風来坊必殺拳 「親子飯」6
「この、たわけ者がっ!」
勘定奉行、血刃魔王ソンソルダは、浪人風のいでたちをしている男に杯を投げつけた。
注がれていた酒が顔にかかるが、男は僅かに顔をしかめただけで、微動だにしない。
「殺すなら殺すで、もっと上手くやらぬか!」
「申し訳ありません。例の帳面を持っていましたので、今しかない、と」
「ふん、それについては、よくやったがな。まあ、お主にも血刃魔王家の血が流れておるのだ。この程度は当然ではあるが」
この浪人風の男は、ソンソルダの三男であった。
武家の、とりわけ魔王家において、家督を継ぐ長男とそれ以下の男児の扱いというのは、雲泥の差がある。
この三男もほとんど顧みられずに育ってきた。
そのせいもあってか、あるいは本人の元来の気性ゆえか、悪い仲間とつるむ様になっていた。
そんな折、家系の特性である「血刃」を発現する。
己の血を刃とし、斬りつけたものの血も吸い上げて武器とする。
戦国の世においては、多くの敵を震え上がらせた力である。
これで、婿入りなどの道も開けたか、と思いきや。
三男はこれを悪用し、ますます悪事に手を染めたのである。
酒代や遊びの金を踏み倒し、気に入らない者は「血刃」で脅したり、あるいは斬り捨てた。
そんな三男の存在をはじめは疎んでいたソンソルダだったが、ある時ふと使い道を思いついた。
邪魔なものを脅す、あるいは消してしまう実働部隊として、つかうことである。
ソンソルダは野心的な男であった。
立場をうまく利用して金を集め、賂を使って地位を高める。
そして、さらにそれを利用して、金を集める。
今はまだ勘定奉行の一人でしかないが、いずれは幕府の老中として、さらに権力を握りたい。
そのためには、まだまだ金が必要であった。
「ふん、あのものはわしが横領をしていると勘付き、脅してきおった。少しは頭が回るのかと思って警戒しておったが、存外ただの馬鹿者であったな。まあ、よい。とにかく、万が一のこともある。その大工親子とやらを探し、始末せよ」
ソンソルダが扇子で指した先にあるのは、例の瓦版であった。
「それが終わったら、お主はサイガ港へ行け」
「サイガ港、ですか?」
大魔王都から離れた場所にある、海上運搬拠点の一つである。
場所柄、物流が激しく、商人が多かった。
一日に動く金は、大魔王都にも引けを取らないと言われている。
「うむ。実はな、次の賂で、サイガ港の代官職を買えそうなのだ」
サイガ港は天領、つまり大魔王家の支配であった。
どこかの魔王家の領地ではないので、派遣された代官が治めることになる。
悪意あるものがその職に就けば、どれだけの賂が転がり込むか。
「それは、おめでとうございます」
「わかったら、急げ」
三男を見送ったソンソルダは、荒く息をついた。
隣に影のように付き添っていた男が、酒の入った杯を差し出す。
それを一息に飲み干した。
「魔王様、よろしいのですか?」
「なぁに、始末をつけるのはあちらでの方がやりやすかろうよ」
始め、三男は実に使い勝手が良い駒であった。
今まで遊ぶのにも窮していたのだろう、少々の金をありがたがり、よく働いたからだ。
だが、最近は贅沢を覚えてきており、悪知恵もついてきたと見える。
ソンソルダの側近であるこの影のような男によれば、件の旗本から奪った不正の証拠。
帳面の写しを、密かに隠し持っているというのだ。
「まったく、これまで育ててやった恩も忘れおって」
腐っても、ソンソルダは魔王である。
ほかの魔王の目がないサイガ港であれば、いかようにも始末をつけられる。
面倒ではあるが、これも己が野心を満たすため。
「これぞ本来の魔王のありようよ! ふっはっはっはっ!」
ソンソルダは至極、機嫌よさそうな笑い声をあげた。
「ふん、親父殿の思惑など疾うに見破って居るわ」
三男は、ソンソルダが己を亡き者にしようとしていると、とうに気が付いていたのである。
だが、それに「気が付いていない振り」をしていた。
サイガ港へ向かうことになったら、全く別の土地へ行くつもりである。
「大魔王都でならいざ知らず、田舎町であればこの血刃を使って好き放題よ」
元々、安酒や半端な遊びで満足してきた身である。
金があるからこそ「豪遊」しているが、そこらの田舎でできる遊びで十分に満足できる。
親父殿が渡してくれるであろう「旅費」を手に、どこか田舎町に引っ込む。
そこで、慎ましく、盗賊や山賊やらをしながら、楽しく暮らすのだ。
「己の欲のままに、力を振るう。本来魔王とはそういった物であろうに。金やら権力なんぞに目を眩ませおって」
三男はニヤニヤと、静かに笑う。
父親のそれとは違い声こそ出さぬものの、その顔は実に似た気配を漂わせるものであった。
北町奉行所を出たゼヴルファーとダイ公は、その足で鉄拳魔王城へと来ていた。
集めた四名の配下に、事の次第を説明する。
「なんと、健気な親子でございますなぁ」
「まったくなぁ。何とか助けてやりてぇじゃねぇか。とりあえず、アルガ。おめぇさん、ソンソルダってのを調べてくれ」
「承知しました。就きましては調査費用といたしまして、小金貨を一枚ほど」
「やらねぇよ。お前またぞろ銀食器でも買うつもりだろう」
「ちょうど、掘り出し物が出ておりまして。いやいやいや、金もあったほうが、こう、聞き込みも円滑にですね」
「おめぇの聞き込み相手は幽霊連中だろうが。金なんぞ使わねぇだろうに」
「ですよねぇ」
家令であるアルガは、幽霊である。
正確には、建物にとりついていた幽霊が、精霊に昇華した存在である。
この大魔王都においては、幽霊の存在が広く一般に知られてはいた。
が、そういった者達は自我が薄いものがほとんどで、また、声や姿を見聞きできるものも少ない。
ゆえに、「ただの幽霊」である場合、その証言などが何かしらの証拠になることはなかった。
今回のような辻斬りでも、「斬られた本人」の証言が証拠として採用されることは、ほぼ無い。
とはいえ、参考にはなるし、ゼヴルファーのような立場の者にとっては、良い情報源にもなる。
「若。その親子、やはりどこかに匿っておいた方がよろしいのではないですかな」
リットクの言葉に、ゼヴルファーは大きくうなずく。
安全を考えれば、それが一番良い。
「そうだなぁ。とはいえ、どこに匿ったもんか」
「ふぅむ。いささか躊躇われますが、やはりここは晴天がよろしいのではないかと。数日かかる大工仕事があるので泊まり込んでいる。などと言っておけば、言い訳もたちましょう」
「晴天か。しかし、ソンソルダの野郎がどう出てきやがるか」
女将ならば、快く二人を匿ってくれるだろう。
問題は、勘定奉行所が踏み込んできた場合である。
「若、お忘れでございますか。晴天は大魔王都一の料亭。大魔王様もお越しになれることがあるのでございますぞ」
「おお、なるほど。その手があるか」
「へ? なんすか?」
「ダイ公が、大魔王様として遊びに来てるとなりゃぁ、誰だろうがむやみやたらと踏み込めねぇだろ」
「するってぇと、俺が隠れ蓑になるってことっすか? なぁーるほどぉ! そりゃいい手だ! さっすがリットクさん、年の功っすねぇ!」
自分が出汁に使われることに対する怒りなどは、全くないらしい。
こういうダイ公のさっぱりとした性格を、ゼヴルファーは好ましく思っていた。
「そうとなったら、リットク。なるだけ早く、晴天に繋ぎをとってくれ。二人を匿っておいてくれってなぁ」
「お任せを」
「それから、エルゼキュート。おめぇさんも情報をちょいと集めてみてくれ」
「わかりー、ましたー」
植物と会話が可能であるエルゼキュートも、独自の情報網を持っている。
「ソウベイ。万が一のこともある。晴天に行って、こっそり護衛しててくれねぇか」
「承って御座る!」
「若は、いかがなさるので?」
「大魔王城へいってくらぁ。顔見知りの魔王連中にな、ソンソルダとやらの評判を聞いて見てぇ。リットクは、ここにいてくれ。繋ぎをつける役が必要だからよぉ」
こうして、それぞれが己の役目を果たすべく、動き出したのである。
「晴天」の女将は、どこからか飛んできた折り鶴を手に取った。
「これは、リットク様の?」
リットクが繋ぎをつけるときに使う、術であった。
女将の手の上に乗った折り鶴はひとりでに開き、一枚の手紙になる。
中身を読んだ女将は、息を飲んだ。
丁度近くにいた板長にも、それを見せた。
「こ、こりゃぁ、大変だ! 女将さん、急ぎませんと」
「ええ、そうね」
女将は急いで、ゲンジの元へ向かった。
既に今日の仕事を終え、帰り支度を始めていたところである。
「あ、こりゃぁ、女将さん。今、ご挨拶に伺おうと思っていたところでして」
「まだいてくれて、良かった! ゲンジさん、大変なのよ!」
「へぇ?」
女将はゲンジに、ここにいるように、と伝えた。
もちろん、理由も伝える。
そのまま伝えるわけにはいかないから、内容はかなりぼかしたものであった。
ゲンジが目撃した殺しは、大魔王家の関わるもの。
町奉行所は手出しが難しく、ことによっては口封じをされるかもしれない。
危険だから、なるだけ人目の多い、晴天に泊まり込む様に。
ゲンジは顔を真っ青にして、震えあがった。
「そんな、あっしぁ、そんな大変なものを見ちまったわけですか」
「だから、ね、ゲンジさん。ひとまず、この店に隠れて」
「ですが女将さん、そんなことしたら、ご迷惑を」
「何にも迷惑なことなんてありませんよ。困ったときはお互い様。それにね、おミチちゃんのこともあるんですもの」
ハッとした顔で、ゲンジはミチの方に振り返った。
不安そうなミチの顔を見て、ゲンジは思わず屈みこみ、強く抱きしめる。
「おとうちゃん・・・」
「大丈夫だ、何にも心配いらねぇからな。 女将さん、本当に申し訳ねぇ。ご厄介にならせてください」
「ええ、もちろん! 安心して、ここにいてくださいね」
「ただ、女将さん。あっしは、一度家に戻らなきゃならねぇ。どうしても、取ってきたいものがあるんです」
「ゲンジさん、それはやめて。もう手が回ってるかもしれないもの」
心配する女将に、ゲンジは笑って首を振った。
「なぁに、心配いりません。おミチは、ここに置いていきます。あっし一人なら、どうとでも逃げられまさぁ」
いうや、ゲンジはさっと身をひるがえし、走り出した。
女将が止めようと声を上げるが、届かない。
走り去すゲンジの背中を、ミチは不安そうな面持ちで見送った。




