気持ちが泡立つ
夕食を食べ終わり、居間でゆっくりとした時間を過ごしていた。この時間はわたくしにとってとても大事な時間で、一日の出来事をあれこれと話している。
彼の仕事が忙しい時は、わたくしの方が先に休んでいる時もあるけれども、だいたいいつも同じ時間に帰って来てくれる。
従兄の第二王子が早く帰り過ぎだとわたくしにぼやいたけれども、どうでもいい。わたくしとの時間を大切にしてくれる、それが一番なのだ。
今夜も食事の後のくつろぎの時間に、わたくしは到底許容できないことを聞いた。
いえ、気のせいかもしれない。最近、ウィレム様に群がる令嬢達を見ていたから神経質になっているだけかも。
そう思ってもう一度聞き返した。
「もう一度言ってくださいませ」
ウィレム様は困ったような顔をしながら、もう一度同じ内容を説明する。色々余計な説明がついていて要領が得ないが、結局言いたいことはとある令嬢にドレスを贈りたいということだ。
「つまり、ご友人の妹様が社交界デビューするのでドレスを贈りたいということであっていますか?」
「僕が贈りたいわけじゃない。ただ、友人が病気で亡くなる前にデビューするまで目をかけて欲しいとお願いされていて、一年に一度ほど、訪問していたんだ」
「……それは初耳ですわ」
「そうだね。君と結婚することが決まってから忘れていた。ここ二年……いや三年ほど会いに行っていない。先日、手紙が届いたのでちょっと顔を出したんだ」
知らない間に見知らぬ令嬢の訪問までされていて、心が締め付けられた。締め付けられるたびに、ミシミシと嫌な音を立て始める。
できる限り負の感情を出さないように気を付けながら、言葉を返した。それでもいささか尖ったような声になってしまう。
「そういう理由があったとしても、納得できませんわ。ウィレム様はそのご令嬢の親族でも兄でもありませんし、デビューで着るドレスを贈るとなると意味が変わってきてしまいます」
「やっぱりそうだよね。だいぶごねられて、適当に言いくるめて帰ってきたんだ」
不満そうな目を向ければ、ウィレム様は申し訳なさそうに眉をハの字にした。その顔を見て、少しだけ冷静さが戻ってくる。大きく息を吸い、気持ちを落ち着かせた。
「ウィレム様はどうなさりたいの?」
「贈らずに済むならそうしたい。でも後でごちゃごちゃ言われるのは面倒だ」
「そのご令嬢……バークス子爵家でしたかしら?」
名前を呟きながら、バークス子爵家の情報を頭の中で引っ張り出す。あまり印象に残らない、ぱっとしない子爵家だ。だが、それ以上の情報は特に持っていなかった。迂闊だったと思いながら、バークス子爵家のつながりのある家から推測しようと試みる。
「ああ、今年デビューだから十六歳になったばかりか。君の二歳下だね」
「ちょっと待ってください。バークス子爵家には今年デビューする令嬢はいらっしゃいませんわ」
「……そんなはずはない」
ウィレム様もよくわからないようで、首を傾げた。どうやら友人の妹というだけで、ちゃんと身元を調べていないらしい。普通ならそれでも問題ないが、兄のように慕うという名目ですり寄ってくる思惑が見え隠れしていて、ついつい眉が寄ってしまう。
「わたくし、ルイーズ様のお手伝いをしているので今年デビューを迎える令嬢はすべて覚えています。その中でバークス子爵家の名前はありませんでした」
「ああ、思い出した。彼女は後妻の連れ子だ」
「そうなると余計におかしいのですけど? その後妻は平民ですか? それともどこかの貴族の縁戚でしょうか? どちらにしろ貴族として登録されていないのであれば、社交界に参加できませんわ」
冷静に指摘すれば、ウィレム様はぐるぐると唸った。
「何かわかった気がする。あああああ、今すぐあいつを思いっきり張り倒したい」
「どういうことです?」
「要するに、彼女を僕の第二夫人になるように仕向けたかったのだろう」
顔がこわばるのを止められなかった。
わたくしの知らない友人がいたことにも、その友人が亡くなっていたこと、その願いを叶え続けていたことも許せないのに、今はもういない友人が残した罠に強烈な怒りが込み上げてくる。
ウィレム様は強張って黙ってしまったわたくしの頭を優しく撫でた。
「僕が迂闊だった。まだ彼女は子供だと思っていたのもあったし、年も十二歳も離れている。まさか友人がそういう思いを持っていたなんて」
「……」
何か、この場が収まるようなことを言おうとしたがなかなか言葉が出てこない。喉が変に引きつって、声が上手く出せない。
「嫌な思いをさせてごめん。ドレスは贈らないし、エスコートもしない」
「エスコート? もしかして頼まれていたの?」
「え、っと。うん、黙っていてごめん」
ありえない。
貴族の身分を持たない令嬢にドレスを贈り、参加できるはずのない夜会にエスコートをする。
それは妻にすると宣言したものと同じだ。貴族社会において年齢差なんて関係ない。いや、逆に年下過ぎる相手にウィレム様が是非にと望んだと見られるはずだ。
こんなわかりやすい罠に気が付かなかったウィレム様もどうかと思うが、亡くなった息子の友人相手に罠に嵌めようとするバークス子爵家にも反吐が出る。
あわよくば、という軽い気持ちでお願いしてきたのだろう。後妻の子でありながら、貴族の登録がされていないということは婚姻以外で貴族になることは不可能だ。しかも第一夫人ではなく、第二夫人ならば平民であっても条件を満たしていれば、子供は貴族になれないが本人は貴族として認められる。
バークス子爵や令嬢の兄の気持ちを思えば、義妹に貴族として幸せになって欲しいと思ってのことだろうが、わたくしにしたら業腹ものだ。
腹の底から勢いよく込み上げてきた怒りを外に出さないようにと抑え込む。怒っては駄目。ウィレム様に嫌われる。
「マリエル、こっちを見て」
うつむいて体を震わせるわたくしの顎を彼はそっと掬い上げた。こんな醜い感情を持つわたくしを見てほしくないのに、彼は背けられないように両手でしっかりと頬を包み込んだ。
いつもだったら嬉しい彼との距離だったが、今は見られたくない。そっと視線を落としなるべく彼の視線と合わないようにした。
「ああ、そんな顔をしないでほしい。僕は君しかいらないといつも言っているだろう?」
「わかっています。でも、そういう気持ちで嵌めようとする人がいることが許せない」
「君は本当に僕のことが好きだよね」
くすくすと笑われて、むっと唇を尖らせた。淑女らしからぬ表情だけども、わたくしの気持ちを揶揄われたようでとても嫌な気持ちだ。しっかりと視線を上げ、真正面からウィレム様の目を見つめた。
「ウィレム様、大好きです。愛しています」
「知っているよ。心配しなくても、僕の妻は今までもこれからも君だけだ」
「……信じています」
苦し気に言葉を吐けば、ウィレム様は目を細めて嬉しそうな顔をした。そっと落とされた口づけに誤魔化されたようで、いつまでも気持ちがじゃりじゃりした。