手学庵お節介帖 「かどわかし騒動」1
大魔王都は、大魔王四天王の城によって作り出された結界によって守られている。
半球状の虹色に輝く幕が大魔王都をすっぽりと覆う姿は、正に圧巻。
遠方から大魔王都へとやってくる旅人の多くは、まずその存在感に驚くことになる。
在所を出て、初めて大魔王都にやってきたゴンロクとモスケもご多分に漏れず、ポカンといささか間の抜けた顔で眺めていた。
先に気を取り戻したのは、弟分であるモスケの方である。
「はぁー、噂には聞いたけど、すごいですねぇ、アニィ!」
「ああ、本当になぁ。流石天下一の都、大魔王都だぜ」
ほかにも、結界に守れている都はいくつかある。
だが、これほど巨大な結界は、天下に二つとない。
これがあったればこそ、大魔王都はドラゴンなどといった巨大な魔物に襲われる心配もなく、栄えることが出来るのだ。
大魔王都に集められる魔石の多くは、これを維持するために使われているのである。
「でもさ、近づいていくと、だんだんあの結界が見えなくなってくるってんでしょう? 不思議ですよねぇ」
「そうじゃねぇと、あの中真っ暗になっちまうからなぁ。仕組みはわからねぇけど、すげぇもんだぜ」
街道の端に立って大魔王都を眺めているのは、ゴンロクとモスケだけではない。
多くの旅人達が足を止め、遠く結界の様子を眺めている。
ここは大魔王都の結界を見るのにちょうどよい場所で、名所になっているのだ。
「こんな景色が拝めるなんてよぉ。遠くまで来ちまったなぁ」
「すまねぇアニィ。俺が短気を起こしたばっかりに」
「バカヤロウ、あれはあれでよかったんだよ。おめぇが真っ先に飛び出さなかったら、俺がやってたさ」
ゴンロクとモスケが、なぜ在所を離れ大魔王都へやってきたのか。
いや、やってこなければならなかったのか。
数日前のことである。
ゴンロクとモスケは、共に農家の三男以下。
労働力として働かされるものの、恵まれた生活とは無縁の立場である。
例えばこれが戦国の世であったならば、あるいは立身出世の道があったかもしれない。
しかし、世はまさに太平。
己の置かれた立場に甘んじるほかない。
それでももがくのが、若者というものである。
とはいえ、さして才があるわけでもないこの二人にできたのは、少々の悪さを働く程度。
家を飛び出し、最寄りの街へ逃げ込んで、ヤクザ者の親分に使ってもらいたいと頭を下げるのが精いっぱい。
それにしたところで、もはやヤクザ者にしたところで、おつむがよろしくなければ身を立てられぬ時代である。
少々腕っぷしが強いのだけが自慢であるゴンロクとモスケは、下っ端扱いが関の山。
それでも、実家での扱いに比べれば、格段に良い生活が送れていた。
何しろ日に三食、飯が食える。
二人にとって見ればそれだけで、飛び上がる程にうれしいことだった。
ケンカをしたり、みかじめ料を集めたり。
下っ端として使われるのにも、慣れたころ。
親分からもらった小遣いで酒を飲み、いい気分で当てがわれた街はずれの小屋に帰る、途中での出来事であった。
道から少し離れたところから、何やら揉めているような声が聞こえてくる。
何事かと見てみれば、幾人かの男が寄ってたかって、娘一人を手籠めにしようとしているではないか。
コノヤロウとばかりに飛び出したのは、弟分のモスケであった。
モスケは気が短いところがあり、すぐに手を出す癖がある。
普段はむしろ気の弱い男なのだが、自分の我慢ならないことがあれば、手が付けられないほどに暴れるのだ。
ゴンロクの方も、すぐに頭に血が上るほうであった。
娘を手籠めにしようとしていた男達は、五人ほど。
すぐに近づいてくるゴンロクとモスケに気が付き、迎え撃とうとする。
しかし、二人は畑仕事でしっかりと体が鍛えられており、最近は飯を食えるようになったこともあり、全く力が漲っている。
それだけでなく、子供のころから無鉄砲で、大人数や年上相手にもひるまずに殴りかかっていくような始末であった。
二人で組んでのケンカも、二十や三十では利かない。
倍以上の人数をあっという間に叩きのめしたが、そのころには娘はどこぞへ逃げていた。
こんなケンカになんぞ巻き込まれて、良いことなんぞ一つもない。
さっさと逃げるのが一番である。
自分達も帰ろうとしたゴンロク達に、叩きのめされた男の一人が啖呵を切り始めた。
こんなことをしてタダで済むと思っているのか、自分はこの街を取り仕切る大親分の息子だぞ、と。
これを聞いたゴンロクとモスケは、鼻で笑った。
そんな立派なご身分の息子様がこんなザマとは、聞いて呆れる。
というより、こんなチンピラ二人にも負けるような奴が、そんな立場にいるはずがない。
大方ホラでも吹いて、驚かそうとしているのだろう。
実にけしからん話ではないか。
ゴンロクとモスケは男達を全員裸に剥くと、両足を着ていたもので縛り上げ、池に放り込んだ。
浅い池なので、溺れることはないだろう。
もっとも、足を縛ってあるので這い上がることは出来ず、誰かが見つけてくれるまで一晩は水の中につかることになるはずだ。
実に小気味いいことである。
ゴンロクとモスケは清々しい気分で、寝床へと戻っていった。
真っ青になったのは、その翌日のことである。
なんとあのスケベ野郎は、本当に街道筋を仕切る大親分の息子。
それも、将来組を預かるはずの長男だったのだ。
ゴンロクとモスケが世話になっている組よりも、十倍はあろうかという規模の組である。
戦になれば、あっという間に叩き潰されてしまう。
親分は庇ってくれようとしたが、流石にそんな迷惑はかけられない。
幸いにして、二人はまだ下っ端身分であり、正式に杯を交わしていなかった。
行方をくらませたことにすれば、親分に迷惑をかけることはないだろう。
二人は慌てて支度を整えると、大急ぎで故郷を飛び出したのである。
「しかし、ちっと疲れたなぁ」
若い体力にものを言わせ、丸一日歩き通した。
普通なら倒れているところだろう。
「そうですねぇ。流石に腹が減ってきましたよ。あっ! そうだ、こいつを頂きましょうか!」
モスケが取り出したのは、竹の皮で包まれた握り飯である。
街を出ていこうとしたとき、手渡されたものだ。
渡してくれたのは、あの時襲われていた娘である。
二人は知らなかったのだが、なんと親分の家の近くに住んでいたらしい。
事の次第を聞きつけ、わざわざ見送りに来てくれたようなのだ。
娘は自分のためにと何度も頭を下げながら、この握り飯を渡してくれたのである。
「あんなに謝られたら、なんだかいいことしたみたいな気になりますね」
「気に入らねぇヤツをぶん殴っただけだってぇのによぉ。あの娘さんにゃぁ、かえってわりぃことしたな」
あの娘を助けた、良いことをした、などとは、二人とも微塵も思っていなかった。
気持ちよく酔っぱらっていたのに気分を悪くさせた、いけ好かないクズをぶん殴っただけなのである。
竹の皮を開き、握り飯を掴む。
所々に赤いものが見えるのは、解した梅干しが混ぜられているからだろう。
一晩経っているので多少心配だったが、これならば腐っていることはなさそうだ。
梅の良い香りがする。
大口を開けて、一口。
まず、酸っぱい。
じわじわと唾液が出てくる。
噛みしめるごとに、米の旨味と甘みが現れてきた。
塩加減も申し分ない。
「いやぁ、うめぇなぁ」
「白飯ってなぁ、格別ですねぇ。腹も減ってますし」
「まったくだ。景色も最高だしな。なにより、娘さんの気持ちがありがてぇじゃねぇか」
「違いねぇや!」
二人は握り飯を凄まじい勢いで食い終えると、再び大魔王都へ向けて歩き出したのであった。




