”書籍化希望”
活動報告やツイッターで時々発作のように自分の話をしますが、たぶん一度か二度くらいしか言ったことがない、なんてことも、たまにあります。創作活動というものに対してどう向き合っているか……というと仰々しいですけど、有り体に言えば作家になりたいかそうでないか、という話ですね。
結論から言いますと、「別にそこまでなりたいとは思っていない」です。書籍化したい欲があるかという問いに対しては、どちらかというと否定的な返事ですね。
そもそも自分はいわゆるライトノベルらしいライトノベルを読んだ経験が、あまりありません。ライト文芸って言うのかな、あのあたりは好んで読むんですが。
でたらめな形ながら小説らしきものを書き始めた当時こそ、これ作家になったらいけるんじゃね、とか調子のいいことを考えていましたが、実際問題そんなにうまくいくものではないということは、特に小説家になろうで活動を始めてから分かるようになりました。あとはそれに四か月ほど遅れる形で始めた、ツイッターで、ですね。
ツイッターには自分のようなただ小説家になろうなど、創作界隈に身を置いている人だけでなく、実際に本を書いてお金を稼いでいる作家さんもたくさんいらっしゃいます。ツイッターを始めていろんな方とつながりを持つと、当然そう言ったプロの方々の発言も視界に飛び込んできます。やはりその発言の中でも印象深くて、大抵の人がしているものがあります。
”作家は今の時代、とても専業では食っていけない”
特に毎月山ほどの新刊が出るライトノベル界隈では、専業でやっていくのは自殺行為に近い、くらいのニュアンスもあった気がします(なかったらごめんなさい)。
要はそれくらい厳しい世界なんだ、ということを知りました。
それを知って自分は、「別にプロを躍起になって目指す必要はないかな」と感じました。
厳しい世界だと知って逃げたくなったという考えもちょっとあったかもしれません。まず書籍化してプロになるのも一握りだし、そこからそれなりにお金を稼いで、兼業だとしても何とか食っていけるまでになるのには、相当の努力と運が必要です。趣味の範囲で創作活動をしている今よりも、ずっと多くの時間やお金を割かなければならないでしょう。大学に入っていろんなところに旅行に行ってみたり、美味いラーメン屋を探すのにお金を使いたくて、創作にはなるべくお金をかけたくない、とぼんやり思っているのに、逆に大量のお金を消費するようになってはまずい。
それに何より、プロ作家になって必ずしも自分の書きたいものが書き続けられるかというと、そうでもない。そこが失われると創作をやってる意味はないな、と感じました。
もちろん今この瞬間に「あなたの書いている小説を書籍化します」と言われたとして、喜ぶ人は多いでしょう。自分も喜ぶと思います。自分の書いている、自分の好きな作品が、より多くの人に広まるかもしれない、千載一遇のチャンスなのですから。ただ、その先もそのモチベーションで創作ができるかどうかは全くもって保証されていない。それなら、細々としていても自分がその時書きたいものを書いて、そんな作品を好きな人が出てきてくれたらいいじゃないか、と思うようになりました。その姿勢で作品を一つ一つ書いていくだけでも、この世に「奈良ひさぎ」という一人のなろう作家と、書いた作品は残って、自分が生きた証を十分に残すことができます。今はそれで十分な気がします。
念のため言っておきますが、今創作をしている中で、ぼんやりとでも自分の中で考えているコンセプトと、「書籍化作家・プロ作家になる」ということが、うまくかみ合わないと思った結果、現状ではプロ作家になるのを夢見るのはやめよう、と思った次第です。
あとはあれですね。もう一つ書籍化希望でない理由を挙げるとすれば、プロ作家さんを「~先生」呼びすること、逆に自分が「~先生」と呼ばれることが大嫌いだから、でしょうか。
そもそも「先生」って字面からすれば先に生きている人を指すわけですよね。ただその意味で使われることはほとんどなくて、たいてい自分が教えを乞うべきだと判断した、あるいは自分が持ち合わせていない知識や技術を教えてもらえると思った人に対して使うのだと思います。
だから学校で先生、という呼称を使うことに対しては、自分は全く不愉快であるとは思いません。また、自分がその意味で先生と呼ばれることも、別に何とも思いません。
ただプロ作家の方から「~先生」呼びしてまで教えてもらうことってあるのでしょうか?呼び捨てしろなどとは誰も言っていません。昨日まで「~さん」と呼び合っていたのに、いわゆるプロ作家になった途端「~先生」呼びになるって、あまりにもわざとらしいし仰々しいと思いませんか?
別に書籍化していようとしていまいと、「~さん」であることに変わりはないと思います。
この「~先生」呼びをするとその瞬間、急にへこへこしてゴマ擦ってついてまわる小さい人間、みたいな印象が出るんですよね。加えて書籍化した作家さんの中にも、こうして方々から「~先生」呼びされて、調子に乗ってる人も一定数いるんじゃないかと邪推します。
別に嬉しそうに「~先生」呼びしている人にやめろとは言いませんけど、自分の目線から見ると人間が知れるというか、「フッ」ってなるというか。
まあ、勝手に妄想してるだけかもしれませんけどね。