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薔薇には虫が寄ってくるもの


「美しい薔薇には虫が近寄って来るのも、自分が蝶だと勘違いしている蛾がいるのも仕方がないものだと理解しているの」


 手入れの行き届いた城の中の庭を散策しながら、わたくしはそう呟いた。少し前を歩いていた第一王女のルイーズ様がその呟きを聞き咎めて、こちらを振り返った。


「マリエル」


 諭すように名前を呼ばれたけれども、とてもじゃないけれども冷静にはなれなかった。高ぶる気持ちを抑え込もうと、近くに咲く薔薇に触れた。

 美しい真っ赤な薔薇は瑞々しく、ベルベットのような花びらを誇らしげに広げている。その優雅な姿に、ギスギスし始めた心がほんの少しだけほころんだ。

 薔薇の美しさを損ねないように、触れている指をそっと外す。


 わたくしは美しい薔薇()を守る者であって、傷つける者ではない。

 どんな敵からも守って守って守って、その至高な存在を損ねないようにするのが使命だ。


「自分がいかほどに汚らわしい蛾であり、万人に等しく嫌われている存在であり、唯一無二の薔薇()に触れる権利はないのだと自覚を促して慈悲(制裁)を施すのも、わたくしの使命だと思うわ」

「……美しい表現で包んでも物騒な気持ちがダダもれよ」


 ルイーズ様は困ったようにため息をついた。


 反発する心でルイーズ様をきつく睨みつける。臣下がしていい顔ではないが、ルイーズ様とは一番の友人であり、幼なじみであり、一つ年下の従妹だ。公の場でなければ、誰よりも親しい。


「だって」

「はいはい。わかっているわ。貴女には色々な我慢を強いていて、本当に心から申し訳ないと思っているのよ」


 庭の奥へと視線を向けると、沢山の蛾がわたくしの薔薇――夫に我先にと群がっている。夫と結婚したのは王命であったけれども、六歳の時に出会ってからずっと親しく大切にしてもらっていて、彼と結婚するのが当然だと思っていた。十歳の年の差なんて、あってないようなものだ。


 だが何を勘違いしたのか、半年前にわたくしと彼が結婚した途端に虫が群がった。


 この国の貴族は確かに第二夫人までは娶ることが可能であるが、それは結婚して五年以上経過している、五年以下の場合は審議されて許可されるもの。これは跡目争いを起こさないための貴族の決まりだ。貴族の乱れは国の乱れにもつながりやすいので、当然の決りである。


 それなのに現実を見ない蛾たちは第一夫人には無理でも、第二夫人ならもしかしたらと無駄な期待を抱いて無様にもあがいている。


「それにしてもウィレムのあの態度が演技だというのですもの。耐性のない令嬢ならころっといってしまうのも仕方がないわ」


 令嬢達を甘い言葉でうっとりとさせているウィレム様を見ながら、彼女は肩を竦めた。

 もう一度、蛾に群がられている彼に目を向けた。必要以上に距離を縮めている令嬢がいる……誰かしら。あとできっちりと釘を刺しておく必要があるわね。


 ウィレム様がうっとりするほど柔らかい笑みを浮かべながら、さりげなく令嬢の手を外している。その目には優しさなど欠片も見られない。ある程度は仕事だから我慢していると言っていたけど、親しくもない令嬢からベタベタされるのは嫌だったようだ。


 彼の令嬢に対する嫌悪の感情を見つけて、ほんの少しだけ気分が良くなる。


 うふふふふふふ。

 彼の許可をもらわずに触れていいのはわたくしだけ。


 現実を思い出し、気分を上向かせながら群がる蛾たちの家を記憶していった。後でたっぷりと制裁しないといけないから。


「ウィレム様は神々しいもの。見た目も声も一日中見ていてもうっとりしてしまうほど美しいけれども、本当に素晴らしいのは――」

「その内面よね。もう何百回も聞いているから、貴女にとっての彼の良さは知っているわ。わたくしには全く理解できないけど」


 会話を打ち切りたいのか、ルイーズ様が言葉を挟んだ。否定することでもないので、大きく頷く。


「さて、マリエルの希望はこれで終わりね。わたくしたちも次に行くわよ」

「ええ? わたくし、ここで蛾の駆除をするつもりだったのですけど」

「させないわよ。彼が愛想を振りまいているのは()()()。仕事となった理由がくだらないことは認めるけれども、その仕事は王子からの命令。さて、あなたの役割は?」


 ルイーズ様は持っていた扇を閉じたままわたくしの方へと向けた。恐ろしいほど強い眼差しがわたくしを見据えている。今までの経験上、このままぐずぐずしていても、いいことはない。


 飴と鞭。

 ルイーズ様はまさにその両方を使い分ける非常に優れた女性だった。従妹であっても、容姿がとてもよく似ていたとしても、わたくしは公爵家の娘で、今は伯爵夫人。


 王族である彼女とは大きな立場の違いがある。


「……ルイーズ様に付き添って隣国の大使をもてなすこと」

「よくできました。さあ、行きましょうか? 次の夜会が無事に終わったら、ウィレムにも少し長めの休暇を取らせる予定でいるわ」

「え?」

「聞いていなかったの? ウィレムったら、貴女に秘密にするなんて……もしかしたら驚かせたかったのかしら。失敗したわね。余計なことを言ってしまったわ」


 思わぬご褒美に目を見張った。とてつもなくいい予感に、気まずげなルイーズ様の言葉なんて気にならない。


「長めというのはどのくらい?」

「そこは聞いたら駄目でしょう。ウィレムが秘密にしたいわけだから」

「もう聞いてしまったんだから、いいじゃない。教えて?」

「……十日よ」


 十日。


 嘘みたいに長い休暇に、気持ちが舞い上がった。体が歓喜で震え、ぶわりと熱が上がった。


「お休みが十日もあるなんて……! ついでに離宮を貸し出してもらいたいわ。そこでずっと二人っきり、他をすべてシャットアウトして、うふふふふふ」

「怖いからその顔をやめなさい」

「いやあね。乙女の夢見る顔をコワイだなんて」

「監禁は駄目よ?」

「監禁だなんてそんな恐ろしいことしないわ。一日中、隙間なくぎゅっと抱きしめてもらうだけだから」

「……」


 呆れたようなため息をついて、ルイーズ様は早くいらっしゃいと移動し始めた。

 わたくしは近い未来に手に入れるだろう宝石のようなひと時を夢見ながら、ルイーズ様の後に続いた。



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