第10話 セレナの実力
第10話『セレナの実力』
森の少し深くにはレイズ達がいた。
倒れた木々の近くに座り込み、どうやら誰かを診ているようだ。
「…大丈夫そうかしら?」
「うん、手当は終わったよ」
「そう」
僕の目の前には1人の男性が気を失って倒れていた。
彼のことは知っている。
名前はベイトさんだ。
酷い傷を負っており、内臓にダメージがあるようだ。
応急処置は無事に終えていたが、このままでは命に関わる。
早く街に連れて帰らないと。
「どうしたの?」
ベイトの容体が良くないことはセレナも分かっていた。
だから、トレント討伐は諦めて彼を連れて帰ることには同意している。
人命優先は理解してくれるのだとレイズは安堵していた。
そして、レイズは周囲を見渡す。
どこにも別の人影はなく、ベイトは1人だけのようだ。
「ね、レイズ…その人を早く連れて帰らないといけないんでしょ?」
「うん」
「そう、ならボーッとしないで帰りましょ」
セレナの言葉にレイズは首を横にも縦にも振らないでいた。
どうやら、彼の中で迷いがあるようだ。
「…どうしたの?」
「…」
「にゃう?」
セレナとペロはそんなレイズを怪訝そうに見つめていた。
何か考えがあるのは分かるが、レイズがそれを口にしようとしないからだ。
「…言いたいことがあるならハッキリといいなさい。レイズ」
「にゃー」
セレナの厳しい言葉に、ペロも同調するように鳴く。
時間は限られているのだから、モタモタしている暇などなかった。
レイズもそれは感じているのか、考えるよりも口にしてみようと考えた。
「…ベイトさん、すごく良い人なんだ」
レイズから出てきた言葉に眉を顰めるセレナ
良い人かどうかはあまり関係ない。
悠長なことを言うレイズにセレナは微かに苛立つ。
「ふーん、それで?」
「奥さんと2人で冒険者をやっていて…僕のこと、ちゃんと名前で呼んでくれる人達なんだ」
レイズの遠回しな話し方にセレナは痺れを切らす。
緊急を要するこの場合、せっかちなセレナの態度の方が正しいのかもしれない。
「…ハッキリしなさい」
「え?」
「どうしたいの?」
「…奥さんも助けたい」
「そう、分かったわ」
「え?」
セレナはレイズの返事を満足そうに頷く。
そして、ペロへ視線を向けた。
「ね、ペロちゃん、彼を街まで運べるかしら?」
「にゃー!…にゃー?」
ペロは「任せろ」と鳴く。
しかし、続けて「セレナはどうするの?」と尋ねるように鳴いた。
「私とレイズは、彼の奥さんを探してから帰るわ」
「セレナ!!でも!?」
レイズには確信がなかった。
ベイトの妻であるホーリーが森にいるかどうかもそうだが、ベイトがこの状態であるならば、彼女が生きている保証はない。
それに、セレナにも危険が及ぶ可能性がある。
助けたいのは山々だが、二次被害をレイズは恐れていた。
「でも?」
「ベイトさんはランクBの冒険者なんだよ!それがこうまでなるってことは、相手はガンマ級以上のビーストかもしれない!」
僕は2人を助けたいと思っている。
でも、そんなことができるほどの力なんてなかった。
ベイトさん達がやられてしまったかもしれないなら、僕とセレナに勝ち目はない相手だ。
そんな風に考えるレイズとは反対に、セレナは余裕そうに応える。
「ガンマ程度なら…そうね。ま、楽勝ね」
「セレナ!?」
「ほら、時間はないわ。ゴブリン種は人を襲うのよ。連れ去られたのが女性なら早くしないと」
ーーーーーーーーーー
「…ベイト」
「グガガガガガ!!!!」
「ベ…イト…」
「グガッ!!グガガガガガが!!!」
「に…げて…」
肩に乗せた女性が、愛する男性の名前を繰り返し呟く。
オーガにとって、その誰かを想う声は名曲を聴いているに等しい。
まるで豪華なオーケストラを聴いているような気持ちに浸れる。
心の中の感情が満たされていくのが分かる。
顔を嗜虐心に歪め、機嫌良さそうに森を駆けるオーガ
すでにビーストの嗜虐心は満たされているようだ。
そんなオーガの背後を生き残った数匹のゴブリンが続いていた。
彼らが向かう先は、住処にしている穴蔵だ。
ホーリーを生きて連れ帰るオーガの目的は“性欲”だ。
メスがいないゴブリン種は多種族を孕ませて子孫を残す。そのため、ゴブリン種が様々な種族のメスを連れて帰るのは生存戦略と言えるだろう。
しかし、オーガの場合は、ただの快楽であった。
「グガガガ?」
ご機嫌で森を駆けるオーガ
しかし、その笑い声に不協和音が混ざる。
不意に自分の体のバランスが悪くなったことにオーガは気付いたからだ。
「グガガ?」
ハッとして立ち止まるオーガを見て、背後にいたゴブリン達が慌てたような素振りをしていた。
そんなゴブリン達の様子に苛立ったのか、1番近くにいたゴブリンを殴り倒そうと右腕を動かそうとする。
しかし、右腕が言うことを聞かない。
不思議に思ったオーガが自分の右腕に視線を下ろす。
「グガ?」
自分の右腕は確かにあった。
しかし、不自然な位置にある。
地面に落ちているのだ。
まるで、自分の右肩と右腕が切り離されているような光景だ。
「グガガガガガ??」
右腕は地面に転がっている。
先端部は綺麗に切り裂かれており、ドクドクとしているが、血はまだ流れて出てこない。
だが、自分の右肩と右腕が離れ離れになってしまったのは確かなようだ。
「グガガガガガ!?」
腕が斬られていることに気付いた。
いつの間にか攻撃を受けていた。
その事実に慌てたオーガは、全身を震わせて筋肉をさらに隆起させる。
皮膚がさらに真っ赤となり、額の紋章が「β」から「γ」に変わっていく。
初動から本気を出す。
それほど、オーガは死を近くに感じていた。
そして、一連の動作により、肩からホーリーをドサリと地面に落とす。
地面に落ちたホーリーなど意に介さず、オーガは呼吸を荒げながら周囲に目を配る。
性欲を生存本能が上書きしているようだ。
自分への攻撃が察知できなかった。
それはすなわち、自分と相手の力量差につながる。
相手との圧倒的かつ不利な力量差を表していた。
「グガガ…」
オーガの声は震えている。
そこには様々な後悔の念が込められていた。
自分へ攻撃を加えたのは、森を震わせた存在ではないかとオーガは考えていた。
初志貫徹、もっと遠くへ逃げれば良かった。
気配が弱まり、脅威が去ったのではないかと思った途端、美味そうなホーリーを見つけてしまった。
食欲と性欲に負けてしまったことを後悔していた。
「グガガガ…っ!?」
警戒するオーガの前に、ふわりとその存在は姿を見せた。
「あら?ガンマ崩れのようね」
攻撃を加えたであろう存在は、姿を隠すつもりがないようだ。
そんな意思が込められたような登場の仕方をするのは綺麗な少女だ。
オーガは少女を凝視する。
数歩の至近距離、そこにはこの世のものとは思えない美があった。
森の暗闇の中にあっても輝く銀髪
青く透き通るブルーライト鉱石のような瞳
見るものを釘付けにする美貌
そして、真っ赤な刀が華奢な手には握られていた。
「グガガ!?」
「とはいえ、流石に魔法なしでは無理ね…やれやれ」
「グガガ!!!」
オーガは驚いていた。
目の前にいる女性から魔力が一切感じない。
だから気配を察知できなかっただけであり、攻撃に気づけなかっただけであった。
手痛い傷を負ってしまったが、魔力のない人間が相手であれば、自分の命まで脅かされることはない。
そう短絡的に考えたオーガは、目の前の綺麗な少女を前に、涎を溢しながら笑う。
命を拾えた安堵、続くのは性欲と食欲
つい先程まで、死を実感していたオーガの脳裏から、すでに死の恐怖は失せていた。
目の前の少女など、もはや脅威ではないと。
その考えには指摘する箇所が多々ある。
しかし、相手は知能の低いオーガだ。
「グガガガガ!!!」
オーガは左手を突き出しながらセレナへと迫っていく。
彼女を強く苦しめるために掴もうとしたのだ。
そんなビーストを前に、セレナは堂々と刀を構える。
「…発動、太刀適正・刀神」
彼女が魔法を発動した瞬間
オーガの全身に細かい線が網目状に刻まれる。
「グガガ??」
首を傾げるオーガは、次の瞬間、パンっと破裂音を響かせて血肉を撒き散らした。
「汚い花火ね…なーんて…」