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壊れた現実


「今日は大変だったね。知らせを聞いて驚いたよ」


 屋敷に戻ってくるなり、ウィレム様は玄関まで出迎えたわたくしを抱きしめた。彼の仄かな香りが体のこわばりを解いていく。冷静に処理したつもりでも、随分と気にしていたらしい。


 意識して体から力を抜き、彼に寄りかかる。


 ウィレム様は妻はわたくしだけと言っていた。

 陛下はよほどのことがない限り、ウィレム様に第二夫人は認めない。


 だから彼女の言葉は嘘だとわかる。ただその中で一つだけとても引っかかっていて、胸に突き刺す棘がある。彼女の言葉の中であり得るかもしれないと思ったのはドレスと夜会のエスコートだ。


 屋敷に戻ってきた後も、そのことだけが思い出される。ウィレム様はドレスを強請られていたと言っていた。そしてエスコートも。


 第二夫人は嘘だとしても、その二つに関しては誰の許可もいらない。全部が嘘だと思えないのは、彼女が自信満々な態度だったからだ。何もなかったらそんな風に演技することはできないのではないかと思うのだ。


 だが心の内を隠して、わざと明るい口調で切り出した。


「あの方がバークス子爵令嬢でよかったのかしら? 名乗りもなかったので、本当の所はわからなくて」

「聞いた特徴からするとそうだろうな。色々と嘘を並べ立てていたようだが、第二夫人にする話などこれっぽちもない。子爵家には王家から抗議が入っているはずだ」


 あまりにも行き過ぎた行為に、不愉快そうに彼は眉を寄せた。


「信じてもいいの?」

「ああ。今回のこともあって、殿下には僕を盾に使うのをやめてもらうつもりだ」

「本当に?」

「第二夫人を娶るつもりもないのに、探しているふりをするからああいう勘違いする人間が出てくる」

「そうかもしれないわね」


 小さな声で会話をしながら、いつものようにわたくしを労わり、キスをして優しく甘やかす。それだけで天国に行けるほど幸せなはずなのに、そんな気持ちは少しにもならなかった。


 彼女の言葉はどこまで嘘なの?

 ウィレム様は嘘をついていないの?


 嘘でないことを確認すればいいだけなのに、何故か喉に引っかかって出てこない。信じたい気持ちが問い詰める言葉をからめとっていた。


「マリエル、顔色が悪いね。他にも気になることが?」


 優しく問われて、ぐっと奥歯を噛みしめた。

 聞いてしまった方がいい。ドレスとエスコートは数日後にはわかる話であるが、ずっと気にするのは気が滅入る。そう思っているのに、出てくる言葉は違うものばかり。


「いいえ、何も」

「本当に?」


 じっと見つめられて静かに問われた。何も気にしていないふりをして無理に笑みを浮かべた。


「もちろん。わたくし、信じていますから。そうだわ、ドレスを作ってもいいかしら?」

「珍しいね」

「ルイーズ様がとても素敵な布を使ったドレスを着ていたの。ちょっといいなと思って」


 ルイーズ様を言い訳に使うのは気が引けたが、どうしても真相が知りたかった。ウィレム様がドレスを作るとすると、いつもの商会に頼むはずだ。そこからウィレム様がドレスを注文していないとわかれば、わたくしのこの気持ちは整理がつく。


 そんな思い付きでのお願いであったが、もちろんウィレム様には言わない。彼もわたくしの信じているという言葉に納得したのか、それ以上聞いてくることはなかった。


 だが、わたくしの心は面倒くさい作りをしている。

 その引き際の良さが、実は彼が嘘をついていて余計なことを言いたくないという風にも思えた。


 信じてほしい、という言葉は不安な心には逆効果なの。


 だから、ウィレム様からドレスもエスコートもしないよ、彼女の嘘だよときちんと言葉で言ってほしい。

 わたくしはこういう心の持ち主だって誰よりも分かっているはずの彼がどうしてわたくしの()()()気持ちに気が付かないのかしら。


 やっぱり――。


「気に入った布があれば、いくつか作ればいい。マリエルはなかなか作らないからね」

「ありがとう」

「奥様を美しく着飾るのも夫としての役割だからね」


 いつもなら世界が輝くほど嬉しい言葉も、今欲しい言葉じゃなかった。




 許可をもらった翌日、侍女を連れていつも利用している商会を訪ねた。久しぶりの王都の街は賑やかで、馬車の中からでも明るい空気に自然と楽しくなってきた。気持ちが上向けば、重い心も少しばかり浮き上がってくる。


 第二夫人にすることは否定していた。そのことがドレスもエスコートも否定することにつながっているのだと、予想外の行動をとられて気が回らなかったのだと、ようやくそんな気持ちになってくる。


 そう、彼は嘘をついていない。

 ウィレム様はわたくしが嘘を嫌っていることをよく知っている。いつもはわたくしのことをよく知っているから心が傷つかないように言葉をくれる。だけど彼も完璧じゃないから、昨日はわたくしの不安を見落としてしまっただけ。


「奥様、つきましたよ」


 馬車が止まると、声をかけられた。彼女の後に続いて馬車を降りる。馬車を降りれば、商会長が表で待っていた。侍女の手を借りて降りれば、彼はにこやかに笑みを浮かべ、頭を下げた。


「奥様、お久しぶりでございます」

「今日はお世話になるわ」

「いつもありがとうございます。ではこちらに」


 案内された広い応接室には大きなテーブルが置かれ、その上に沢山の反物が積まれていた。色とりどりの布は見ているだけでも上質なものだとわかる。


「ルイーズ様が新しいドレスを着ていて、とても素敵だったの。なんでも最近仕入れた布だと聞いたのよ」

「左様でございますか。東方から仕入れた布でして、綺麗な色に染めることができます」


 わたくしの説明に彼はにこにこと笑みを浮かべる。側に控えていた使用人に、布を広げる様にと指示をした。二名の使用人が丁寧に布をいくつか広げる。


 ルイーズ様がドレスに仕立てていた美しいアプリコットの色鮮やかな物から、光沢を引き出すためにほんのりとした色の布もある。何よりも見ているだけでも、そのしなやかさが伝わってきた。


「本当に素晴らしい光沢ね。これほど美しい布は初めて見たわ」

「そうでしょう。色の付いたものも素晴らしいのですが、是非とも奥様にはこちらのドレスをお勧めします」


 商会長の合図で使用人たちがトルソーにかけたドレスを持ってきた。やや黄味のかかった白の布で作られたドレスだ。

 大きく襟の開いたオフショルダー、たっぷりと贅沢に布を使ったスカート。滑らかに広がるスカートの裾は同じ色の糸で華やかな刺繍が施されていた。


 その素晴らしさに目を見張った。


「このドレスと同じような色味の真珠の首飾りが奥様にとてもお似合いになります」


 そう言って商会長は使用人に渡されたアクセサリーをトルソーの首にかけた。大粒の真珠はそれだけで存在感があるにもかかわらず、何重にもなっている。


「まあ、相変わらず上手ね。今日はデイドレスを作りに来たのに……」

「こちらのドレスはすでにご主人様からお代金を頂いております」

「……ウィレム様が来たの?」


 許可をもらった時に何も言っていなかったから驚いてしまう。知りたかったのはここでわたくし以外に贈るドレスを作ったかどうかだったが、まさかわたくしのドレスを注文していたとは思わなかった。


 きっと驚かせたくて、わたくしのドレスを作ったことを秘密にしていた。


 その事実が次第に胸の中に広がり、嬉しさがこみあげてくる。


「ええ。この布ではありませんが、淡いピンク色の上質なものをお買い上げに来られました」

「え? 淡いピンク?」


 大きくなった悦びが一瞬にしてしぼんだ。商会長は硬い声を出したわたくしに丁寧な説明をする。


「淡いピンクの布はどなたかに頼まれたようでしたよ。適当に選んでほしいと言われて、今流行りのものをお勧めいたしました」

「そうなの……」

「その時にこちらのドレスを紹介させてもらったのです。もちろん完全なオーダーではありませんから、宣伝料としてこちらもそれなりに勉強させてもらいました」


 宣伝料と言われて、くすくすと笑う。どうやらウィレム様にだいぶ値切られたようだ。


「わかったわ。今度の夜会で着たらいいのね?」

「はい。今はまだ一部の方しかご存じでないので、この布の素晴らしさをどんどん広めていきたいのです」

「布だけじゃなくて真珠もでしょう?」

「よくおわかりで」


 商会長とあれこれと目の前の素晴らしいドレスの話をしながら、心の中は別のことを考えていた。


 ウィレム様がドレス用の布を買った。

 しかもあの令嬢が言っていたような色合いの布。


 やっぱり、という気持ちと、嘘つき、と思う気持ちが交互に込み上げてくる。

 だけども、不思議なことにとても落ち着いていた。昨夜の方がよほどぎしぎしとした音が聞こえていた。


 ウィレム様が嘘をついた。そのことにひどく傷ついて、胸の奥から血が流れているんじゃないかと思うほど痛くて苦しいのに、心はとても凪いでいて。


 もっと怒りに支配されると思っていたのに。

 胸の奥にできたころんとしたシコリは今までとは違う感情で、決意ともいえるようなしっかりとしたもの。


「奥様?」

「ああ、ごめんなさい。あまりにも素晴らしくて、見とれてしまっていたわ」

「左様でございますか。それにしても奥様は伯爵様に愛されておいでですね。いつもここにいると、とろけるような顔で奥様のお話をされていますよ」

「それはちょっと恥ずかしいわ」


 恥ずかしさに顔を熱くする。


「奥様がお美しいので、あまり人には見せたくないとおっしゃっていましたね」

「そんなことまで」


 他愛もない話をしながら笑う。ドレスの微調整をお願いして、商会を後にする。

 侍女と馬車に乗り込み、外を眺めた。からからとリズミカルな車輪の音を聞きながら目をつぶる。


 わたくしは初めから間違えていた。

 彼と結婚したいから彼の妻であることを認められるように、他の人と同じように見えるようにと本当の気持ちから目を逸らしてきた。

 だけど、自分をいくら隠してもわたくしはわたくしでしかない。ちょっとしたことで、すぐに苦しくなる。


 どうして他人に合わせようと考えていたのかしら。

 わたくしの幸せはウィレム様と二人っきりで生きていくこと。


 王家も貴族も関係ない。

 他人の目なんて気にしなければ、わたくしの幸せな世界を作るのはとても簡単なことだった。


 わたくしの知らない誰かに会いに行くなら、彼の足の腱を切ればいい。

 わたくし以外を見るのなら、目を抉ればいい。

 わたくしに嘘をつき出すなら、喉を潰せばいい。


 彼が動きたいのなら、わたくしが彼の足の代わりになるし、彼が美しいものを見たいのなら、わたくしの見える世界を教えてあげる。

 声だって、わたくしが彼以上に愛を囁くもの。


 幸せになりたい。彼を疑いたくない。

 だから、自分の手でそうなるように作ればいいだけなの。



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