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薬師と悪魔と  作者: 雉虎 悠雨
第一章
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1 悪魔がやってきた

お暇つぶしになれば幸いです。

「助けろ!!」


 その声の主は滴る血液の量から見ても瀕死の状態であることはどこの誰が見ても明らかだった。身に付けているものさえそれが本来どんな色をしていたのか分からないほど血に染まっていて、その布も服といえるほど形も留めていない。当然露出している肌はどこも傷だらけだ。

 それなのに口調だけは強くうるさいくらいだった。こんな状態でなければ、さぞ立派な体躯と鋭い赤い瞳で周りのものが畏怖する存在だろうと思われた。


 それを側で見下ろしていたのが、カジュ青年だった。

 彼がなぜそんな場面に遭遇しているのか。

 それは少し前。そんな状態でソレが森の中に倒れていると、馴染みの精霊に呼ばれたからだ。

 カジュはただ薬師を仕事としている平凡な背格好の人間で、別に森を管理してる訳でもなんでもない。薬草が豊富なこの森だから薬師としてここに住んでいる。呼ばれてやってきた今の現場からも離れた一軒家で暮らし、さっきもいつも通り薬を作る作業を淡々としていた。

 それなのに精霊はカジュにそれらをどうにかしろと言ってきたのだ。

 カジュも数時間前から森の異変は感じていたが、だからといって自らそれを改善しようとは思ってもいなかった。


 そもそもこのハディスの森は広大で人の手はほとんど加えられずありのままに存在している。だから精霊も多く暮らしているし、自然の自浄作用も強い。大概の事は誰かが何かしなくても時が解決してくれる。


 この森があるのが、サンチトラ王国。世界に数十と国がある中でサンチトラ王国がもっとも広範な領地を有しており、一番の大国である。その中ではこの森も特別に広い場所というわけではなかったが、国のほぼ真ん中に位置するハディスの森は、王都に比較的近く付近を通行する人々が少なくはない土地でこれほど自然のあるがままに保たれているということは貴重であった。人が暮らすような所ではなく古くから保護地区として守られてきた歴史もある。

 だが数年前からこの森は完全に閉じられ、人は誰も入ることできず、死の森になったと噂されるようになった。誰も踏み込めないがために、森の内部がどうなっているのか知る人間はほぼいないけれど、元からその森で暮らしている生き物達はそれぞれに森の中で普通の生活を営んでいる。


 だからこそ精霊達の中にはじっと待っていることはできず、不快なことは少しでも早く解消するべきだと思う者達もいた。

 精霊達も横着者ばかりではないので自分達でできることはするが、避けて通りたいものもある。そういうときは大抵カジュのもとへやってきた。

 カジュは一介の薬師なのでなんでもするというわけではなかったが、これまで大抵の場合仕方なく手を貸してしまっていた。


 今回もそうなるだろうとは思っていた。この自然が豊かで資源も潤沢で、さらにカジュ以外の人間はいない森に住まわせてもらっている手前、精霊の頼みを無下にすることはできない。

 それでも面倒だと思うのは最早カジュの性格上仕方のないことで、精霊さえ来なければカジュ自身に害がないことならばやはり放置していただろうし、今だって本心ではそうしたいと思っていた。

 そんな心持なので足取りも重く言われた場所へやってきたのだが、状況を見てますます辟易してしまった。


「助けろ!」


 カジュは聞こえていても全く聞こえない素振りで状況を観察していた。

 精霊達は森の三つ子大木の前で二人倒れていると言ってきた。一人はまるで死んでいるように四肢を投げ出しぐったりと動かない。そいつは長く蜘蛛の糸のように細く輝く白金の髪が顔に体にまとわりついている。その表情は無感情で、閉じられた長いまつげが顔に影を落とす。ややこけた頬と白すぎて不健康そうなほど悪い顔色。叫ぶもう一方と違って衣服の損傷は酷くなく、遠めには汚れや擦れはあるものの、出血はほぼ見られない。

 その傍でうつぶせに倒れているが口だけ元気な方が助けを求めている、どうにかしろと言うのだ。

 

 その周りには今まで無かったむせるほどの瘴気が満ちて、生き物の気配は全くなくなっていた。

 付近の観察を終えるとカジュは近くまでためらい無く歩いていった。事前に何が相手でもさほど害が無いように準備していたからだ。

 近づくと二人ともまだ息はあるのが分かった。

 カジュが来てからずっと威圧的に助けを求めている一人はとりあえず放置して、もう一方へ。一見、事切れているように呼吸も見えず微かにも動きがない。なにより閉じられた目、青白い頬、色を持たない唇は生気を全く感じさせない。棺の中にいる死者のように。

 そんな様子でも近付けばカジュには単に意識がないだけだと判った。確かに衰弱していることは伺え、詳しく見れば背中にはいくつも擦り傷や出血量のやや多い裂傷もある。しかし、やはり瀕死という感じではなく軽症であるとカジュは診断した。

 むしろ重篤なのは叫んでいる者の方だ。完全に地面に四肢を投げ出し、傷の加減を診るどころか血に染まっていない部分を探すほうが大変なほどの状態だ。頭の先からべっとりと元から黒いだろう髪が顔に張り付き、顔まで滴っているそれはテラテラと輝き鮮血であることを伝えている。

 放っておけば間もなくだな。それがカジュの診断だ。

 証明するように声が徐々に明確さを失っていく。


「たうっ、たすっ、助けろ!」


 それなのに朦朧としているだろうに、カジュの方へ助けを求めることができているのが不思議だった。たぶん目もそんなに見えていないはずで、カジュがどんな相手かなんて、敵意がないくらいしか察せれてないはずだ。

 精霊達は二人に近寄ることも厭い、遠くから眺めた雰囲気だけを言っていたのだなとカジュには簡単に想像できた。

 だがカジュが不思議に感じたのはそれだけではなかった。「助けろ」と言うのは、どうやら今にも死んでしまいそうなそいつ自身を助けてもらいたいのではなく、意識のない者の方を助けて欲しがっていることだった。

 辛うじて動くのだろう手をやっと伸ばして眠っている者の手首を僅かに持ち上げカジュに託そうとしている。

 その行動をするのが例え人間だったとしてもカジュは不審がっただろうが、殊更訝しんだ原因は二人の正体にあった。


 二人は悪魔と言われる存在だった。

 どちらも姿形は人間と大差ないが、分かるものには分かる気を放っている。悪魔達は力が強いものほど人に近い姿になるため、自らのオーラを消すことも容易いはずが今はそんなことができる余裕も力も全くない。

 落ちぶれているような二人でもその本質が変わるわけがない。

 悪魔といえば他者を気にかけるなどということはなく、温情や慈悲の心がないものだ。それなのにその利己的であるはずの悪魔が自分の身より優先させて救ってもらいたいものがあることが俄かには信じがたかった。

 そんな尊い行動をとろうとも悪魔を助けること自体進んでしたいものでもない。このまま放っておいて先に死ぬのは「助けろ助けろ」うるさいソレの方だが、そうすればもう片方も長くはないだろう。だがそちらは確実に死ぬとも言い切れなかった。

 カジュには意識のない方がどういう種の悪魔だか分かっていたからだ。

 淫魔、人の精を糧にしているものだ。それならば誰か生きているものとまぐわえば命を繋いでおくのは容易い。ただこの閉ざされた森では少し難しいというだけで、意識を取り戻し森から少し離れればそれくらいの餌はこの美しい淫魔ならばいくらでも見つけられるはずである。


 見捨ててしまおうか。

 究極に面倒臭いし。

 

 どこから来たのかも知れぬ悪魔なんかを助ける義理などどこにあるというのか。放っておいてそれで死ぬならそれがこいつらの運命で寿命なんだろう。だからこのままでもいいんじゃないか。

 精霊達には状況は確認したが手に負えなかったと言い訳すれば良いんではなかろうか。

 カジュはまずそんな考えをした。

 そう思いつきはしたが、森にあまり良い影響を与えないのは事実だし、放置して見殺しにしたらやはり適当な言い訳では精霊達に叱られてしまう。ただ叱られるくらいならマシだが必要な情報を隠されたり偽りを教えられたり、余計に仕事を押し付けられたりしたら今よりもっと面倒が増えるだけだ。

 そこまで想像して、渋々事態の収拾に向けて取り掛かる気構えになった。

 カジュは本職薬師だが、ほぼ廃業している一応魔道士でもあった。

 なぜ廃業気味かといえば魔術は使えるが使うのは嫌いだからだ。理由は明快、疲れるから。


 そう言いながらも森で暮らす中でまったく魔術を使っていないわけではない。

 薬を作る過程で必要なことには利用しているし、力仕事なんか魔術を使うより疲れる場合はためらいなく使う。

 人の寄り付かない森で独り暮らしていて、ほとんど自給自足の生活。森で集めた薬草や、それを材料に魔道士時代に培った知識で作った薬をたまに離れた街に行って売り森で手に入らない生活用品を買っている。

 カジュが作る薬を贔屓にしている客がいるくらいには、それなりに薬作りが優秀だと信頼のある魔道士であったが、人とほぼ接触のない生活では薬を作る以外の能力はあまり意味がない。魔道士の仕事は人間に害をなす魔獣や悪魔を退治することだから自ら探しに行くか依頼を受けたりしなければ仕事はない。

 当然森に篭もっていて魔道士であることも知られていないカジュがそれで食べていけるはずはない。

 だがカジュは今の生活がとても気に入っていて、街でも薬師としてそれなりに信頼を得ているので不自由なんてなかった。

 二十歳そこそこで自ら望んでの隠居のような長閑な暮らしぶりをすすんで楽しんでいた。


 それでも森に住むアレコレにそれなりに頼りにされている。人はカジュ一人きりだが、森にはいろいろと住んでいるもので、食料や薬草の在りか教えてもらう代わりにカジュにできることは手伝うという持ちつ持たれつの関係だ。

 普段は疲れるといって余計な魔術を使うことはあまりないが、カジュはこの森ではただ魔術の使える薬師なのだ。

 だからこそ頼られたら協力しないわけにはいかない。


 けれどそんな暮らしでは大掛かりな術など日常には必要ない。

 今回はそんな日常を逸脱した状況なのでやむを得ずどんなに面倒で疲れても普段記憶の奥の奥に放置している魔道士らしい術を使うことにした。

 それでも一番疲労度が低そうなのを選ぶのがカジュだ。

 もう単純に倒れている二人を森の外へ放り出すことにした。そうすればとりあえず二人が森に影響を与えることはなくなり、その後のこともカジュのあずかり知らぬことになる。一番楽な方法に思えた。


 久しぶりの術に僅かに意識を集中しようとした瞬間、凄まじい力でカジュは足首を掴まれた。

 動けはしないだろうと高をくくり近づきすぎた自分を呪ったカジュは痛みに顔を顰め、瀕死のソレを睨みつけたが、それ以上に睨み返されカジュをイラつかせる。


「放せ」

「たすけろ……たす…け……た……」


 血に染まる足首はソレの赤なのか、自分から流れ出ているものか分からないほどの痛みだ。


「どっからそんな力出してんだよ、いますぐ楽にしてやろーか?」


 こんな傷を負っていなければ壮大な魔力を有しているだろうソレは、いまや子供の一蹴りでもこの世を去ることができるほど弱っている。わざわざトドメを刺すこともないが痛む足にその気が起きてくる。


「ほんとにやってやろうかな」


 思わず呟くほどだったが、元来のものぐさであっさりその願望を捨てた。悪魔を森の中で殺してしまえば精霊たちから攻められるだけではすまない。綺麗に抹消できればいいが、尋常じゃない力をもつ悪魔をそうすることは簡単なことではない。下手な殺し方をすれば地が穢れ、草の根一つ生えなくなる。それどころか悪魔の思念が強ければ、それが死後も残り新たな悪魔を生み出しかねない。

 ソレは今でこそ弱っているが、かなり位の高い強力な悪魔。完全に消し去るにはさぞ骨が折れることだろう。もし体の一部でも残っていたら、それが何に化けるか…………、良くないものには違いない。

 そうならないための対処や、事後処理を思うと一時の感情などどうでも良くなった。

 だが感情はどうでも良いが痛みはそういうわけにはいかず、足にかかった手を振り払おうした。しかしソレは離れない。それどころかますます力は強くなっていく。


「イテーんだって! 放せよ」


 足を前後左右どう動かしても手は解けない。


「タスケロ……」


 それ以上無理をしようものならソレの腕が千切れてしまいそうだ。


「もーなんだよ。なんで俺がお前たちを助けないといけなんだ、そんな義理ないだろ」


 赤く燃えるような目がカジュを睨み付ける。死ぬと判断したのはカジュなのにそれを疑いたくなるほど力強い。


「タス……タスケロ……」

「そればっかり言いやがって、イヤだね!」

「タスケロ……」

「しつけーな、イヤだって言ってんだろ。森の外に送ってやるから運がよければそこで誰か助けてくれんだろ、とにかくその手を放せ」

「タスケロ……」


 カジュは怒りを通り越してすでに呆れ始めていた。


「お前さ、俺が本気でそいつを助けると思うのか? たとえ助けたとしてもそいつを不当な契約で縛って無下に利用して捨てるとか考え付かないわけじゃないだろう?」

「タスケ……ロ」


 ソレの意識が徐々に遠のき始めた。それでも離れない手。

 その手に込められた想いがカジュの心を揺らし始める。面倒は御免だと思っているのは本気だ。自分と関係ない悪魔がどこで死のうが知ったことではない。それなのに足の痛みに比例してカジュの感情は違う方向へ向かっていこうとする。

 自分の表情が苦々しく変わっていくのが分かり、カジュ自身嫌になった。

 悪魔などと関わりあいたくない、それなのに目の前にいるソレを完全に見捨てることができないことに我ながら呆れてしまう。

 そのカジュの葛藤を知ってか知らずか、ソレは残り少ない力を振り絞り続ける。


「タノム……コイツヲ…………タスケ……テ……ヤッテ……クレ」


 そうしてソレは動かなくなった。




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