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揺らぐ心


「マリエル、これで最終確認よ」


 テーブルの上に広げられた夜会に関する書類を分類していれば、ルイーズ様が弾んだ声を上げた。書類からルイーズ様の方を見れば、彼女は嬉々として最後の書類に目を通している。ようやく終わりが見えてきて、気持ちにゆとりが出てきたようだ。


「お疲れ様です。夜会の準備は想像以上に仕事がありましたわね」

「そうね。わたくしも責任者になったのは初めてだから、こんなにも大変なこととは思っていなかったわ。巻き込んでしまって申し訳なかったわね」

「いいえ。伯爵家では夜会を開かないのでいい勉強になりました」


 ルイーズ様が長椅子に座るように手を振るので、大人しく座る。侍女たちがさっと菓子とお茶を用意した。手際よく整えられるテーブルをぼんやりとみてため息をつく。


「疲れた?」

「ええ、正直に言えば」

「お母さまも手伝ってくださっていたとはいえ、想像以上に忙しかったわ。大体、デビューの夜会と一緒に色々な新しいものを導入し過ぎよ。やっぱり一度に設備を変えるなんて無茶なんだわ」


 ため息をついて、ルイーズ様は菓子に手を伸ばす。可愛らしいクッキーを選んで、摘まんだ。


「それで、マリエルは何をそんなに憂いているの?」

「憂いている?」

「ええ。上の空になっていることが多いもの。流石に気が付くわよ」


 ルイーズ様の心配そうな顔を見て、苦笑が漏れた。


「あったと言えばあったのですけど、気にしていたらダメというのか」

「言ってしまいなさいな。貴女が溜めると碌なことにならないから」


 ルイーズ様は茶化しながら、吐き出してしまえと促してくる。


「……引きません?」

「今さらよ」


 涼しげな顔で言い切られて、わたくしは肩から力を抜いた。長椅子の背に体を預ける。


「実はウィレム様にエスコートしてもらいたいという令嬢がいまして。しかも夜会に着るドレスも贈って欲しいそうです」

「はあ?!」


 恐ろしくどすの利いた声が響き渡った。あまりにもルイーズ様らしくない声に逆に驚いてしまう。


「ものすごく腹が立ってしまって。全力で潰そうと思ったのです」

「まあ、貴女のことですもの。そうなるわね」

「でも、その令嬢、七年前ほど前に亡くなったご友人の義妹だというので躊躇ってしまって」


 ほうっとため息をつけば、ルイーズ様がまじまじとわたくしの顔を見た。


「何か?」

「いえ、貴女がよく我慢できたなと思って」

「そうですわね。わたくしにも慈悲深い時があるのです。一度は見逃そうかと」


 ルイーズ様は手に持っていたクッキーを齧り、お茶を飲む。


「その不届き者、どこの家なの?」

「バークス子爵家ですわ」


 バークス子爵家という名前を聞いて、ルイーズ様は不思議そうに首を傾げた。


「今回の夜会には招待されていないわよね?」

「ええ。バークス子爵令嬢と便宜上呼んでいますけれども、後妻の連れ子のようで貴族籍は持っていないのです」

「はあああああ?」


 滅多に聞かれないルイーズ様の品のない叫び声が部屋中に響いた。


「普通はそういう反応ですわよね?」

「バークス子爵は貴族法を理解していないのかしら?」

「どちらかというと、何もしないよりもいいかもしれないと思っているかも。第二夫人になれたら儲けものですから」


 頭が痛いのか、こめかみをぐりぐりと強く押しながらルイーズ様は何やらブツブツと呟いている。


「それで、ウィレムの反応は?」

「信じられないと驚いていました」

「珍しい……あの人間不信が誰かを信じていたなんて」

「仕方がありませんわ。相手が幼い頃からの友人で、しかも亡くなった方ですから」


 亡くなった友人の真意に気が付いた彼はほんのわずかだけ傷ついた目をしていた。

 ウィレム様とわたくしは心の形がとても似ている。わたくしもウィレム様も人を信じることはできないし、裏切りには敏感だ。ただウィレム様はその心を絶対に見せない。だから優しい人で、付け入りやすいと誰もが勝手に勘違いをする。


「どちらにしても要注意ね。ウィレムにキレられたらこちらが困るもの」

「ウィレム様は短気じゃありません。ただ割り切りが早いだけで」

「……どちらも一緒よ」


 呆れたように呟いて、ルイーズ様はお茶をすすった。



 夜会の五日前にすべての準備は整った。先ほど最終確認が終わり、ルイーズ様より仕事の終了が告げられた。ルイーズ様の手伝いであったが、それでも大変な仕事量だった。これからルイーズ様は当日について打ち合わせをするようだから、本当に頭が下がる。


 回廊を歩きながら外を見れば、まだ明るい。こんなにも明るい時間に帰るのは本当に久しぶりだ。張りつめられた気力が抜けてしまったのか、今まで感じなかった疲れがどっと襲い掛かり体がひどく重く感じた。


「奥様、気晴らしに散策でもしていきませんか?」


 見かねた侍女がそう聞いてくる。わたくしは思わず足を止めて侍女を見た。彼女は城に引き取られた頃から面倒を見てくれている人で、こうして疲弊してくるとさりげなく休むようにと促してくる。


「そんなに疲れているように見える?」

「ええ。旦那様と同じぐらいお疲れのように見えます。王女殿下から散策の許可をもらっております」

「いつの間に」


 驚きつつもルイーズ様のいたずらっぽい笑顔を思い浮かべ、苦笑した。

 ルイーズ様が許可を出してくれたのは、城の庭園の奥にある温室だ。この温室は許可がないと立ち入れない特別な場所で、美しい花たちが咲き乱れている。わたくしでも滅多に立ち入れないので、ルイーズ様の心遣いは嬉しい。


「では、行きましょうか」


 向かう先を変え、再び歩き始めようとしたときに声がかかった。


「あの!」


 あまりの不躾な声のかけ方だった。侍女は表情を変えることなく、わたくしを自分の体で隠すようにして歩くようにと促した。城の中では礼儀のなっていない態度でわたくしに声をかける人間を無視していいことになっている。


 これは結婚前も結婚後も同じだ。結婚前は国王のお気に入りの姪であるため媚を売ってきたり、無理やり関係を結ぼうとする輩が多く、結婚後はウィレム様へ恋慕した令嬢たちの暴挙が続いたためだ。


 きちんとした貴族であるならば貴族社会の序列を理解しており、声をかけるにも作法があることを知っている。そのことは幾度となく夜会や茶会で王族の人たちが徹底して知らしめていた。


 もっともウィレム様への恋慕が多いのは第二王子のせいでもある。彼がまだ婚約者を定めないから、殺到する令嬢達の分散を目的にウィレム様が第二夫人を娶るかもしれないと匂わせているのだ。


 こればかりは気に入らないのだが、第二王子が婚約者選びに慎重になっている理由もわかっているのでちょこちょことした嫌味程度で済ませている。

 

「ちょっと、返事くらいしなさいよ! 聞こえていないんですか!」


 子供っぽい癇癪で叫ばれて、仕方がなしに足を止め、そちらへ視線を向けた。そこにいたのは茶色のふわふわした髪をした可愛らしい感じの令嬢だ。垢抜けない子供っぽさがあり、貴族ではやや平凡な顔立ちである。

 頬を上気させて、多少ぎらついた目でこちらを睨むようにして見ている。わたくしを睨みつけることで可愛らしさはだいぶ損ねていた。


「どなたかしら? わたくしのお知り合いには礼儀のなっていない方はいないのだけど」


 姿勢を正し、静かに見据える。圧をかけるつもりはないけれども、令嬢はやや怯んだ。


「わたし、ウィレム様の第二夫人になるので、今日はご挨拶に参りました」

「……それで?」

「夜会の時にわたしが第二夫人になることを聞いて嫌な気分にさせているよりは、先に知らせておいた方がいいかなと思って」


 態度と言葉が全くかみ合っていない。だが話しているうちに気分が高揚してきたのか、どこか見下すような顔になっていった。ウィレム様が最も嫌うタイプの令嬢だ。この令嬢に年に一回は会いに行っていたというのだから、亡くなった友人との関係はとてもよかったのだろう。


「夜会というのは今度の王家主催でデビューするということかしら?」

「ええ! 成人を迎えるのと同時に嫁いできてほしいと言われております」


 どこか得意気な顔をして、わたくしの言葉を遮る勢いで畳みかける。なんと言っていいのかわからず、困ったように首をかしげる。


 彼女がデビュタントとして夜会に参加することは不可能であるし、もし第二夫人に本当になったとするとしても王家の許可がいる。だがそのような申請はなされていない。隠れて申請していたとしても、伯父である陛下が何か言ってくるはずだ。


 どこまで言っていいものかわからないため、言葉を選んでいるうちに彼女は一人で興奮気味に話す。


「とても素敵なドレスを贈ってもらいました。淡いピンク色で私によく似あうと褒めていただいて。成人と同時に家に入ってもらうことになるから申し訳ないとおっしゃっていました」

「……ドレス?」

「そうです。夜会の時にエスコートするから着てほしいと言われています」


 ドレスを贈った?

 夜会にエスコートする?

 ウィレム様が?


 頭の中が真っ白になった。同時にジワリと胸の奥からどろっとした何かがあふれ出す。


「ウィレム様は幼い時にわたしに大人になったら結婚しよう、と言ってくださっていたんです。奥様は政略結婚で大切にされているかもしれませんけど、心から愛されているのはわたしなんです。本当にごめんなさい」


 調子に乗った令嬢の悪意がわたくしの呼吸を苦しくした。落ち着かないといけないのに、頭がガンガンと叩かれているような気分だ。


「奥様」


 心配そうに侍女が腕に触れた。それによって狭くなっていた視界が開け、気持ちが現実に戻ってくる。そして調子に乗った令嬢を見据えた。


「まあ、わたくしのあずかり知らないところでお話が進んでいるようですのね。陛下に確認しておきますわ。陛下も一言、わたくしに相談してくださってもよかったのに。いつ許可を出したのかしら?」


 にこやかにそう告げれば、令嬢が黙った。間抜けなことに目を口を大きく開いている。


「え、陛下?」

「ええ。ウィレム様はわたくしと結婚したため、普通の方とは少し事情が違うの。彼が第二夫人を置く場合、陛下の許可が必要なのです。当然、貴族法に従って第二夫人として相応しい条件を満たしているのかの確認も行われますわ」


 先ほどまで高揚していた令嬢の顔がみるみるうちに青くなっていく。その変化を見ながら、第二夫人の話は嘘だなと判断した。


 ようやく気持ちに余裕が出てきたので、にこりとほほ笑んだ。


「どうなさったの? 顔色が悪いわ」

「え、っと。その突然気分が悪くなってきました。これで失礼します」


 結局、令嬢は名乗ることなくドレスの裾を翻して走り去っていった。その後ろ姿を見送りながら、大きく息を吐く。


「奥様、大丈夫ですか?」

「ええ、ありがとう。あれがきっとバークス子爵令嬢よね? あんなにも礼儀のなっていない方は初めてよ」

「誰であっても無礼もいいところです! 奥様ももっと抗議してもいいと思います!」


 ぷりぷりと怒りながら、侍女が声を荒げた。わたくしのために怒ってくれる彼女を見てくすくすと笑う。


「怒ってくれてありがとう。心配しなくても子爵家には抗議が入ると思うわ」

「そうですか?」

「ええ。だってここは城の中よ。あんな風に大声で話していたら筒抜けよ」

「それもそうですね」

「さあ、嫌な気分を払いに温室に行きましょう」


 やや納得がいっていない侍女を促して、目的の場所へと向かった。


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