第37話 バンダナ
レイズとセレナとペロは大樹をグルリと回るように敷かれている階段を上がっていく。
目指すは村長の家である。
洗濯を終えて、セレナが破ったシーツはドワーフの女性にお願いし、手持ち無沙汰となったレイズ達は新たな仕事を求めて村長のところへ向かっていた。
今でこそ、集落のビースト達はレイズを恐れなくなっていた。洗濯でレイズの有能さと人柄が知れ渡った影響があるのだろう。
とはいえ、手伝うことがあるかをどうかを、レイズ達が里の人々へ直接尋ねると、驚かれてしまう可能性がある。
そのため、村長から紹介してもらおうという話になり、こうして上層を目指してレイズ達は階段を登っていた。
「…レイズ、何だか不穏なやつが来るわね」
「え?」
レイズの隣で立ち止まるセレナ
少し険しい顔で階段の先を見上げ続けていた。
しばらくすると、2人の少し後ろにいるペロが毛を逆立て始めた。
「にゃー!」
「敵なの?」
「知らないわよ」
「…」
レイズはセレナへ尋ねてみるが、彼女は私に分かるわけないでしょと言った素振りだ。
そんなレイズの疑問はすぐに晴れることとなる。
「おい!!客人ども!!!!」
階段の先からドシドシと足音をわざと響かせて降りてくるのはオーガだ。
青い肌をしており、まるで青鬼のような風貌である。他のオーガと比べて細身ではあるが、弱々しい印象というよりも、より洗練されているような印象があった。
「…客人、そう呼ぶ相手にする態度と表情ではないわね」
セレナはブルドを睨むように言い放つ。
たしかに、ブルドの態度は高圧的を超えて、どこか好戦的な印象すらある。
「便宜上!お前らを客人と呼んだだけだ!!敬意はないぞ!」
ブルドは高圧的な態度を続けている。
レイズ達よりも上段に位置し、両腕を胸の前で組み、まるで見下すような視線で彼らを見つめている。
「助けてほしいと…頭を下げて来たのはそっちだったと思うけど?」
セレナは少しカチンっと来たのか、少し煽るような口調でブルドへ言い放つ。
「俺の預かり知らぬこと!!俺は貴様らの力など必要としておらんぞ!!」
腕を胸の前で組み、堂々と叫ぶブルド
そんな彼の背後へ慌てた様子で階段を駆け降りてくるのはアスラだ。
「…!」
「アスラ!!俺を止めるな!!!」
「…!!!」
アスラはブルドへ叫んだ。
しかし、ブルドは彼の言葉を鼻で笑って返事とする。
「俺に勝ち目がないと思っているのか?」
「…!!!」
「ふん!お前はそこで見ていろ!!魔物の力など必要ないことを証明してやる!!」
ブルドはそう言ってセレナをギロリと睨む。
「おい!女!!」
「私はセレナよ!オーガ!」
「ふん!気の強い女だ!!」
「…で、何かしら?」
「お前は帰れ!不要だ!!」
ブルドはそう叫ぶと、アスラは慌てた様子でブルドとレイズ達の前へ躍り出る。
「…!!!」
「無言で何を言っているのか分からないわよ」
「にゃー!」
「アスラさんは、僕達とブルドさんが争うのを止めたいみたいだよ」
「それは…何となくわかるわ」
アスラはレイズとセレナを前に、頭を深く下げた。
「…!!」
「何て言っているのかしら?」
「にゃー!」
「レイズ様!!セレナ様!!里のものが大変な失礼をしました!!って言っているって」
アスラの言葉はペロを介してレイズが翻訳してセレナへ伝えていた。
しかし、目の前でセレナへ頭を下げるアスラの様子が気に入らないのか、ブルドは拳を震わせながら叫ぶ。
「退け!!アスラ!!」
「…!!」
「俺が退けと言っているのだ!!」
「…!!!」
「ふん!ドクターの意向とでも言いたいのか!?」
アスラが繰り返し何かを言っていると、再びブルドは鼻で笑うような態度を見せる。
「ドクター?」
セレナは怪訝な様子でドクターと尋ねる。
「おい!女!俺は帰れと言っている!!」
「…残念だけど、アンタの言うことを素直に聞く理由はないわ」
セレナはブルドへ嘲笑うような表情でそう答えた。まるで彼を挑発しているような素振りだ。
「ほう…ならば、俺の言葉を聞く理由を作ってやろう!!」
「へぇ…どうやって?」
「痛い思いをさせて分からせる!!俺は女でも手加減などせんぞ!!」
「良いわね…私もちょうどアンタに聴きたい事ができたわ」
不穏な様子から剣呑な様子へと変わるセレナとブルド
「…!」
「にゃー!」
「…そうだよ!!2人とも喧嘩はやめようよ!!」
アスラが叫ぶとレイズも黙っていられないとセレナを止め始める。
「セレナもやめて!!」
「レイズ!黙って見ていなさい!」
「セレナ!!」
「…あいつから聞き出さないといけない事ができたわ!!」
「セレナ…」
レイズはセレナを止めるのをやめた。彼女が強い意志を見せていたからだ。只ならぬ事情や想いをセレナが抱えていることはレイズも知っていた。それに自分を巻き込まないようにしているからこそ、何も話してくれないことも。
「場所を変えるぞ!」
ブルドはセレナへ向けて親指で合図する。
「ええ、そうね…」
セレナはセレナでニヤリと獰猛な笑みを見せていた。
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すでに色褪せ始めた記憶
細部まで思い出すことはできないが、景色が色褪せても、そこに宿る感情までは褪せることなどない…
「どうして…どうして!?」
「待て!レジーナ!!」
鋼鉄の部屋の奥へ進むエリンデの背中へ手を突き出しながら止めようと駆け出すレジーナ
何度もエリンデを呼び止めようとするレジーナだが、当のエリンデは彼女へ振り返ろうとすらせず、長い鋼鉄の通路を進んでいく。
そんなエリンデの傍には村長の姿もあった。
「待って!!エリンデ様!!」
「待てと言っている!!!」
そんなレジーナを腕で抱えて止めるのはブルドだ。
「ブルドっち!!離してー!」
レジーナは自分を掴んで離さないブルドへ叫ぶ。悲痛な声が鋼鉄の壁に反響していた。
「…エリンデが自分で決めたことだ…」
ブルドは珍しく弱々しい声でレジーナへ答える。声は震えて潤っていた。ブルドが発した言葉が本心ではないと手に取るように分かる。
「良いの!?ブルドはそれで良いの!?」
「っ!!」
「好きなんでしょ!?エリンデ様のことが好きなんでしょ!?」
「…」
「エリンデ様はブルドのこと!!大好きだって!!短気だけど、すごく優しいって!!」
「やめろ!!!!」
「ブルド!!!」
「やめて…くれ…」
レジーナの言葉を受けてブルドは目に涙を浮かべ始める。手に力が入らないのか、ブルドに抱えられていたレジーナは彼からスッと抜け出すことができていた。
レジーナは膝を折って泣き始めるブルドを前にグッと目を閉じて唇を噛み締めると、すぐに通路の先にいるエリンデの元へと駆け寄ろうとする。
「待て!!」
「っ!?」
レジーナの足元はピッタリと地面にくっ付いて離れない。これはブルドの魔法だ。
「ブルド!!」
レジーナは信じられないと言った様子で振り返ると、そこには腕を突き出しているブルドの姿があった。膝を地面につけたまま、目に大粒の涙を浮かべ、突き出した手はガクガクと震えている。
そんな様子なのにも関わらず、ブルドがエリンデを止めようとしないのが理解できないレジーナ
「どうして止めるの!?」
「言っただろう!!エリンデが自分で決めたこと!!」
「私の聞いたわ!!ブルドはどうしたいの!?」
「あいつの意志を俺は尊重したい!!」
「もう会えなくなるかもしれないの!!私は嫌!!」
「俺が必ず助け出す!!この里と一緒に!!俺がっ!!!」
ブルドは自分の胸を何度も拳で叩きながら繰り返す。
「俺が!俺が!!俺が!!!」
「ブルドにできるわけない!!!」
「やってやる!!エリンデと約束した!!!必ず助けるってな!!必ず迎えに行くってな!!!」
ブルドは叫ぶ。
何度も何度も何度も叫ぶ。
「俺が必ずエリンデを助ける!!」
「ブルド!!!」
「だから、レジーナ!!貴様の力も俺に貸せっ!!」
「私の…力!?」
「そうだ!!俺が古龍に打ち勝つには!お前のエルダードワーフとしての力が必要だ!!!」
ブルドは震える足で立ち上がる。目には大粒の涙を浮かべ、すでに目元は真っ赤だ。
もう何年にもなる付き合いの彼らだが、レジーナはこんなブルドの姿を初めて見る。それだけ、ブルドの決意は本物のようだ。
「そんなにエリンデ様のことを想っているのに!!どうして行かせるの!?」
レジーナの中で、どうしても理解できない疑問が怒りと共にあった。
2人からは遠目にしか見えないほどまで進んでしまったエリンデを、レジーナはブルドへ指し示しながら叫ぶ。
「答えて!!ブルド!!!」
「エリンデは…里のみんなを、ここを愛している。俺もエリンデが大切にしているものは大切にしたい…」
ブルドの言葉に息を詰まらせるレジーナ
彼女のエリンデが里を愛していることは知っていた。エリンデの幸せには、ブルドだけでなく、里の安寧も必要なのだ。
「く…どうして!?どうしてエリンデ様なの!?私じゃないの!?私なら!!!私なら!!!喜んでエリンデ様の代わりになるのに!!!」
「馬鹿なことを言うな!!!レジーナ!!エリンデはお前のことを親友だと思っているんだぞ!!」
「勝手なことばかり言わないで!!!ブルドもエリンデ様も!!!お互いのことだけを考えてよ!!それなら!!それなら1番良いのに!!!」
「レジーナ…」
「良いわ…」
「レジーナ?」
レジーナはスッと懐から赤いバンダナを取り出す。エリンデがいつも身に纏っていた彼女の母の形見のバンダナだ。別れ際に、エリンデからレジーナが受け取っていたものである。
レジーナはそのバンダナをエリンデと同じように自分と頭部に巻く。慣れていないのか、何度も結び直しては、位置を調整していた。
そんなレジーナの様子を見守るブルドへレジーナはニカっと笑う。
「良いよー!ブルドっち!!このレジーナが助けてあげる!!」
「レジーナ…」