第33話 沼地のビースト
「そういえば、師匠と姉さんは、何でそんな仮面をしているんっすか?」
荒野を歩くニールはハッとして、前を歩く2人へ尋ねる。2人が歩きながらニールを振り返ると、レイズとセレナは同じ白い仮面をしていた。
オメガビーストへ変身しやすくするための仮面であり、レイズが誰かにオメガビーストへ変身したタイミングを見られても、誰なのか分からなければ何とかなるという考えだ。
しかし、そんなことをニールへ話すこともできず。
「うるさいわね…とっとと歩きなさい」
「そんなつれないこと言わんでくださいよー!」
「ほら!行くわよ!」
「わ!セレナ!それじゃニールがついてこれないよ!?」
「甘やかさない!!」
「はい、姉さん!厳しく来てください!!」
「キモい!」
「えー!?」
セレナが足を早めると、レイズは慌てて続く。遅れてニールも早歩きを始める。
「ま、待ってください!くそー!歩いているだけでとんでもない速さだぜ!!」
ニールはもはや駆け足だ。しかし、レイズとセレナは素早く歩いているように見える。2人の地力が高いというよりも、レイズとセレナは風魔法による影響だろう。
段々と速度を上げていく2人へ追いつくため、ニールは素早く手足を動かして走り始める。
「うぉぉおおおお!!追いついてやりますぜ!」
さらに気合を入れて声を轟かせるニールだが、その声があまりにも大きいためか、セレナはムッとしてニールへ言う。
「もう!うるさいわね!大声は出さない!」
セレナに叱られたニールは子犬みたいにびくりと全身を震わせると、怯えたように走り続けてた。
「セレナ、ちょっとキツく言い過ぎだよ」
「ビーストが潜んでいるかもしれないような場所で大声なんて自殺行為よ!?」
「そ、それでも…」
「もう!レイズは甘いんだから!」
セレナは背後を振り返る。そこには勢いよく走っているニールの姿があった。
「ほら!気を引き締めなさい!私もレイズも、何かあってもアンタを助けないからね!」
「姉さん!冷たいっすよー!」
レイズはそんなセレナとニールのやり取りを見ながら呟く。
「…何だかんだで、面倒見が良いよね」
ーーーーーーー
レイズ達はそんな調子で荒野を進んでいくと、段々と乾燥していた空気に潤いを感じ始める。やがて、岩や砂だらけの場所から、緑が生い茂る場所へと進んでいく。
「…ゼェっ…ゼェっ…」
膝に両手をついて呼吸を整えているニールを他所に、レイズとセレナは背の高い草の茂みの奥を覗く。
「いるわね…」
「うん…」
レイズとセレナは茂みの遥か向こう側にビーストの気配を感じる。まだ向こうに気付かれるような位置ではないが…
「近くに人の気配もあるわ」
「え?」
「魔力は感じないけれど、動きというか、空気の揺れを感じるもの」
セレナの言葉にレイズはハッとする。荒野の村長が教えてくれた集落の人かもしれないと。
フロンティアラインの向こう側で暮らす人々は、迫害されている人々であることが多く、レイズが探知できないということは魔力もないゼロの紋章を持つ人かもしれない。
「助けないと」
「ビーストは人に気付いている様子はないわ。ゼロの紋章なのが幸いしたようね」
そんな2人の背後からニールの声が響く。
「師匠に姉さん…すいやせん!」
「ん?」
「呼吸!整いやした!これで行けますぜ!」
そう言って親指を立てるニールへレイズが言う。
「この茂みを進んだ先にビーストがいるから、ここからは気をつけて行こうね」
「はい!気合い入れて行きますぜ!」
ーーーーーーーー
レイズ達が茂みを進んでいくと、段々と地面が泥濘んでくる。ベチョベチョとした泥に足をすくわれそうになりながらも、レイズ達は草をかき分けて進んでいく。
やがて、茂みを抜けると、レイズ達の目の前には広大な沼地が広がっていた。迂闊に足を踏み入れれば飲み込まれそうな灰色の大地だ。
「師匠?姉さん?」
立ち止まるレイズとセレナへニールが首を傾げる。風魔法を使える2人なら底なし沼など屁でもない。そんな2人が警戒した面持ちで沼地を見渡しているため、ニールは2人が地形に警戒しているのではなく、何か別の存在に注意を向けているのだと察する。
「…何かいるんですね?」
ニールの言葉に2人はコクリと頷く。
「うん…」
「ビーストっすか?」
「違う…ビーストの気配だけじゃないね」
「え?」
レイズの言葉に眉を顰めるニールだが、次の瞬間…
「飛んで!」
セレナが叫ぶと、レイズはニールの腕を掴んで風魔法で舞い上がる。そんな彼らが立っていた場所には、パッと地面が沈んでいた。
「っ!?」
「え、え!?えええぇぇぇぇえ!?」
ニールは地面を見下ろすと、先程まで立っていた場所がクレーターのようになっていた。まるで地面を誰かが殴って凹ませたようにも見えるが、その正体はビーストだとすぐに気付く。
「口ぃ!?」
「ニール!!舌を噛むよ!!」
「でも!!姉さんが!?」
「セレナなら心配ないよ!ほら!!」
地上に現れた巨大な口に驚くニール
そして、その口にセレナが飲み込まれたことにも驚くが、レイズの言葉に反応して唇をギュッと結ぶ。レイズは風魔法で舞い上がりながら、沼地の空を縦横無尽に舞っていく。そんな彼を地上から泥の弾丸が次々と放たれていく。
「んんんんんんんんっ!」
レイズに掴まれているニールは口をしっかりと閉じながら悲鳴をあげる。レイズは凄まじい速度で動きながら、下と上から迫る泥の弾丸を避けており、さながら安全規格を完全に無視したジェットコースターにでも乗っている心境であろう。
そして、地上から打ち上がってくる泥の弾丸は、空中で一定の高さまで打ち上がると、そのまま下にいるレイズへ向けてカーブして迫ってくる。まるで意志を持っているような動きであり、レイズは上下左右から飛翔する泥の弾丸の対応に、文字通り追われていた。
「…っ」
レイズは無言で魔法を放つ。彼の周囲に3つの黄色い魔法陣が浮かぶと、そこから無数の光の糸が放たれ始める。
「っ!?」
ニールはそんなレイズの魔法を見て嬉々とした表情を浮かべる。師匠であるレイズが風魔法だけでなく光魔法にまで高度に精通していることが嬉しい様子だ。
そして、レイズの放った光の糸はまるで鞭や触手のようにしなると、飛翔してくる泥の弾丸を次々と撃ち落としていく。
「ぎゃっぅらぁるベェタぁぁぁぁ!!」
泥の弾丸からはビーストのような絶叫が響く。どうやら、レイズを狙っていた泥の弾丸は、それぞれがビーストであったようだ。
そして…
「ぎゃっぁぁぁぁっぁぁあっっっぅらぁるべたぁぁ!!!」
地上から絶叫が響くと同時に、セレナがヒュンッと飛び出てくる。
「…ビーストはやっつけたわ…だけど…」
セレナは風魔法で滞空すると、ジワジワと灰色の沼地が真っ赤に染まるのを見つめている。彼女はまだ何かあるような視線で地面を見つめていた。
「セレナ?」
「あいつがいたわ…」
セレナのところまでフワフワとニールを連れて向かったレイズへ、セレナは不機嫌そうな表情でそう答える。
「…あいつ?」
首を傾げるレイズは、セレナが見つめている箇所へ視線を向ける。おそらく、泥の弾丸を放ったビーストのキャリアとなっているビーストの亡骸が沈んでいるであろう箇所だ。
セレナが体内から討伐したのだが、彼女の口振りでは、セレナだけではなかったようだ。
「…っ!?」
レイズはハッとすると、地上から巨大な剣が飛翔してくる。まるで鉄の塊といった黒く無骨な剣だ。慌てて横へ飛んで避けるレイズの傍を通り過ぎて上昇していく巨大な剣だが…
「誰かいる!?」
レイズは通り過ぎていく剣を見上げる。その剣に人の気配を感じる。たしかに、人が悠々と乗れそうな大きさはある剣だ。
「あいつよ…!」
「え?」
「あいつっすか!?」
セレナも同時に空へ昇っていく巨大な剣を見上げていた。そして、その巨大な剣がパッと消えると、今度は空を覆うほどの無数の剣が姿を現す。その剣先のどれもがレイズかセレナへ向けられている。
「っ!?」
「なななななな!なんすか!?」
レイズは空にいる存在の気配を探る。それはビーストではなく人間に近い存在だ。しかし、どこかで感じたことのある気配だ。
「もしかして…」
「ちょっと…ふざけないでよ!!」
セレナが空へ向かって叫ぶと、遥か上空から女性の声が響く。
「強者達よ!!妾の暇潰しに付き合ってもらうぞ!!」
聞き覚えのある女性の声が響いてくる。
「ペンドラさん?」