる役に立つ。
賭場というのは、実に不思議な場所だったのである。
その日、元術魔王にして手学庵の主であるエンバフは、賭場に顔を出していた。
とある事件で顔見知りになった、ナツジロウ親分が取り仕切る賭場である。
以前にあったもめ事を解決して以来、エンバフはちょくちょくここで遊ぶようになっていた。
何しろ、この賭場は面白い場所なのである。
まず、出される食い物と酒、茶などが、べらぼうに美味い。
ナツジロウの子分には、元料理人や元菓子職人などが居り、かなり本格的な食事が売られる。
酒も、こちらはとある伝手のおかげでかなり上質なものが用意されており、茶も極上のハフル茶などを楽しむことが出来た。※1
賭場が開催される場所が寺社であることから、漬物なども美味い。※2
これら食に関する方面も素晴らしいのだが、肝心の賭け事の方に関しては、さらに素晴らしかった。
子分の中に「遊び」を自分で創作するものが居て、これが実に面白いのだ。
創作された遊びだから、楽しめるのはここしかない。
美味い食事に、特別な遊び。
これらが呼び物となり、ナツジロウの賭場は知る人ぞ知る場所となっていた。
あまりに人気があるので、入ることが出来る人数を制限しているほどである。
そのおかげで、この賭場には行儀のいい客ばかりが集まるようになっていた。
賭場としてだけではなく、遊びに来る客の質まで高い。
大魔王都の通人達の間では、有名な場所となっていたのである。
「こりゃぁ、ご隠居。いらっしゃいやし」
賭場に入ったエンバフに頭を下げに来たのは、ナツジロウであった。
徐々に名を上げてきているナツジロウだが、意外なほどに若い。
では貫禄の方はどうか、と言えば、これが全くと言っていいほどなかった。
エンバフも初めて会ったときは、下っ端の一人かと思ったほどである。
「やぁ、親分さん。また遊ばせてもらうよ」
「今日は、おもちゃ屋の旦那もいらっしゃっていますよ」
ナツジロウの言うおもちゃ屋の旦那、というのは、ウッドタブ商会の会長、ヨシサブロウ・エイワンズのことである。
一日金貨一万枚とうたわれる、大魔王都一位の商会の会長であるが、ここでは「おもちゃ屋の店主」として通っていた。
「おお、もう来ているのかい」
エンバフとヨシサブロウは、昔馴染みである。
今日はここで、待ち合わせをしていたのだが、どうやら先に来ているようだ。
まず場所代を払う。
それから、賭場で使う金代わりに使う札と、金を交換する。
既に賭場の中は賑やかで、独特の熱気に包まれていた。
ふと、食事などを提供する場所に目を向けたエンバフは、思わず呆れたような声を出してしまう。
「なんだ、もう入っていたのか」
「ああ、ご隠居」
ゴードルフである。
どうやら先に中に入っていたようで、既に手にはどんぶりを抱えていた。
元隠密であるこの男は、ここのところ料理に凝っている。
そのためなのか、この賭場で出されるものに大変な興味関心を寄せているようだった。
「ほう、今日は蕎麦があるのか」
「ええ。竹輪の天ぷら蕎麦です」
言いながら、ゴードルフは丼の中身を見せてきた。
温かい汁の香りが、ぶわりとエンバフに襲い掛かってくる。
出汁の利いた、醤油汁の香り。
十分に熱せられた汁から立ち上ってくる香りというのは、一種の暴力といえるだろう。
がつん、と鼻っ柱を殴られれば、もう腹が空いてたまらなくなってくる。
汁の中には、蕎麦。
半分に切られ、衣をつけてあげられた竹輪が二つ。
それから、これでもかと盛られたたっぷりのネギと、その上にかけられた七味唐辛子。
ネギというのは素晴らしく滋養がある野菜で、大魔王都では大変に人気があった。
力仕事に就くものは、一日に一度は食べなければ力が出ない、などと言われている。
こういった、いわゆる鉄火場で出されるのには、良い食材だと言えた。
七味唐辛子もよい。
辛いものは目と頭を冴えさせてくれる。
「この竹輪の天ぷらが、また良いのです。へなへなのみずっけの多いものではなく、しっかりと歯ごたえのあって、職人から直接買い入れてきたそうですよ」
「なんだ、もう食べたのか」
「ええ、二杯目です」
エンバフのために持ってきた、というわけでは無いらしい。
少々期待していただけに、いささかムッとするものの、まさかそれを口にするわけにもいかない。
「汁は、もうこの香りだけでわかる通り実に美味い。蕎麦も上等で、これはあえて七割蕎麦にしているそうでして。これがするするっと喉を滑っていく食感がなんとも言えません」
「ほう、食感がな」
「今日使っている蕎麦粉で、風味と香を残しながら、このするするっとしたのど越しを出すには、この割合が良いのだそうです。全くその通りだと思いますね、蕎麦は喉で食う、などというそうですが、なるほどと思いました」
「天ぷらの揚げ具合も、よさそうだな」
「そう、天ぷらです。あえて衣を厚めにしているようなのですが、ザクっとした衣としっかりとした竹輪の固さがたまりません。汁をよく吸うのもそうですが、この衣から出る油が汁に合わさるのがまたたまりません」
「汁に揚げ玉を入れることもあるぐらいだしな」
「まさに、それです。そして、またこのたっぷりのネギ。軟らかくシャキシャキとした食感のある新鮮なネギで、苦みではなくキリリとした辛みがあり、これがまた絶品です。これにごま油を和えて、少し塩などで味を調えただけでもツマミになるような、良いネギですよ」
もう、矢も楯もたまらない。
早速エンバフも一杯頼むことにする。
すぐに提供されたとんぶりに、むさぼりつくようにして蕎麦をすすった。
口の中に入れた空気を鼻から抜くと、出汁の香りと温かさが抜けていく。
何より、出汁というのはこの香りがまずご馳走だ。
出汁というのは香りも食べるものである。
この蕎麦に使われている汁は、それも極上のものと言えた。
口の中に入れた蕎麦は、実に滑らかだ。
数度噛んだだけで、もう喉が「早くこっちによこせ」とわめいてくる。
たまらずに飲み込めば、何の引っ掛かりもなく胃の腑へ落ちていった。
ぬくもりが口、喉、腹へととおっていく感覚が気持ちいい。
はぁっ、とため息を吐けば、蕎麦と出汁の香り、風味が立ち上ってくる。
夢中になって、あっという間に食べてしまった。
元々、少々量が少なくなっているのだろう。
何しろここは蕎麦屋ではなく、賭場なのである。
これで腹いっぱいにさせよう、というものではないのだ。
いささか物足りなさを覚えながら、エンバフはヨシサブロウを探した。
「おう、えっちゃん!」
壁沿いにある机から、声がかかる。
ヨシサブロウと、連れらしい男が座っていた。
どうやら護衛のようである。
お忍びだが、連れの方は腰に剣を下げた、浪人風の出で立ちであった。
だが、よく顔を見て、驚いた。
浪人風は、なんと奉行所の同心だったのだ。
いわゆる隠密廻、というやつである。
同心は笑顔で軽く頭を下げると、博打をしている卓の方へと動いていった。
「よっちゃん、あれは」
「うむ。ここで丁度お会いしてな。商売のことについて、ちょいと」
「何かあったのかい?」
「なぁに。最近、きなくせぇ連中がうろついててなぁ。あの旦那もご存じだったそうで、気ぃつけろ、なんて話さ」
天下の大商会である。
妙なのに目を付けられることも多いのだろう。
ヨシサブロウは「そんなことより」と話を切り出した。
「うちの孫の様子はどうだい?」
少し前から、ヨシサブロウの孫は手学庵に通っていた。
裕福な商家などは、子供を武家なども通う学問所に行かせることも多い。
ヨシサブロウもそうで、エンバフと知り合ったのはまさにその学問所でであった。
ここでいう「学問所」というのは、今でいう中学校や高校といった場所であり、一種の高等教育を受けるための場所である。
基本的な読み書き計算を身に着けてから、通う場所であった。
多くの家では、これは家へ講師を呼び寄せて、いわゆる家庭教師のような形で、子供に学ばせた。
だが、ヨシサブロウはそれだけでは不足だ、と考えたのである。
商人が巷のことを知らずしてどうするのか。
庶民の中に混じって学んでこそ、お客様の気持ちが理解できるのである。
自身は家で読み書き計算を覚えていたヨシサブロウは、このあたりのことでずいぶん苦労したらしい。
なにしろ、学問所に通うまで、自分で銭を出して食べ物を買ったことすらなかったというのだから、驚きだ。
そんな箱入り息子だったヨシサブロウに、あれこれと悪い遊びを教えたのは、ほかならぬエンバフである。
「最初は戸惑ったようだがね。今ではすっかり、子供達の一員だよ」
手学庵に通ってくる子供達は、驚くほどにたくましい。
その凄みは、時にエンバフも舌を巻くほどである。
エンバフが言うのもなんだが、彼らに見込まれる、というのは、並大抵のことではない。
なにしろ元術魔王に、「読み書き計算を教えてくれ」と要求し、見事に通してしまった連中である。
ヨシサブロウの孫はそんな子供達と一緒に、時に走り回り、時に泥だらけになりながら、仲間として一緒に学んでいた。
「おお、そうかい。何度か顔を出したこともあるが、お前さんとこの子供らは見どころがあるのばっかりだからなぁ。うちの手代にしてぇのもいるくれぇだ」
「はっはっは! あの子たちがもう少し大きくなってその気があったら、声をかけてやっておくれ」
「いやいや、本当だぜぇ? 商家の手代ってなぁ、たたき上げが一番よ。何しろ裕福な家の出ってのは、庶民のお客様のお相手が務まるのがすくねぇ。礼儀作法なんてなぁ、習って覚えりゃなんでもねぇが、こればっかしはガキの頃からの習慣ってぇのがものをいうのさ」
「それはお前さんが言うかね?」
ウッドタブ商会ヨシサブロウにこういわせるとは、あの子達もなかなかではないか。
ヨシサブロウという男は、世辞でここまで言う男ではない。
鼻の高い気持ちになった。
身内が褒めらえたような、むず痒いような、うれしいような気持である。
エンバフにとって、手学庵に通う子供達は、もはや身内も同然なのであった。
本作品は「時代劇風」という形をとっておりまして、一部固有名詞や風習などについて、あえて説明していない部分が御座います。
ただ、それでは全く何のことかわからないということで、今回別枠で補足させて頂くことにいたしました。
雰囲気を壊すかもしれないとは思いましたが、なにとぞご容赦頂ければと思います。
※1 茶葉にハウル豆、という豆を炒ったものを混ぜて淹れたお茶。玄米茶のようなものに近いのですが、味や見た目は紅茶やコーヒーに近い。「異世界時代劇世界」独特の物であり、地球には似通ったものがない、と思っていただければと思います。
※2 漬物の販売は寺社仏閣の特権に近い形になっており、一般の店などではあまり売られてはおりません。収入の少ない寺社への救済措置であり、そこで買うことで功徳を積める、といった事にもつながるようです。一般の家庭で漬物を作ることはほとんどなく、大抵が瓶や桶などをもって買いに行くのが主流です。ただ、やはり味に差が出るようで、寺社間の競争もあるようです。馴染んだ寺社の味が一種「家庭の味」になることもあるのだそうです。




