手学庵お節介帖 「赤い亀」1
国と国とが戦に明け暮れ、魔王と勇者が鎬を削る戦国乱世も、今は昔。
大魔王がすべての陸と海と空を手中に収め、太平の世が訪れた。
昔は傍若無人の限りを尽くした魔王達も、こうなってしまえばただの領主に過ぎず、領地の運営に頭を抱える日々。
かと思えば、負けたほうの連中が、商人として成功を収める、などということも珍しくない。
まったく、世の中というのはままならぬものである。
大魔王家により統治された世に於いて、大魔王四天王は国の中枢を担うものとなっていた。
その力と権力は、まさに絶大。
天下のご政道を左右するといって、差し支えなかった。
この四天王家の一つが、術魔王家である。
戦国の世には様々な魔法を駆使し、大魔王様をお助けした名門中の名門。
その術魔王家の元当主。
つまり、前術魔王であったのが、エンバフである。
当主の座を息子に譲り、長年勤めてきた大魔王城での役目も返上。
領地にでも戻ってのんびり余生を過ごす、のかと思いきや。
なんとこの老魔族、市中に降りて、ただの隠居として暮らし始めた。
のんびり暮らそうと、大魔王都の片隅にある一軒家を買い取ったのだが。
なんとこの一軒家、近所に住む子供達の遊び場になっていた。
むろん勝手に入り込んでのことだったのだが、何を思ったかエンバフはこれをたいそう面白がった。
子供達に「好きに遊びに来い」といい、屋敷を解放したのである。
すると、多くの子供達が集まり、遊ぶようになった。
そうするうち、どうやらエンバフは学がある人物らしいと、子供達は気が付く。
すると、子供の一人がこんなことを言いだした。
「ねぇ、おじいちゃん。いや、せんせい。もじのよみかきって、おしえてもらえないかなぁ」
大魔王都に於いて読み書き計算というのは、持っていれば便利な技術である。
だが、これを習うには、相応の金が必要であった。
エンバフの屋敷に遊びに来る子供達の家は、裕福なところばかりではない。
むしろ周りは貧乏長屋ばかりで、大抵の家には子供を手習い所へ通わせる余裕もなかった。
これにひどく衝撃を受けたエンバフは、わずかな対価で読み書き計算を教えるようになる。
うわさを聞き付けた子供達が集まってくるのだが、中には腹を空かせているものも少なくない。
また、エンバフの屋敷へ行くのを快く思わない親も、いくらかいた。
そこで、エンバフは子供達からわずかな対価を集め、昼食を振る舞うことにする。
ここはあくまで「安く飯を食わせる場所」である、としたのだ。
どうしても払えぬ子供からは、無理に金をとることはせず、手伝いをすることで対価とすることにした。
すると、タダで飯を食える場所、ということで、屋敷に来るのを許される子供も増えていく。
子供達が真剣に学び、たらふく飯を食うことが出来る場所。
エンバフは自らの屋敷の前に「手学庵」という看板を掲げるようになった。
昼食後の勉学も終わり、子供達は各々に動いていた。
家の用事があるために早々に帰る者もいれば、仲間と遊んでいるものもいる。
そんな子供達を横目に、エンバフは今後の教材を作るため、書籍を見ながら書き物をしていた。
場所は教室代わりに使っている広間であり、開け放たれた障子の向こうには、庭で遊ぶ子供達の様子も見える。
エンバフの近くにある机に、数名の子供達が集まり、話をしていた。
どこの水路では貝が取れる、魚が取れると、真剣な面持ちで話し合ってる。
大魔王都の運河は、運輸の要。
しっかりと管理されており、いくつもの魔王家が運河管理をお役目としてしていた。
それゆえ整備だけでなく美化にも力が入れられており、迂闊に泳ごうものならきつくお叱りを受ける。
ただ、例外もあった。
貧しいもの、あるいは子供などは特権として、運河での貝、魚採りが認められていたのである。
手学庵に来るほどんどの子供の家は、貧乏長屋に暮らしている。
彼らがとってくる貝や魚も、家族にとっては大切な収入源。
こういった話し合いにも、熱が入るのが当然であった。
「だからさ、あそこの池は今はいかないほうがいいんだって」
「せっかく、いい貝がとれるのになぁ」
「ほんとうにあぶないの? だいじょうぶじゃない?」
「ケガしてからじゃ、おそいんだよ」
何やら物騒な言葉が飛び交っている。
流石に気になったエンバフは、書き物の手を止めた。
「なにか、あったのかい?」
「ああ、先生。えっとね、おいらたちがいつも貝をとってる池があるんだけどさ」
「なんだ。水路じゃないのか。危なくないのかね?」
「水路でつかう船を、とめておくところなんだよ」
水路には、管理を任された魔王家の番屋が建っている。
人の目があるので子供達だけでもさして危ないことはないが、それ以外の水場は危険な場所であった。
だが、子供達が言っているのは、少々広めにとられた船着き場のことらしい。
なるほど、見た目には池と変わらないが、そういった場所には船の盗難を防ぐため、自身番なども建っている。
「そこはね、とってもいい貝がとれるんだ」
「おっきくて、おいしいやつ」
「でもさ、さいきん、へんなカメがいるんだよ」
「亀? あの、甲羅を背負ったやつかい」
「そう、コウラにくびをひっこめるやつ」
「なんか、せなかが赤くってさ。みたことないやつなんだよ」
「みたことないから、あぶないかもしれないでしょう。だから、近づかないほうがいいね、ってはなしてたの」
「危ないといっても、亀なのだろう?」
亀が危ない、と言われても、エンバフにはすぐにピンとこなかった。
同じように思っている子供もいるようで、うなずいている。
だが、集まっている中でも比較的年かさな子供達は、何を馬鹿な、というように顔をしかめた。
「なにいってるの。すっぽんだって、カメだよ」
「かまれたら、指もっていかれるよ。指」
なるほど、これはエンバフが迂闊であった。
確かにすっぽんも亀であり、あれに噛まれたら大怪我を負う。
まして子供であれば、なおのこと。
「言われてみれば、もっともだな。見慣れない亀か」
こうなると、気になって仕方がない。
「よし、行ってみるかな」
元術魔王、国務に携わる重鎮中の重鎮であったエンバフであるが、その腰は恐ろしく軽かった。
筆を置くとすぐに、子供達に案内してもらい、件の池とやらに向かう。
子供達も、エンバフに見てもらえば、すぐに何かしら対処をしてくれると考えたのだろう。
喜んで案内してくれた。
池というのは、運河から少し引き込んだ場所で、石垣などで側面を囲まれたものであった。
水深は少し深いが、子供の首が出る程度。
しっかりと水の流れがあるようで、さして淀んでおらず、底が見えるほどには透明である。
船を結わえておくための杭や、水の流れを制御するためと思しき岩が突きだしているのが見える。
その岩の上に、一匹の亀が乗っている。
「あれだよ、あれ」
「このへんだと、みたことないよね」
エンバフもよくこの辺りを散歩するのだが、確かに見かけない亀である。
基本的には緑色なのだが、赤い色が入っていた。
直線と曲線が入り組んでおり、まるで図ったように正確にそれが並んでいる。
「ほう、美しい甲羅だな」
「いわれてみれば、そうだね」
「あれ、食えるかなぁ」
「とりあえずは、やめて置いた方がいいんじゃないかな。毒があるかもしれないからね」
それを聞いて、子供達は露骨にがっかりした様子になる。
罠などを使ってすっぽんを捕まえれば、意外に良い金額になった。
子供達にとっては、貴重な収入源なのだ。
「いや、しかし。ううむ。見たことがない亀だな」
「でしょう? かみついてきたり、するかな」
「まほうをとばしてくるかもしれない」
「それは、やだなぁ」
魔獣やらも多い世の中である。
見知らぬ獣を取ろうとしたら、炎で焼き殺された、などということも珍しくない。
そういった事件が、時折、瓦版で取りざたされたりする。
「どうしたものかな、これは」
番屋に届けたところで、追い払われるのが落ちだろう。
何か事が起こったならばいざ知らず、亀一匹に動いて居られるほど、連中も暇ではない。
そこで、はたとひらめくものがあった。
「おお、そうだ。アレに聞いてみるか」
「だれか、くわしいひとが、いるの?」
「うむ。知り合いに一人、ちょうどいいのが居てね。ただ、そうなると支度がいるな」
「なにがいるの? かみしも?」
「はっはっは! いやいや、研究熱心な男でね。そっちに金と時を使いすぎて、いつも腹を空かせているのさ。だから、食い物を差し入れしてやらねばな」
様々なことに手を出しているエンバフだが、料理はしてこなかった。
食べるのが専門である。
そのかわり、料理が出来る男を、本家から連れてきていた。
現役で魔王をしていた頃から使っていた、いわゆる密偵、忍びの類である。
素晴らしい腕前、というほどでもないのだが、なかなか美味いものを作る。
当時使っていた中では唯一料理をしたということもあり、隠居をするのにつれてきたのだが。
手学庵で子供達に振る舞う料理を作ったり、ちょっとした調べものを頼んだりなど、実に良く働いてくれている。
隠居生活につき合わせるには少々もったいなかった、などとも思うのだが。
いかんせん、当の本人は今の暮らしを気に入っているようであった。
「そうか、ゴードルフ先生に、たのむんだ」
「ゴードルフ先生のめし、うまいもんな」
「かぁちゃんより、りょうりうまいよ」
「おまえ、それ、母ちゃんのまえでいうなよ。おこられるぞ」
「わかってるよ。かあちゃんのまえでは、かあちゃんのつくったものがいちばん、っていうさ。それが、おもいやりってもんだろ」
子供達のやり取りを聞いて、エンバフは思わず噴き出した。
なかなかどうして、子供達もしっかりと考えて生きているものである。
活動報告の方で書いてみました作品群を、連載という形で初めて見ました
そちらの方で読んでいただけた方にも楽しんでいただけますよう、新規エピソードで始めさせていただきたいと思います
活動報告で読んでくださっていた方々のご期待を裏切らないよう
初めて読んでくださる方に楽しんでいただけるよう、頑張りたいと思います