3 出会うこと
ソレが何者にも追われない時間を過ごすのはいつぶりだろうか。もしかしたら生れて初めてかもしれなかった。
悪魔として生まれ、特に意味も何もなく生きてきた。どうやら魔力は強いほうらしく低級の悪魔から恐れられ、たまに粋がって絡んでくる者は容赦なく処分したりしたが、自分から人や街を襲ったり、他の魔族と争いを起こしたりはしなかった。
それでもいつも周りは殺伐としていた。理由など分かりはしない、悪魔というものはそうなるよう定められた存在なのだろうと思っていた。
そんな日々でたった一人との出会いでなにもかも変わってしまった。
悪魔は恋をしたのだ。相手はみすぼらしい淫魔だった。
本来他者から力を吸い取って魔力を高める淫魔が一度も誰とも繋がりを持った事のないというのだから覇気のないその姿にも納得がいった。だれからも見向きされず、自らも誘うような雰囲気も行動もない。死にはしないだろうが、淫魔としては存在していないも同じだった。
単純に不思議だった。だから声を掛けた。
脅えられた。
当然だ。そうなるオーラを悪魔は纏っている。
逃げられないよう掴んだ細い腕は、かさついていて、髪も唇も砂漠のように水気がない。
唯一、見上げてくる瞳だけが潤んでいた。
それは恐怖によるものだったが、そうと分かっていても悪魔にはなぜかそれが救いに見えた。
微かにあった淫魔の本能で掛けられた術中に嵌ったのか、それこそ運命だったのか、それから悪魔はその淫魔と一緒にいる。
悪魔はそれまで通り、一所に留まることはなく気が向いたほうへ。どこへ行ってもその精悍な姿や隠されていても本能が感じてしまうオーラで悪魔に近づいてくる者は種族を問わずどこにでもいる。
そして悪魔の力を注ぐことによって、傍らに寄り添うそれはいつの間にか華麗で艶やかな絶世の淫魔になったことで、悪魔以上にいろんなものを寄せた。
そのために平穏とは程遠い日常を送ることになってしまう。
淫魔は自分の力をコントロールできないでいた。だから、近寄るもの皆淫魔を欲し手を伸ばしてくる。淫魔自身は強い拒絶をみせるものの力の使い方を知らないため跳ね除けることができずに逃げるだけ。
もちろん悪魔が撃退していたが、数が多すぎた。
そして淫魔の効力が届かない遠い場所にいる権力者や魔道士までも淫魔の美貌や力欲しさに様々な刺客を寄越し、争いの絶えない日々。どんなに力がある悪魔でも寄るもの全てを引き付ける淫魔と一緒に、それを守りながら一人で戦い続けるのは限界があった。少しずつだが確実に追い詰められ、そしてとうとうその森に落ちた。
もう自らの力では対処できないほど傷ついて、もう守り切れないかと悪魔は初めて絶望というものを感じて。
しかし、その絶望には取り込まれなかったらしい。
悪魔が生を得てから出会った淫魔に次ぐ二人目の不思議な相手、それも悪魔の大嫌いな人間のおかげだった。
部屋は相変わらずのどかな空気で、今までが嘘のような幻のような静かな日々を送っている。
カジュがどこかから調達してきた綿の柄も色も無いパジャマを二人とも着て、部屋にはシンプルにベッドが二つ。時計も無く、動くものは開けた窓からの風で揺れるカーテンくらいなもの。
気候も穏やかで、雨が降る日もしとしとと潤いを与えてくれるものだった。
カジュは昼前に薬とともに部屋にやってくる以外は本当に顔を見せない。
傷だらけでまだ眠っていることの多い悪魔もちろん、それに寄り添う淫魔も部屋から出ることはなく、聞こえる音は森の生き物たちの生活音だけだった。
「俺の名前はカジュ。それからお前の名前はクロで、そっちのがアオだ」
悪魔がどうにか体を起こしベッドに座っていられるようになった頃、淫魔があんまり聞くのでカジュはそんなことを言った。
「ちょっと待て、俺たちにも名乗る名前ぐらいある」
悪魔が生れ持った名前は契約に使われるため誰に言うものではないが、それでは不便が生じるため大抵通り名を持っている。
「通り名でも知りたくないんだから我慢しろ」
カジュは悪びれもせずそう言って簡単に呼び名を決めてしまった。仮名クロとなった悪魔はすっかり呆れたが、アオと付けられた淫魔は疑問をそのまま口にした。
「知りたくないってなんで?」
クロのいるベッドに腰掛けるアオは脇に立つカジュを見上げて小首を傾げている。今までのクロの経験からすれば、アオのそんな仕草に耐えられるヤツなどいるはずが無いのに、カジュもそしてクロ自身も大した影響を受けていない。クロは当たり前に心の中で可愛いと呟いていたが。
そんなクロの気配を察知して辟易しながらもカジュは二人分の薬を用意し、アオに目を向けるが、やはりなんの異常も見せずアオの質問に答える。
「例えばお前たちが国の捕縛リストにでも載ったら俺がかくまった事になって罰せられるだろ。でもお前がどこの誰だか分からなければ、いくらでも言い訳できるからな」
カジュの言い分はクロにも理解できたが、それでも名を勝手に変えてしまうことに躊躇いが無いことに呆れてしまった。
「お前…………」
そんなクロの様子に気付いても気にしないカジュだった。
「だからお前たちは俺の前にいるときはクロとアオだ、仮名なんだからいいだろ」
アオは自分で聞いておきながら理由より意味が気になった。
「なんでクロとアオなの?」
「別に意味なんかねーよ」
そう言って二人の前にカップを突き出し、カジュは飲めと促した。
クロはもう目が覚めて以来何度も飲まされているものなので今更毒だ何だと騒ぐことも無くそれを飲み干た。そしてアオもいつもなら素直に飲み始めるところのはずが、今は会話に夢中になっているのか、受け取っただけでカジュのことをひたすら目で追っている。
「うーん、リリーは白っぽいって言われたことはあるけど青は初めて。それにフォレストも赤って感じがするとリリーは思う」
名乗っていることは無視してカジュは会話を続けた。
「色の印象をつけてるわけじゃない。一号、二号でもいいんだぞ?」
本気でそうしそうなカジュにアオは咄嗟に首を振る。
「それはなんかイヤ」
「じゃあ文句言うな、どうせそんなに呼ぶこともない」
さっさと片付けをしながら、にべもなく言い切った。
「そうなの?」
アオにはどうしてそうなるのか分からなかった。そのアオの目に浮かんだ疑問にカジュが答える。
「もとは大地とつなげる時に仮名でも必要だったから付けただけだ」
それに反応したのはクロの方だった。
「それならば繋がりは脆いということだな」
それでも、だからなんだと言わんばかりに皮肉げにカジュは笑った。
「逃げたかったら勝手にしろ、森の中でぶっ倒れなかったらそれでいい」
クロの言葉の真意など気にもせずアオの思案顔も無視して、薬を飲むよう促しカップを回収するとそれを来たときのようにトレイに乗せてカジュはドアに向かう。
「とりあえずここにいる間はそれで通す、ちゃんと覚えとけよ」
特にアオに釘を刺すように言うと部屋から出ていった。
クロはまだまだ体の回復に時間が掛かるため、ここから出ていこうなどと本気で考えることはない。これからのことを考えるならば尚更できるだけ完全な状態に戻りたいと思っている。
それでも逆らうような口をきくのは、人間におもねる気はないと示すためだ。
カジュにはあまり効果がないこともわかってはいるが、ポーズとしてそうしておかなければ、大事な相手を守れないかもしれないからだ。
ましてや未だ睡眠による回復を必要としている身としては気がきではないのだった。
何しろ守られるべき相手か何より無防備だから。




