第2話 カナンの憂鬱
学校の体育館ぐらいの広さはあろう部屋がある。床には赤色の絨毯が広げられており、豪華なシャンデリアがキラキラとした光で部屋を照らしている。壁に窓はなく、代わりに古今東西のあらゆる剣がかけられていた。
壁にかかった剣を満足そうに眺めているのは1人の女性だ。金色の髪が腰のあたりまで真っ直ぐに伸びているのだが、まとまった髪がアホ毛のように頭部から飛び出ている。8頭身はあろうスラリとした体に真紅のドレスを纏っている。妖艶な容姿をしており、その真っ赤な瞳は異性だけでなく同性のハートすらも射抜いてしまいそうな美貌があった。
そんな彼女の美貌にはひとつだけ欠点があった。
「おい!ペンドラ!」
「…っ」
桃色の髪を勢いよく揺らしながら白い鎧を纏った女性が、彼女のいる部屋へと飛び込んでくる。揺らしているのが髪の毛だけでないことは言うまでもないだろう。
そんな彼女のものと自分のものを見比べて、ジト目でカナンを見つめる女性
「カナン!!お主の血を吸い尽くして出涸らしにくれる!!」
「何をいきなり!?…それよりもだ!!貴様!!ゼロの紋章を聖騎士へ推挙するなど、何を考えているのだ!?」
女性が非常に険しい顔をしているのだが、そんなことに構わず、カナンは要件を持ち出す。カナンは手に持った紙を女性へ見せつけるように突き出すと、「騎士王 承認」と書かれている箇所を強調するように指で示す。
「何を言う。ゼロの紋章が聖騎士になったら楽しいではないか?」
そう言って妖艶な笑みを浮かべるのは聖騎士の1人だ。その笑みひとつで様々な男性や女性を虜にしてしまう美貌の持ち主であるのだが、カナンには通じないようだ。
「ふざけるな!!」
「妾はいたって真面目ぞ!」
「騎士王としての自覚を持て!!ペンドラ!!!」
剣聖と呼ばれるカナンが相対しているのは騎士王『ペンドラキュリーナ・リリ・リアリール』だ。
世界最強と呼ばれる英雄中の英雄であり、片手でデルタビーストを倒せるほどとまで言われている戦闘力を持つ。世界最強と呼ばれるがゆえ、日々の退屈さにうんざりしているのか刺激を求める危険な傾向にあった。
「ふむ。よかろう…自覚を持つとするかのう」
「む?」
ペンドラは少しムキになったように言うと、すぐにニヤリと笑みを浮かべる。まさしく悪巧みしていますと言った表情だ。
「ペンドラ、貴様、何を企んでいる?」
「ふふ…」
「何だ?気持ち悪いな」
ペンドラの美貌を前に気持ち悪いと言えるのはカナンぐらいであろう。
「…このゼロ紋の聖騎士には、神殿騎士から側近が必要ではなかろうか?」
「ん?」
ペンドラの言葉に段々と顔を青くさせるカナン
「おい…まさか?」
「妾は聖騎士、貴様は一介の神殿騎士」
「嫌な予感がするのだが、それは職権濫用ではないか?」
カナンは察していた。
ペンドラが何を言い出そうとしているのかを…
「妾は上司!貴様は部下!!」
「ああ、名目上はな」
「ならば、今すぐ妾に跪くがよいぞ!」
「意味がわからん!断る!」
「カナンよ…貴様にはゼロ紋の側近を命ずるぞ!!」
「ふざけるな!貴様の指示になど従わぬ!」
「ミリア様からの命であれば断れまい!」
「…何を言うか!?ミリア様がそのようなことをお命じになるはずがなかろう!?」
「…ふふ」
「む?」
このペンドラの笑みの理由をカナンが理解するのは、少し後のことであった。
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「はぁ…」
思わずため息が漏れそうになるのをグッと堪えながらカナンは馬車で待っていた。
不本意な忠誠を耐えるだけの使命感と精神力を持つ彼女だが、流石にゼロの紋章を持つ曰く付きの聖騎士へ仕えることになるのは気が引けるようだ。
カナンがレイズへ仕えることになった理由が理解できない。
ペンドラはおもしろ半分だ。
予言王はそもそもが理解できない。
ミリアの考えは計り知れない。
各国の王はミリアが言うならばといった具合だ。
理由が分かりさえすれば不満の一つや二つなど簡単に飲み込める。しかし、これではあまりにもであろうか。
「…」
しかし、そんな考え方は甘えだと自戒するカナンは、ミリアへ向けるのと同じような忠誠心をレイズへ抱こうと腹を括り直す。
「…む?」
そんな時だ。
馬車の外に人の気配を感じる。その気配の一つがミリアのものであると悟った彼女は、主人であるレイズが同行しているのだろうと察した。
「…物凄い気配が3つ…ひとつは人間だが」
カナンは警戒した面持ちをする。
気配を感じたのだが、どれもこれも異常な気配であり、人ですらないものが混じっているようだ。この気配の中にゼロの紋章であるレイズが混ざっているはずがないとギョッとするカナンは、パッと馬車から飛び出す。
「…カナン?」
剣を構えて飛び出してきたカナンを前に、首を傾げたミリアがいた。
「ミリア様…ご無事でしたか」
カナンはミリアが無事な様子を確認すると、手に持つ剣を鞘へと納める。そして、ミリアの前にいる人物を見渡す。
1人は金髪の青年、1人は銀色の少女、もう1人は…
「化けているな」
カナンはペロを見てそう感じるのだが、あえて口にすることはしなかった。
なぜならば、ミリアの前にいる金髪の青年の特徴が、彼女が仕えるべきゼロの紋章の聖騎士と一致しており、ペロがレイズの同行者であることを察したからだ。
「…失礼しました」
カナンは剣を鞘へ戻すと、深々と頭を下げる。
「レイズ様…私からも謝罪いたします」
そう言ってミリアも頭を下げる。
しかし、慌ててレイズは答える。
「あ、いえ!やめてください!頭を上げてください!」
「…はっ!」
レイズに言われてカナンは面を上げる。同時に、彼の右手の甲に「0」と確かに刻まれていることを確認する。それがカナンにとって違和感であった。
「…」
目の前のレイズには異様なまでの存在感がある。圧倒的な強者のみが放つオーラと言えば近いだろうか。それは決して魔法が使えないゼロの紋章が持ちえるオーラではない。そして、どこか人間ではないような気配を感じていた。
「ミリア様…」
カナンはミリアへ問いかけようと名前を呟く。
しかし、当のミリアはすべてを承知しているかのような様子で答える。
「カナン、これ以上の無礼は許しませんよ」
「…はっ!」
ミリアの言葉に、カナンは彼女が承知しているのならばと、それ以上の言及を避けることにした。レイズがただのゼロの紋章ではないと感じ取れるぐらいにカナンは卓越しているようだ。
「…レイズ様、本来であれば、このカナンの無礼は万死に値します」
「誠に申し訳ございませんでした」
「え、ちょっと!それはやり過ぎですよ!」
仕えるべき主人へ刃を向ける。
本来のカナンであれば起こり得ない失態であるが、レイズ達が異常中の異常な存在であるため、仕方なかった側面もあろう。
「しかし、このカナンは剣聖と呼ばれる存在です。レイズ様のお役に必ず立てるかと存じます」
「はっ!この身命を賭して、レイズ様へ仕える覚悟にございます!」
「…剣聖…え、え…あっ!紫電のカナン!!!」
ミリアの謝罪からの自己紹介へ繋げる流れを前に、レイズはハッとする。剣聖や紫電という名は冒険者を志すものにとって聞き覚えがないはずがない名前だ。
「はっ!…剣聖や紫電などと過分な名前で呼ばれておりますが、いずれは過分とならぬように精進を続けております」
「ちょ、ちょっと待ってください!なんで、カナン様が僕に仕えるんですか!?」
「はっ!レイズ様は聖騎士にございます!そのレイズ様の側近として私が任命されました!」
カナンがレイズへ仕える理由、それを1番知りたいのは彼女自身であろう。
「聖騎士の側近として、優秀な神殿騎士が任命されるのは風習として存在するのです」
「…」
「レイズ!!!!」
再びレイズはプシューと湯気を頭から立ち上らせて後ろ向きに倒れる。そんなレイズを慌てて支えるのはセレナだ。
「…」
カナンはそんなセレナのことも注視していた。
「…辺境にこのようなものがまだまだいるとは、ペンドラ、貴様の退屈さは知見の狭さにあるのかもしれんな」
カナンはそう心の中で呟かざるを得なかった。