8 叶えるには
朝食後カジュは仕事の準備をしていた。今日は薬草摘みではなく、それを商品にするために加工する作業を行うつもりでテーブルの上を整理していた。
するといつものごとくアオがやってきて手をだそうとする。あまり毎日のことなのでカジュも折れて本当に些細なことをやらせていた。それは手伝いというより態のいい厄介払いな内容だったがアオは喜んでいた。
だがそんな作業はすぐ終わってしまいアオは更なる手伝いを要求していた。
逆にクロには次々と手伝いを言いつけていたカジュは手伝いたいならクロのほうに行けとアオに言った事があった。しかしなぜだかアオは嫌だと言ってカジュの傍をうろちょろとしていた。
そしてクロもそんなアオを放ってカジュに頼まれた仕事をこなしている。
日ごろ一人で何事も済ませていたカジュはアオに纏わり付かれる煩わしさからクロに何とかするように詰め寄ってみたが、暖簾に腕押し。カジュが大したことをさせないことがクロには好都合で、アオをのんびりさせてやれるとむしろ積極的にカジュのところへやっているようだった。
それはこの森の安全性とカジュの魔道士としての力をある程度信用している証でもあったが、カジュにはあまり嬉しいことではなかった。
そこで仕方なしにカジュはある提案をした。
その提案によりカジュは思わずクロに呟くことになっていた。
「お前、不器用なんだな……」
イスに座るアオの後ろでクロが必死の形相をしていた。あれこれとリボンを結んでは解きを繰り返してアオの髪を結っているのだがまったく上手くいっていない。
カジュはそれを見て呆れていたが手助けするつもりは全くなかった。
手伝いをしたがるアオを遠ざけるために自分で髪を結ばなければ許さないと言ったのだ。実際手伝いをする上でアオの髪は相当邪魔になる。悪魔の髪が万一薬を作る過程で紛れてしまったらどんな作用が起こるかわからない。カジュがどんなに注意していても、カジュの想像を超えるアオの行動を全て予測するのは不可能だ。
アオにカジュの役に立つ作業をさせるにはアオの髪をどうにかするのが必須の条件だった。
やたらと長いアオの髪は流れるようにしなやかでカジュ以外が見ればアオの美しさをより惹きたてているという代物だ。特別な手入れもされていないにもかかわらず、枝毛がないどころか手櫛で梳かすだけで十分なほどに輝きを放っていた。
そんな髪だからこそリボン一本で結ぶことが難しい。器用ではないアオには尚更で、サラサラとそよ風にもなびくほどの髪はリボンがスルスルと滑る。
しばらくリボンを持って格闘していたアオは涙目になりながらクロに助けを求めた。アオを泣かせたと怒り心頭だったクロだが、作業をするにはどうしても髪は邪魔だと言い、その髪をカジュに触られても良いのかと聞けばクロはもちろん否と言う。それならば自分達で何とかしろと言った結果、クロはアオの後ろで試行錯誤することになっていた。
その様子を腕組みをして眺めているカジュの髪は短髪というほど短くもなく、けれど日々扱いやすいように短めに整えられている。しかし洗いさらしのままなのでパサついているのが見て分かる無頓着な髪形だ。
クロもまた短くも長くもなかったが、艶やかで前髪だけ長くサイドは綺麗に後ろに流しているので怪しげな雰囲気はあるが高貴さも漂わせていた。
クロは自分の記憶の限りではそれ以上髪を長くしたことがなかったので、髪の捌き方など知る由もない。
「したことがないだけだ」
何事もそつなくこなすクロには不器用だと言われる事は心外だったのでそう言い訳した。
「それにしたって……」
「カジュ、アオ変?」
「変だな、その髪型じゃ誰も寄ってこないかもしれないくらいに変だ」
「えーん、でも髪結ばないとお手伝いやらせてもらえないよ」
「手伝う必要はない」
クロはすぐさまそう呟きながらも少しでもアオの意に沿うよう手は止めない。アオが望むならできるだけ願いを叶えてやりたいからだ。
そしてカジュはクロの台詞にだけうんうんと頷いた。
「俺も別にいいぞ、手伝ってもらいたいこともない」
もともとできないことを見越して言った条件なのだから、早く諦めろと口に出さず態度で示す。
当然アオは涙目でカジュを見つめて駄々を捏ね始める。
「やだぁ~」
「アオは自分じゃできなかったじゃねーか」
「うん、アオには難しい」
「クロにも無理なら、きっぱり諦めろ」
「やだー!」
「……めんどくせーな、もうその変な髪型でやればいいだろ」
「やだぁ~ぁ」
腐っても淫魔なのだろう、自分の容姿が整わないままではアオの気持ちは治まらない。
「お前が結んでやればいいだろ」
クロの提案に驚いたのはカジュだ。
「お前がそんなこと言い出すとは思わなかった。こいつの髪触られるの嫌なんだろ?」
「気に入らないが、俺ができないんだ。やってやれるのはお前しかいないだろ」
「それにしたってさー、こんな長い髪結わうの大変なんだぞ」
「だからカジュの髪は短いの?」
「俺としてはもっと短いのがいいんだけどな、自分でやるにはこれが限界」
「カジュは自分で髪切ってるの! すごぉーい!!」
「ボサボサだな」
不器用と言われた腹いせなのかクロのツッコミは早かった。
「別にいいんだよ! 誰も気にしねーんだから」
「そうだな、お前の髪型なんてどうだっていい。それよりアオの髪だ。お前がやるのを見て覚えるからな、丁寧にやれ」
「……めんどくせーなぁ。なんで俺がそんなこと」
クロがアオに甘過ぎることをカジュが見越せなかった故にこんな事態になっている。
面倒くさいことを避けるための提案がカジュに余計な仕事を増やそうとしていた。
「カジュー、お願いー」
「早くやれ」
「お願い、カジュ。アオお手伝い頑張るよ」
「アオが怪我しないようなことにしろ」
「アオねー、アオねー、いっぱいお手伝いする」
「あと疲れることもダメだ」
「いーっぱい、いーーぱいだよ」
「一つこなすごとに休憩をいれろ」
「ねー、カジュー、お願いします!」
交互に浴びせられる言葉にカジュは耐え切れなくなった。
「ああ! うるせーな、なんでこんなの拾ったんだー俺! クロ、教えてやるんだから後で俺の手伝いしろよ」
アオの台詞はもうここ何日も聞かされ続けたものだったせいで、ここで突っぱねても明日からまた繰り返させると思うと、もう承諾するしかないようにカジュには思えてしまった。
「アオも手伝うー」
「はいはい、とりあえずお前はじっとしてろ」
「あのね、あのね、アオね、こう編み編みってしてほしい」
「……はいはい」
「わーい」
カジュは鮮やかな手つきでアオの髪を編みこんで綺麗なおさげ髪を仕上げた。
「すごーい、カジュすごいねー」
「お前どこでこんなこと覚えたんだ」
「俺も魔道士の端くれだったんだからな、髪には魔力が宿るって言って魔道士は髪切らないだろ。それにならって伸ばしてた時期があるだけだ」
「お前が真面目に魔道士をしてる姿など想像できない」
「できなくて結構、昔からはぐれ者だったしな」
「それなら納得だ」
「……お前に納得されるとムカつくな。さ、今日の仕事するぞ、お前たちしっかり働けよ!」
アオに任せるのは単純単調な作業だけだが、その分根気がいる。すぐに根をあげるかとカジュは思っていたが意外にもアオは飽きずに地道な作業を繰り返していた。
茎ごと摘んできた草の葉を千切り、サイズごとに分けたり、日がな一日壷の中の液体をかき混ぜたりカジュの横で口を動かしながらもせっせと頑張っていた。
そのおかげなんて言うのはカジュの癪に障ったが、できる薬の量や数が増えて、そう言わざるを得なかったのでアオのたまの無駄口は許してやることにした。
するとやはりというか、アオはカジュの傍で作業しているので返事を求めてくる。無視してもすっきりしないと何も手に付かなくなる性格らしく、じっとカジュの答えを待った。それも根気強く。そうなるとやはりカジュも根気負けして話相手になるしかなかった。
なんということもない取り止めのない話。カジュやアオ自身が触っている薬草は一体どんなものなのか、森で見かけた生き物の話、二人の悪魔を見つけた精霊たちのこと、そんな話だ。
ただ悪魔たちの過去の話はきっぱりと遮り全く聞かず、それ以外の話だけカジュは付き合った。
「マクリル・トトティルって知ってる?」
アオのいつもの能天気とは少し違う、不安と期待が混ざったような神妙な顔つきに、カジュはやはり溜息を吐きながらリリーの前に座った。
「知らないやつなんかいないだろ、大魔道士マクリルって言えば超有名人じゃん。まあこんなところに住んでたら関係ないけどな。そいつがどうかしたのか?」
「会ったことないかなと思って」
「あるけど」
「え! 本当?」
「偽者だけどな」
「偽者か……偽者だったらアオも会ったことある」
世界に名の轟く大魔道士にもなると、その名だけでも金を稼いだり地位を得たりと特に田舎では利用されることが多々あり詐欺話などどこでも聞かれていた。その上マクリル本人の姿を見たものが極端に少ないのもそれを助長していた。
そういった偽者達はわりと早々に捕まり処罰されるが、それでも偽者はいなくならないようだった。しかし、悪事は働きにくい、なぜならマクリル・トトティルという人間は温厚で温和で天使のような優しさで人々を助け守るとされているからだ。
本物の天使を知っているクロからすれば、天使は必ずしも人間にとって優しいだけの存在ではないと言っているが、噂どおりの人間が存在するならばそれはもう人間ではないとも言っている。
「なんで大魔道士なんて探してるんだ? お前たちからすれば一番会いたくない相手じゃないのか」
「あのね、クロとねアオをね助けてもらおうと思ってるの」
「いくら大魔道士でも、簡単に悪魔を助けたりしないだろう」
魔道士は本来悪魔を退治する側に者のことを指す。大魔道士と言えどそれに違いはない。実際多くの悪魔を葬ってきた実績がある。
それでもアオはにっこりと笑った。
「マクリル・トトティルは優しいんだよ」
「人間には、だろ?」
「そうかなー、きっとお願いしたら助けてくれると思うんだぁ」
「それはクロも納得してるのか?」
「うん、だってクロが言い出したんだよ」
「アイツが? 尚更わけ分からんな」
「えっと、助けれくれなかったら脅すって」
「何をネタに脅迫するつもりなんだか……戦い挑んだら無傷じゃ済まないかもしれないぞ」
「それ以外に方法がないんだ、仕方がないだろ」
そう答えたのはアオではなかった。
「クロ! お帰り~」
クロは運んできた薪を降ろすと、飛びついてきたアオを抱きしめた。
カジュはそんなクロを険しい顔で見ていた。
「…………」
「なんだ」
「本気なのか?」
「二人でこのまま逃げ切れるなんて甘い考えは持てないのはお前が一番知っているだろう」
「それにしたって、大魔道士だってお前たちに手を貸すとは考え難い」
「それなら力で従わせるまでだ」
「それこそ危険だろ、いくらお前が強力な力を持ってるっつても簡単に倒せるような相手じゃない。第一、国に引き渡させるとか思わないのか? 軍を連れてやってこられたらお前だって逃げ切れないんじゃないか」
「マクリルは国に従順ではないと聞いてる」
「そうだとしても、さすがに国王命令には従うだろう」
「……お前が、気にする必要はない」
「そうだけど……」
最後の希望だということはカジュにだって理解できた。そしてその希望が儚いものだということも分かっている。
そしてカジュがもっとも理解していることは自分が何の役にも立たないということだった。一時的に助けることはできるが、本質的な問題を解決する気はない。
それは単純に面倒だからということではない。カジュが二人のこれからの生活に関わることがもたらす害ということを正しく把握しているからだ。簡単に言えば二人が望む平穏な暮らしをカジュには奪うことしかできないということだった。
クロたちにそれ以上言える事がなかったカジュは柄にもなく数日考えに耽った。
そして一つの答えを出した。




