第62話 渦巻く面倒事
「…ルージュ・フォン・ローズだな」
暗く冷たい牢屋の中、ルージュの耳に聞こえてくるのは凛々しい女性の声だ。
その声に反応してルージュの真っ赤な髪が揺れる。
「貴殿は?」
ルージュの目の前には、純白の鎧を身に纏う女性騎士がいる。薄い桃色の髪を後ろで結っており、凛とした雰囲気のある女性だ。
彼女が教会に属する神殿騎士の一人であろうことは、その格好からすぐに分かる。
だからこそ、ルージュは彼女へ丁寧に受け答えする。
「私は…神殿騎士に席を置く者だ。名をカナンと言う」
「カナン…」
「紫電と言えば通りは良いか?」
「っ!?…紫電のカナンか!」
ルージュは彼女の名前に聞き覚えがあるようだ。
カナンは“剣聖”とも称されるほどの存在であり、剣術だけなら騎士王にも匹敵すると言われている。
雷魔法で強化した剣術が彼女の二つ名である“紫電”の由来ともなっていた。
紫電と聞いて、知らぬ者はいないであろうほどの有名人である。
「そうだ。我が二つ名は、本名よりも通りが良いようだな」
「…カナン殿ともあろう者が、このような場所で、この私に何か用事か?」
「ああ…ルージュ殿、貴殿を迎えにきた」
そう言ってカナンはルージュの牢の鍵を開ける。
「…なぜ、カナン殿が私を?」
「まずは場所を変えよう。話はそれからだ」
カナンは牢屋の先にある扉を指し示す。
そこには小部屋があり、話ができる場所にはなっていた。
「ああ…」
ルージュは牢を出ると、小部屋へ向かって歩いて行く。彼女の少し後ろをカナンが続く。
二人が小部屋の中に入ると、部屋の中央にはテーブルが置かれており、そのテーブルを囲うようにソファーが置かれていた。
部屋にはまだ誰もおらず、カナンの仲間が迎えに行っているハザードを待つために、ルージュは部屋で待機することにした。
空いているソファーへ腰をかけると、反対側にカナンが腰を据える。
「それで話とは?」
カナンの様子にルージュが問いかける。
「主君との接見はまだであるが、レイズ様の騎士として任を受けた」
「主君…そうか」
ルージュはカナンの言葉をすぐに理解する。
聖女ミリアによって聖騎士となったレイズ
彼の直属としてカナンが配属されてきたのだろう。
聖女がレイズを祭り上げているのだから、剣聖とも呼ばれる彼女が聖騎士の直属として配属される異例の事態でも、これぐらいは当然の人事かとルージュは考えていた。
「主君であるレイズの代わりに貴殿が私を牢から出しに来たと言うわけか…」
ルージュはレイズの事情を知っている。
指名手配されているということは、まだ森から戻ってきてはいないのだろうと察していた。
レイズが自分を牢から出す為に迎えに来ることは不可能だ。そもそも、ルージュが捕まっていることすら知らないかもしれない。
そういった事情を察して、レイズの代わりにルージュを牢から出しにきたカナン
彼女の優秀さは剣術だけではないかもしれない。
「レイズ様の任命式はまだであることにより、各国への周知が至らず、此度のビーストの件ではルージュ殿には迷惑をかけたな」
「いや、私も覚悟を持ってのことだ。カナン殿が詫びる必要はない。もちろん、レイズからの謝罪も無要だ」
「痛み入る」
カナンが軽く頭を下げると、ルージュは片腕を上げて「よし」とする。
「…私の仲間も解放されるのか?」
「ああ、すでに別の神殿騎士が迎えに行っている」
「そうか…」
「ここでしばらく待っていると良い」
「ああ…」
「ところで、ルージュ殿、私は主君であるレイズ様の元へ馳せ参じなければならない」
「わかる話ではあるが、それが?」
「私にレイズ様の居場所を教えてくれまいか?」
「貴殿が本当にレイズの騎士であることを確認できれば話そう」
ここに来てのルージュの疑うようなセリフだ。
しかし、このルージュの慎重な態度は当たり前だと考えているカナンは、あらかじめ予想していたかのように懐から書状を取り出した。
「こちらを…」
「…」
ルージュはカナンから書状を受け取ると、すぐに目で流すように読み始める。
「ミリア様からのものだな…間違いない…」
ルージュは書状を読み終える。
「なるほど…確かに」
ルージュは頷くと、レイズの向かった場所をカナンへと話し始める。
ーーーーーーーー
ルージュとハザードが牢屋を後にする光景を窓から眺めているのはベイトとギルドマスターだ。
ヨクラルバの街の牢獄は、冒険者ギルドの近くに設置されており、ギルドの2階からは牢獄の外の様子なら見ることができる。
釈放されたルージュとハザードを、窓から複雑そうに眺めているベイトへ、ギルドマスターが語りかける。
「聖騎士の仲間ともなれば無罪となるのは当然だ。そんな顔で見つめてやるな」
マスターの言葉通り、ベイトは複雑な思いを抱いている。いや、許せないという意味では単純かもしれない。
レイズが聖騎士となったことは事実であり、彼の仲間であると見做されたルージュとハザードが、ビーストを匿ったことの責を問われなくなったことは法的に正しいのだろう。
しかし、一連の顛末に強引な印象は拭えない。
法的に正しくとも道理に外れているような気がしてベイトはならないようだ。
ベイトの心境からすると、一連の顛末はルールから外れているように感じ、釈放されたルージュやハザードを複雑な視線で見つめているのだろう。
「…本当に…レイズが聖騎士に…」
ベイトにはそもそもの疑問があった。
ゼロの紋章であるレイズがなぜ聖騎士になれたのかという疑問だ。
「先日の奇巌城崩落の件は知っているだろう」
ベイトが呟いた言葉にマスターは答える。
「ええ、レイズが巻き込まれたとは聞きましたが」
ベイトは「それが何か?」といった様子で尋ねる。
「巻き込まれたどころか、レイズの功績は華々しい」
「え?」
「聖女ミリアの救出、アリーシャ様の救出、奇巌城の崩壊、古龍アラドラメラクの無力化…どれか一つでも勲章が貰えるだろうな」
「まさか、それらの功績がすべてレイズにあると!?」
「聖女ミリアのお言葉だ。間違いはないとするのが大人の対応だろう」
マスターは含みがある物言いをする。
ベイトはマスターから視線を窓の外へと向ける。彼の視線が誰かを捉えているわけではないが、まるで見えない誰かを見つめるようにして彼は呟いた。
「…レイズ」
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「…流石のお前も気不味いか」
ルージュは頭を掻きながら歩くハザードへ問いかける。
「おう!ジロジロと見やがって!文句があるならかかってこいってんだ!」
「…そうだな」
ヨクラルバの街を歩くルージュとハザードを、街の多くの冒険者が睨みつけるようにして見ていた。中には、ボソボソと陰口を言っているものも見かける。
ビーストを匿っていたのにも関わらず無罪放免とされていることに不満のある人々もいるのだろう。
しかし、ルージュとハザードがヘイトを集めているのは別の理由もあった。
「…しっかしよぉ、やけに街の中に冒険者が多いな」
ハザードは街中を見渡す。
至るところで冒険者の姿があった。
ゴブリンのメスの捜索依頼で、ヨクラルバの近辺が賑わっているのは知っていたが、街中にまでこうして冒険者が多くいることに驚いているようだ。
「マインの捜索依頼は打ち切られたそうだ。彼らは帰り支度でもしているのだろう」
「打ち切りだと!?」
「ああ、レイズが確保したようなものだからな」
「おいおい!冒険王の名前で出されていた依頼だろう!?簡単に取り下げちゃくれねぇだろうが!」
「レイズも同じ聖騎士だ。そのレイズが保有しているマインを奪うような依頼は出したままにできないのだろう」
「なるほどなぁ…それでこいつらは帰り支度の為に街にいるわけだな」
ハザードが街行く冒険者へ目を向けると、彼と目の合った冒険者は険しい顔を向けた。仕事を奪ったレイズの仲間だと知られているからだろう。
「…レイズ兄貴、冒険王の不興を買っていないと良いけどなぁ」
ハザードは両腕を頭の後ろで組みながら空を見上げて呟いた。
自分達ですら冒険者から恨みを向けられている。当のレイズなら尚更だ。
「ハザード、お前がそんなことを気にできるようになるとはな」
ルージュはどこか感心したように呟いていた。
「おうよ!」
「まぁ、色々と面倒なことにはなりそうだがな…」