29 これは、つまり
裕ちゃんは最近、落ち込んでいる。
原因はハッキリと分かっている…好きな人のせいだ。
あんなに毎日楽しそうで、幸せそうだったのに。
今の裕ちゃんは世界の悲しみを全て背負ったような顔をしている。
私だったら、こんな顔させないのに。
私では裕ちゃんに、彼女ほどの笑顔をさせることはできないのは百も承知。
それでも、そんな風に思ってしまうのだ。
長い長い片想いは、無駄に重く拗れてしまっていた。
秋ちゃんは何をやっているのだろう。なんで裕ちゃんをこんなに長い期間避けてるの?
苛立ちが募り、ある日それははち切れて私に一通のメールを送らせた。
私から秋ちゃんに、話がしたいという内容のメールを。
返事はすぐに来た。一言「いいですよ」と、それだけの短いメール。
普段なら気にならないのに、今はそれが腹立たしい。
会ったら言ってやりたいことがある。
理由はどうであれ、裕ちゃんをよくもあんなに苦しめてくれたな。絶対に許さない。
だから待っていなさい、ムカつく私の恋の好敵手。
◇ ◇ ◇
秋ちゃんに会う機会はすぐ巡ってきた。
裕ちゃんには会ってあげないくせに、私にはこんなに簡単に会ってくれるのね。八つ当たりのようにそう思ってしまうのは、裕ちゃんを悲しませているから。
私の大好きな人を悲しませるのは、許せない。絶対に物申してやる。
会うことになったのは、少し遠めの駅近くのカフェ。初めていくところなので、彼とその駅で待ち合わせをした。
声をかけられたが、一瞬分からなかった。何故か男の恰好をしていたから。
どういう心境の変化?
私は彼が女性だって知っているからそんな恰好をする必要はないのに。
思いっきり眉を顰めていたようで、秋ちゃんは苦笑していた。
「お久しぶりね、綾子ちゃん」
「…お久しぶりです、秋ちゃん」
私が『LaLa』に行かなくなってしまったから、本当に久しぶりに会った裕ちゃんの想い人。
秋ちゃんは、私たちが初めて出会った頃のような恰好をしている。
裕ちゃんにはカミングアウトしたし、私も知っている。何故今更そんな恰好をする必要があるのだろう?
私が警戒した態度を崩さないからか、秋ちゃんは困ったように苦く笑う。
そういうとこが、ムカつく。
「秋ちゃん、色々聞きたいことはあるけど、とりあえず行きましょうか」
「ええ、そうしましょう」
それきり、互いに無言のままでカフェに向かった。
駅から15分くらいのところにそのカフェはあった。『LaLa』のように落ち着いたカフェで、入るのに少し緊張する。
秋ちゃんはカフェ巡りが趣味らしいから、こういうお店を沢山知っているのだろう。
扉を開けて、中に入った。
店内も外観同様落ち着いていて、席も個別に区切られている。これから話すことが他人にあまり聞かれたくないと思って、この店を選んだのではないだろうか。
店員さんに案内されたのは、個室と呼べるような席。カフェなのにこういった席があることが不思議だった。
席に着いてメニューを見ると、至って普通のカフェのメニュー。私は無難にアイスティーを頼んだ。
秋ちゃんは、ココアを頼んだようだった。
店員さんが去っていってからも私たちは無言のままで、重苦しい空気が流れている。
お互い、この後に話す内容が気軽なものではないと分かっているのだ。
互いに無言を貫いていると、店員さんが注文した品を持ってきた。
テーブルにはアイスティーと、ココアが一つ。
「秋ちゃんってココア、好きなんですか?」
「前まではよく紅茶を飲んでいたのだけれど、ココアもよく飲むようになったの」
穏やかな顔をしてココアを見る秋ちゃん。
ココアを通して、誰を見ているのだろうか。そこまで考えてココアが大好きな友人の顔を思い出し、怒りが湧いてきた。
そんな顔をするくせに、どうしてあんな突き放すようなことを貴女はするの。
「ココアを飲むようになったのは、裕ちゃんの影響?」
「綾子ちゃんは本当に鋭いわねぇ。…そうよ、裕ちゃんの影響」
切なげにココアを尚も見ている秋ちゃんは、まるで恋する乙女のようで。
私は怒りが雲散し、困惑した。秋ちゃんの今の顔は鏡の前でため息をつく自分のようで、胸が締め付けられる。
「ねぇ、秋ちゃん。秋ちゃんはなんで」
「聞いて、欲しいことがあるの」
さっきまでの緩んだ顔は今はなく、真剣な表情をしている。
秋ちゃんはいつもニコニコ笑顔を絶やさないイメージがあった。そんな彼女のこんな顔、私は初めて見た。それだけこれから話す内容は、彼女にとって大切なことなのだろう。
そして、私と会うことを決めた理由がそれなのだろう。確認の意味も含め、秋ちゃんに聞いてみた。
「…それが私と会うことにした理由?」
「そうよ。本当に鋭いんだから、もう」
「碌な理由じゃなかったら、怒るよ」
「どんな理由であれ、怒ってくれて構わないわ。…私自身もこんなこと今までになくて、どうしていいか分からないの」
そう言う秋ちゃんは、本気で困っているようだった。
よく状況が分からないけど、話を聞かないことには始まらないので黙って秋ちゃんが話すのを待った。
「綾子ちゃんも知っているけど、私って心は女…でしょ?だから、ずっと恋愛対象は男だったの」
秋ちゃんはオカマだ。オカマというより、私からしたら同じ女だけど。だから恋愛対象が男であるのは何ら不思議のない、至って自然なことに思える。
それがどうしたのだろうか。
「だけど、それなのに…私、裕ちゃんを好きになっちゃったの」
私は堪らず「えっ」という言葉を漏らしていた。
裕ちゃんが…好き?
それはある意味での、同性を好きということ?
「でもある日ね、裕ちゃんが洋介と…ああ、洋介っていうのは私のバイト仲間であり友人なんだけど」
実は会ったことありますとは言えず、黙って続きを聞いた。
「その洋介と裕ちゃんが、一緒にいるところを見たの。…しかも、手を繋いで」
なんとなく、話が読めてきた。
これは、つまり。
「それがショックで、裕ちゃんを避けてしまったの」
少女漫画とかによくある、勘違い&すれ違いというやつである。
こんなに典型的なすれ違いがあってもいいのか。まさか、まさかの少女漫画ど定番のあの有名な展開である。
両手で顔を覆い、天を仰がなかった私を誰か褒めて欲しい。
「洋介とはそのことでちょっと喧嘩しちゃったし、洋介によるとそのことで裕ちゃんが気に病んじゃってるって言うし。事態がどんどん悪くなっていって、もうどうしていいのか分からなくて」
そりゃ、それだけ事態が拗れれば秋ちゃんじゃなくてもどうしていいのか分からなくなるわ。私でもそんなことになったら困るわ。
「そんなときに綾子ちゃんからメールが届いて、私はこれは天からの助けだと思ったわ。この機会を逃すわけにはいかないと速攻で返事をして、予定を合わせたわ」
だからあんなに返事が早かったのか。
もしかしてメールの文がやけに短かったのは、焦って送ったからだったのだろうか。なんだかあながち間違ってはいない気がする。
「誰かに話を聞いて欲しくて。連絡してくれてありがとう、綾子ちゃん」
いやに真剣な顔で礼を言われ、戸惑いながらも頷いた。
怒りで言いたいことが沢山あった筈なのに、何も言う気が起こらなくなってしまった。怒りよりももはや困惑の方が心を占める割合が大きい。
言われていることを飲み込むのに普段以上に時間がかかる。裕ちゃんじゃないけど、糖分が欲しくなった。
少女漫画特有のアレ。




