記憶にであう話
どこをどう来たのか、歩いて来たのか走って来たのか何かに乗って来たのか、それすら思い出せないのですが、気が付くとこの地に足を運んでいました。
山に囲われた小さな谷に、住む人を失くした大きな家がひとつ立ち尽くしています。
私は幼い頃この家に住んでいました。
太い梁の通された、風通しの良い農村の家でした。
ここに来た理由も思い出せないまま私は家の中へと入り込みます。
蜘蛛の巣と埃と虫にまみれた家には子どもが住んでいました。
おもちゃのトラックで遊びながら、きゃっきゃと笑っています。
「ここでひとりで何してるの、お父さんやお母さんは」
訊ねると、彼は私の顔をじいっと見て、
「いい子して待ってれば、迎えに来てくれるんだよ」
そう言って笑います。
それじゃあ私も一緒に待つよ、と言うのですが、彼は頑なに断ります。
ここに居ちゃだめ。と。
「どうして」
私はしゃがみこんで、彼と視線を合わせようとします。
だけど彼はトラックを持って家の奥へと逃げて行ってしまいます。
私は追いかけて、台所の方へと向かいます。
蛇の抜け殻が床に張り付き、ねずみがうろちょろしている台所で、彼はトラックをぶうーんと転がしています。
「ここでひとりぼっちで待ってるのは、寂しくないのかい」
彼はトラックの動きを止めて、私の方を見ました。
そしてくすりと笑います。
まるでこの世の悲しみも喜びも全て見知ってしまっているかのような顔で。
笑うのです。
「寂しいよ。だから、ここに来ちゃいけない」
彼は私に歩み寄りながら。
だんだん近付きながら。
「だから、戻らなきゃいけない」
だんだん大きくなりながら。
だんだん成長しながら。
「だから、いつまでもここに居ちゃいけない」
だんだん自分の姿に近付きながら。
「いつまでも僕を引きずっていちゃいけないんだよ」
はは、と、私を笑うのです。
今の私を。
まるでこの世の絶望も幸福も全て見知ってしまっているかのような顔で。
笑うのです。
目を覚ますと喉が渇いていて、ピンクグレープフルーツジュースが飲みたいと真っ先に思いました。
右手には空になった薬瓶を握り締めていました。
うっすらと目を開けると、そこはビルに囲われた大きな街のアパートの小さな小さな一室でした。
頭がぼうっとしていて、痛みも苦しみも感知できないくらいの眠気とだるさの中で、携帯電話をまさぐって1を2回と9を押しました。
山に囲われた小さな谷の、蜘蛛の巣と埃と虫にまみれた家には私が住んでいました。
私は彼を殺そうとしました。
だけど、失敗に終わりました。
ピーポーピーポーと遠くから聞こえてくる中、再び目を閉じて私はあの家に戻ろうとしました。
だけどどうしても戻れないのです。
どうしても思い出せないのです。
どうやったらあの家に行けるのか。
どうやったら彼に会えるのか。
どうやったら彼を助け出せるのか。
私は涙が止まりませんでした。
まるで幼い子どものように。
声をあげて泣きました。
泣きました。