第13話 逃げるビースト
レイズは馬車の外へ出ると、自分に平伏しているカナンとペンドラとミリアを見渡す。
思わず、面をあげてくださいと言いそうになるが、目の前にアリーシャが騎士を連れていることを目にすると、これも形式的なものだと仰々しさを飲み込む。
「あ、えっと…お久しぶりです!アリーシャ様!」
レイズがそう叫ぶと、アリーシャは怪訝な顔でレイズを見つめる。
「…聖騎士レイズ様とお見受けする!!」
「あ、はい!!そうです!!」
「どうか!ここデロスの脅威を退けてほしい!!」
アリーシャが単刀直入に叫ぶと、レイズはもちろん二つ返事だ。
「はい!!あ、あの!!ビーストを退けたら!!デロスのポータルを使っても良いですか!?」
「それぐらい容易いことだ!!他に条件はあるか!?」
「ありません!!」
「…っ!」
アリーシャは思わず馬から落ちそうになる。まさか「他にない」と言われるとは思っていなかった。
「レイズ様のお名前でカナン殿とペンドラ殿に動いてもらうことになるが!!それでも構わないか!?」
「はい!!…えっと、大丈夫ですよね?」
レイズは頷いたものの、本当に良いのかと事後確認を2人へ取る。
カナンは少し不本意な様子で頷く。
対照的にペンドラは
「レイズ様のご意志が全て…このペンドラ、レイズ様へ死ねと言われれば、この首を斬り飛ばす覚悟がございますぞ!!」
「…お前は首を斬り飛ばしても死なんだろう」
「っ!!」
カナンにそれぐらいでは死ねないと指摘されると、ペンドラは愕然としていた。
まるでレイズが死ねと命じられた時に答えるのが自分では難しいことに絶望している様子だ。
「あの!!大丈夫です!!」
二つ目の返事をするレイズへアリーシャが二つ目の問いかけをする。
「ほ、本当に条件はデロスのポータルを使用することだけで構わんのか!?」
「はい!!!大丈夫です!!」
ーーーーーーー
「さて、やるとするかのう」
「ああ、あまり時間をかけている余裕はないからな」
デロスの防波堤に立つのはカナンとペンドラだ。2人のはるか背後では、大勢のデロスの冒険者や兵士、騎士達が見守っていた。2人の視線の先には、イプシロンビーストやデルタビーストの群れが押し寄せてきており、それは大波となってデロスへ迫っていた。
あの大波がデロスへ訪れれば、防波堤を超えて、デロスの分厚い城壁を流し、街の中へビーストの侵入を許すことになる。そもそも、デルタビーストやイプシロンビーストの群れなど対処できるほどの戦力はデロスにないのだ。
そんな景色を前に、ペンドラが振り上げた両手に巨大な黒い剣が召喚される。
「ふんぬ!!」
ペンドラが気合の入った掛け声と共に、その黒い巨大な剣を振り下ろすと、走る剣閃によって迫りくる大波が二つに引き裂かれる。
「ぎゃぁう!!!」
大波に身を隠していたビーストの大群が空へと打ち上げられていく。そして、ペンドラに切り裂かれた大波は消失し、そこには穏やかな海面が広がっていた。
続けてカナンが紫の稲妻を纏った剣を腰の鞘から勢いよく振り抜く。まさしく抜刀術のような要領だ。カナンが放った無数の剣閃によって、波から打ち上がったビーストは細切れに切り刻まれていく。
「さて、デルタは一網打尽だのう」
「ああ…あとはイプシロン共か」
ペンドラとカナンは穏やかな海面を見渡す。やがて、ボトボトと切り刻まれたビーストの亡骸が海面を叩き音を鳴らすのだが、その海面の底には、打ち上げられなかったイプシロンビーストが潜んでいる。
「数は6だな!!」
「ああ…私が4、お前が2だな」
「ぬかしおる!!妾が5で!お主が1だ!!」
「そうか、すまないな、ペンドラ」
「ぬ!貴様!!はかったな!!」
ーーーーーー
「すげぇ…」
「ああ…あんなのを従えている聖騎士レイズってやべぇやつなんじゃ」
「お、おう…」
遠目にイプシロンビーストと交戦を始めているカナンとペンドラを見つめているデロスの街の人々だ。6対2の状況を優勢に進めている2人へ、彼らは言葉を失いつつある。
デルタビーストですら脅威中の脅威であり、イプシロンともなれば想像を絶する強さであろう。しかし、そんなイプシロンを圧倒しているカナンとペンドラを前にすると、そのイプシロンビーストですら大したことはないのかもしれないと錯覚を覚える。
「っ!?」
しかし、イプシロンビーストの一体、青い細長い龍が口を大きく開いて閃光を放つ。圧倒的な魔力の波がデロスの街へと走る。
観戦していた冒険者達は死を覚悟するほどの圧倒的な魔力だ。イプシロンビーストが大したことなどないと感じるのはただの錯覚であったと突きつけてくるような閃光の威力を前にしていた。
「…もう!」
しかし、そのイプシロンビーストが放った閃光を、1人の銀髪の少女がひまわりのような剣で切り裂く。そして、彼女は水面に降り立つと、そのひまわりのような剣で肩を叩きながら呆れたようにカナンとペンドラへ言う。
「ねぇ!!そろそろ交代しましょ!!!」
「早いではないか!?」
「はい!まだ数刻しか経っておりません!」
「今の攻撃だって!私が防がなきゃ街が滅んでいたわよ!!」
「ふざけるでないぞ!!」
「街の護衛はセレナ様のお務めです!」
ーーーーーーーーーー
「ぎゃぅ…?」
今まで自分が世界で最強だと考えていた。息を吹きかければ命を失わない生命などいなかった。古龍であろうと、人間であろうと、何であろうと、自分がその気になれば、その命を奪い去ることができると思っていた。
これは当たり前の権利であり、超越者である自分にのみ与えられた特権だ。だから、今日は今日とて、気ままに殺戮を楽しんでいた。他者の縄張りを荒らして周り、血と肉で遊び回る。どれだけ繰り返しても飽きることのない遊び。
中には、そんな私の行為を咎めようとやってくる存在がいた。使命を果たせと古龍が、仲間を殺すなと人間がやってくる。しかし、今日の奴は少し違った。
「…見つけたぞ!!ビースト!!!このゴブリンマンが成敗してやるぞ!!!」
目の前にいるのはただのアルファビーストだ。ゴブリンと呼ばれる存在であったろうか。脆弱な存在であるがこそ、私の偉大さが伝わらないのだろう。哀れなことだ。
私はそう考え、その白痴さに同情し、なるべく痛みがないようにと一思いに殺そうとする。口を僅かに開いて吐息をかける。空気が白くなるほどの冷気を浴びれば、アルファビーストなどすぐに凍てついて鼓動をも止める。
「そんな攻撃が正義に通ると思うのか!?」
しかし、そんな冷気を浴びてもなお、ゴブリンはピンピンとしていた、そして、奴は人間の言葉を放ち私に指を向けてくる。普通のビーストではないと私が感じた時には
「ぎゃっ!!??」
額に激痛が走る。何だこれはと私は思考を巡らせる。痛みという概念を知ってはいるが感じたことはない。これが痛み?
「ぎゃぁぁぅるぁらぁるベェエエタァア!?」
「これでトドメだ!!」
「ぎゃっ!!」
私は勢いよく爪を振り下ろす。いくつもの生命を刈り取ってきた爪だ。
「む?小癪な!」
「ぎゃっぁぁう!?」
爪が折れて飛んでいくと、近くの岩山を砕いてもなお止まらぬ速度で彼方へ消えていく。
「…ぎゃう?」
私が世界で最も優れているのではないのか。
「ぎゃぁう!!?」
私には他者の命と尊厳を自由にする特権があるのではないのか。
「ぎゃあぁぁぅらぁぁるべぇぇたぁぁぁぁ!!!」
私は初めて逃げた。
恐怖を感じた。
痛みを感じた。
私は世界最強ではないのか。私は自由ではないのか。
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「あれが…古龍アトランティカ」
レイズは隻眼の古龍を見つめていた。伝承の通り、その下半身はまるで人魚のようになっている。上半身には美女のものがあり、手の先は龍のような姿だが、顔や胴体はまさしく人間のものであった。青く輝く髪を長く伸ばした美しい顔にある目は片方が潰れており、その龍のような右手の爪は折れていた。
まるで何かと争いの果てに逃げてきたような雰囲気があった。そんな疲れ切った表情を浮かべるアトランティカの額には確かに「ζ」と文字が刻まれていた。そして、アトランティカの体躯は大きい、その龍を人間の大きさと仮定すれば、レイズはピンポン玉ぐらいの大きさであろうか。
「ぎゃぁうらあぁるべぇたぁぁあ!!!」
アトランティカは怯えたように叫ぶ。
まるで怯えた動物が放つ威嚇のような咆哮だ。それだけで海面が大きく揺れて、穏やかだった海原は大荒れになるのだが、そんな海原でレイズは平然と立っていた。
一見すると脆弱そうに見えるレイズへ最大限の警戒心を持っているようだ。
「…マスター、新しいスーツのテストをするには脅威的な相手だと考えます」
そんなレイズの傍にスッとスーツが姿を現す。彼女は相変わらずフリフリのゴスロリメイド服を纏っていた。
海底龍アトランティカはその再生力が自慢だ。
古代遺跡の集落を襲撃したサリスンの再生力も、このアトランティカをコピーしたものであった。
その再生力を上回る攻撃を続けなければ倒せない相手であり、レイズが戦うには無理のある相手であった。
「そうだね…流石にゼータビーストだもんね」
「はい、ここは私が対処しましょう」
「え?」
そう言ってスーツは右腕を突き出すと、カシャカシャと様々な火器へと変形していき、無数の火器から放たれた攻撃によって、アトランティカは木っ端微塵に吹き飛ばされていた。
「…圧倒的な再生力があるはずなのに」