第46話 囁く古龍
レイズはエリンデの入っているガラスの筒の前で立っていた。
彼女からレイズは事の経緯を念話で聞いているようだ。
「ドクター?」
『はい、アバターと呼ばれている存在です。その方がこの大樹の管理をされていて、私たちに安寧をもたらしてくれたのです』
エリンデの話を要約すると、人間にも獣人にも馴染めない彼ら人型のビーストは、世界を彷徨う内に、ドクターと呼ばれる存在によってこの里まで導かれたようだ。
そして、様々な種族が古代遺跡の中で集い、こうして大樹の中で暮らしている。
しかし、数十年前、古代遺跡を覆う結界が何かの拍子で破壊されて、古龍に大樹の存在が気付かれてしまう。
そこで、ドクターは大樹そのものに強力な結界を張り、里を古龍の脅威から護ることにしていた。
そこで問題となるのが、結界のエネルギー源だ。
古代遺跡を覆う結界自体は、外の地脈から魔力を得て維持していた。
しかし、里を覆う結界は古代遺跡の中で魔力を確保しなければならない。それも、地脈がなく、退精霊石の効果によって魔力が弱められている環境の中でだ。
ドクターが用意した「ナノ・バッテリー」と呼ばれるものによって、数年は里を覆う結界を維持することができたそうだ。
その時間の間に、里の住人たちはある選択を迫られていた。
そして、里の住人が選択した結果が、巫女と呼ばれるエリンデ達の存在であろう。
「…生き残るために犠牲を強いたんですね」
レイズはガラスの筒が並ぶ部屋を眺める。この部屋や建物は、ドクターと呼ばれる存在が建てたものらしい。
『家族や友人、愛する人々を護るため、私達は身を捧げました』
「…気持ちは分かります」
レイズは自己犠牲を強いる政策を認めるつもりはない。しかし、自分が同じ立場であったらと考えると、頭ごなしに否定はできないでいた。
「里を…みんなを守りたいって気持ち、僕にも分かりますから」
『レイズ様…』
結界は古龍からだけではなく、退精霊石の効果からも里を守っていた。里の中であれば、魔力が滞ることもなく、魔力が宿った存在をエネルギー源とすれば、結界を維持することができていたのだ。
愛する人々を守るために自分の身を捧げる。
認めることも否定することも難しい話であった。
望まないマインを巫女にしたことはレイズの中で許せない気持ちもある。しかし、里の人々以上に、レイズ達人間の方がマインに対して非道を働いているのかもしれない。
元々、マインも巫女として選ばれていた。それを認めたくないマインの両親は、里から彼女を連れて逃げ出し、森のゴブリン達と生活を共にしていたようだ。
ヨクラルバの森に巣食うゴブリンキング討伐の折に、マインの両親は人間の手によって殺されているらしい。
マインを巫女にした里の人々
マインの両親を殺した人間達
彼女の取り巻く環境を考えると、レイズは目を覆いたくなるような事実であった。
『何か来ます…!』
「え?」
突然、エリンデがレイズに警鐘を鳴らす。
同時に、レイズ達の部屋に爆音が響いた。
「わぁ!!!」
『レイズ様!?』
レイズの体を衝撃が包み込み、彼は浮遊感を味わう。咄嗟に、腕輪からワイヤーを放ち、無人のガラスの筒へ巻きつけた。
グルグルとワイヤーがガラスの筒に巻きつきながら、レイズもガラスの筒の周りをグルグルと回ることで、爆発による衝撃波を殺し、レイズは無事に着地していた。
「はぁ…はぁ…」
咄嗟の思いつきだったが、うまくいったことに安堵している余裕はなさそうだ。
レイズの目の前からは、土煙に隠れた人影が見えた。
「…エリンデ様!!」
「レジーナさん!?」
『レジーナ!!』
土煙の中から聞こえてきたのはレジーナの声だ。
全身を真っ黒いスーツで包み込み、一挙一動に機械の駆動音が響く。
「助けに来たよ…エリン…デ…様…」
レジーナの姿は変わり果てていた。
オレンジ色の髪は白くなり、頬は痩せこけ、目は虚だ。まるで何かに生気を吸い取られている様子だ。
『レジーナ!!!まさか!?』
エリンデは変わり果てたレジーナの姿の原因を察していた。彼女がその身を包み込んでいる黒いスーツの動力源を参考にして、この里を覆う結界の動力源である結果石が発明されていた。
レイズは変わり果てた黒いスーツを纏うレジーナへ駆け寄る。
「レイズ君もありがとー!見て…永久機関…動かせたの!」
レジーナはパワード・スーツの胸元を開く。
そこには四角い箱が入っており、鈍く輝いていた。
「レジーナさん…」
『レイズ様!!あの永久機関は、永久ではなく、レジーナの生命を糧に動いています!!』
「え?」
『このままではレジーナが変わり果てて死んでしまいます!!どうか!!レジーナを止めてください!!』
エリンデの言葉を聞いて、レイズはレジーナの肩を掴む。
「レジーナさん!!そのパワードなんちゃらを脱いでください!!」
レイズに触れられたレジーナは、反射的にその腕で軽くレイズを押す。しかし、レジーナが想像している以上に力が加わり、レイズの体は数mは吹っ飛んだであろうか。
「っ!」
思ったよりも力を入れてしまったことに驚きと罪悪感を秘めるレジーナ
しかし、彼女はそんな考えを振り払うと、遠くで倒れているレイズへレジーナは冷たく言い放つ。
「邪魔をしないで…」
レジーナには決意があった。
エリンデを助けるためには手段を選ばないという覚悟である。
レイズに大怪我をさせたかもしれない。しかし、そんなことで彼女は止まらない。
レジーナは、自分が突き飛ばしたレイズの容体を確認することもなく、結界石と呼ばれるクリスタルが安置されている部屋を目指して歩き始める。
「待っててね…エリンデ様…」
『レジーナ!!やめて!!』
「うん、すぐに助け出すよ…そしたら…また…みんなで…」
『ダメよ!!!レジーナ!!!』
「苦しいよね…待ってて…すぐに助けるね」
『レジーナ!?』
「泣かないで…苦しまないで…すぐに助けるよ」
『レジーナ!!私は泣いても苦しんでもないわ!』
「エリンデ様の涙は私が止めるから…」
『レジーナ!?』
レジーナへエリンデの声は届かないようだ。
それどころか何か歪んだ形で届いていそうな気配を感じる。
会話が噛み合わない。
声が届いていない。
「…うん、分かってるよ」
「大丈夫…迷わない…」
「あのクリスタルだよね…」
「うん、こんな悪夢…すぐに終わらせようね」
『レジーナ…まさか…』
エリンデは誰かと話すレジーナの様子を見てハッとする。誰が彼女へ語りかけているのか、それは1人、いや、1体しかいない。
『エーリア・グロリアス!!!』
エリンデはかの古龍の名前を泣き叫ぶ。
怒り、悲しみ、憎しみなどのさまざまな激情を吐き出すように古龍の名前を叫ぶ。
『私達がそんなに憎い!?』
里を覆う不幸の元凶は全てエーリアグロリアスが招いたものだ。
レジーナへエリンデの声を借りて唆すように何かを語っているのであろう。
「待て!レジーナ!!!」
「…ブルド?」
結界を維持しているクリスタルが置かれている部屋の前に立つのは青い肌のオーガだ。
彼の前でピタリと足を止めるレジーナは、まるで迷う素振りを見せず、彼へ向けて手のひらを突き出す。
「…退いて」
そう短く告げるレジーナに戦慄を覚えるブルド
ここを退かなければ、彼女は迷わず自分に攻撃を放つであろうとブルドは確かな覚悟を感じていた。
「俺は退かん!!!」
ブルドは両手を広げてレジーナの行く手を阻む。
それでもという覚悟はブルドにもあった。エリンデの意思を尊重しようという覚悟だ。
結界が壊されてしまえば、自分を犠牲にしてまで里を守ろうとしたエリンデの意思が蔑ろにされてしまう。
「俺は退かんぞ!!レジーナ!!!」
『ブルド!!!逃げて!!!』
「エリンデ!?…お前はそこで安心していろ!!レジーナは俺が止めてやる!!」
そう叫ぶブルドを前に、レジーナは短く呟いた。
「…発動、ビーム・ライフル」
レジーナがそう呟くと、彼女の纏っているパワードスーツの機能の一部が発動する。
手のひらに薄い緑のガラス状のパーツが浮かぶと、そこから閃光が放たれる。
「っ!?」
「…見てられないわ」
ブルドへ放たれた閃光は、彼に命中する前に屈折して、部屋に空いた穴から空へと向かって消えていく。
そして、ブルドの前には刀を構えているセレナの姿があった。
「セレナ殿!?」
「…ここは任せなさい」
明らかに異常な戦闘力を持つレジーナを前に、セレナは警戒した面持ちを見せていた。
ブルドは決闘でセレナに敗れたこともあり、彼女の言葉にコクリと頷いていた。
そして、彼はゆっくりとエリンデ達のいるところへ進んでいく。
そんなブルドを一瞥もせず、レジーナは目下の障害であるセレナをじっと見つめ続けていた。
「…セレナっち、私の邪魔をしないで」
「セレナっちと呼ばないで」
「セレナっちには関係ない」
「巻き込んでおいて言うわね…まったく…それにね!!ウチの旦那様を突き飛ばしたようだから、アンタにやり返させてもらうわ」
そう言って、セレナは奥で倒れているレイズへ刀を向ける。
退精霊石の影響で魔力が溢れているレイズは、自然とその肉体も強化されている。
大怪我には至っていないようだが、気絶はしている様子だ。
「…ここで、セレナっちが私に勝てると思う?」
「面白いこと言うわね」
建物全体で発揮されている退精霊石の効果は、当然ながらセレナにも影響がある。
「この程度の退精霊石で私の戦闘力が鈍るはずないでしょ」
そう言ってセレナは不敵に笑ってみせた。