明日天気になあれ
目を閉じて、そっと思い浮かべてみるんだ。
そう、例えば私の結婚式。そんな未来もあるだろう。
憧れの純白のウエディングドレス。腰元はきゅっと締まり、その分スカート部分のボリュームが豊かに見えて美しい。裾には上品なフリルなんかついちゃったりして。
丁寧にお化粧してもらって今人生で一番綺麗なはずの私の顔は、まだベールの下だ。周りからの祝福に笑みをこらえながら、伏し目がちにバージンロードを歩く、その先には愛する未来の夫が立っていて。
あぁ、なんて幸せの絶頂だろう。でも。
私を包む幸せの声。素敵な音楽。ウエディングドレスの衣擦れの音。
そんな幸せな音たちの奥の奥から聞こえてくるのは絶対に――
――雨の音だ。
「今日も雨かぁ」
教室のどこかで発された声に、最前列を陣取って授業を受ける準備をしていた私は思わず肩をびくりとさせた。
チラリとその声の方を見やる。長い髪にはパーマをあて茶に染めている。花柄の白のスカートがいかにも大学生らしい、私の知らない子だった。
「ミサキ、どうしたの?」
いつの間に教室に入って来ていたのか、声をかけてきたのは友人のアオイだ。長身でスタイルの良い彼女はいつも通り、タイトなTシャツにデニムのスキニーと格好良くキメている。彼女との付き合いはこの大学に入学してからだが、大学3年生になった今では心の許せる仲だ。
「んーん、どーもしてない」
私がやる気なさげにごまかすと、彼女もそれ以上は尋ねてこなかった。代わりに、レザーのリュックサックからハンカチを取り出して、服のあちこちをポンポンと拭き始めた。
「もう、ほんと今日すごい雨だよね」
「……ごめん」
「なんでミサキが謝るわけ?ていうかさ、午後の実習も雨っぽくない?ミサキ楽しみにしてたのに残念だったね」
「うん……」
もう一度、心の中でごめんと謝る。謝らなければいけない。
だってこの雨の原因は絶対に私だからだ。
私、村上美咲はありえないくらいの雨女だ。それはもう、呪いでもかけられているんじゃないかってくらいの。
私が生まれた日のことは家族から何度も聞いている。それは夏の日。大きな台風で天気は大荒れ。稀にみる豪雨に父の車は流され、自宅は床上浸水。みんなの絶望の中生まれてきたのが私だ。
私のアルバムを見ても運動会はいつも室内だ。なぜなら、不思議なことにいつも雨が降るから。延期にしても、延期にしても降る雨に、いつも仕方なく体育館で開催することになる。
入学式も卒業式も、いつも私は傘と一緒に写真に写っている。
そう、例外なんて思いつかないくらい確実に、私が楽しみにする日は必ず雨が降るんだ。
もう今では私は天気に期待なんかしていない。ただ、私と同じ集団に所属するみんなへの罪悪感を抱えて、私は枕元にいくつもぶらさげたてるてる坊主がモチーフのキーホルダーに囁く。
もう私を雨女なんて言わせないで。
はぁ、ほんとまいったな。
雨の中での外の実習でドロドロになったので、一人暮らしのアパートに帰ると真っ先にシャワーを浴びた。
汚れた作業着を洗濯しつつ、明日は晴れてこの作業着がカラッと乾けばいいななんて無意識に考えたところで、はっとして首を横に振った。ないない、今のなし。楽しみになんかしてない。こんなこと考えたらまた明日も雨になっちゃうんだから。
ボブの髪をさっとドライヤーで乾かして、スマートホンで時間を確認する。6時か。もう少しだな。
赤いノートパソコンを起動させつつ、さっと適当に夜ご飯の支度をする。やっとご飯が出来上がったのが7時。ちょっと手間取ったか。ノートパソコンの前に夜ご飯を急いで並べる。お行儀が悪いのを心の中で反省しながら、夜ご飯を食べつつマウスを操作する。見慣れたアイコンをクリックすると安堵すら感じる少し古いグラフィックのゲームが起動した。
大学に入ったころ始めたこのゲーム。10年くらい前からあるMMORPGだ。私が始めたころも既に衰退気味だったが、最近は輪をかけてプレイヤーが減っている。始めたばかりに入れてもらったギルドももう2人しかいない。仕方がないことだ、このゲームに魅力がないのだから。かく言う私ももうこのゲームには限界を感じている。それでもどうしてそわそわと毎日ログインするのかと言えば、もう一人のギルドメンバーとつながるためだ。
その人はだいぶ古参プレイヤーらしく、私が始めた時にはもう高レベルのキャラクターだった。一緒にパーティーを組んでプレイするうちに、音声チャットツールで通話しながらプレイするようになり、仲は一気に縮まった。私より少し年上の社会人で本名をカズキということは、しばらくして教えてもらった。どうやら彼は若気の至りでつけたキャラクターの名前で呼ばれるのが恥ずかしいらしいので、私もカズキさんと呼んでいる。
カズキさんとはいろんな話をする。学校のこと、仕事のこと、友達のこと、テレビのこと。はじめ、それはゲームの合間の世間話のはずだった。でもカズキさんの柔軟な考え方に触れ、優しい笑い声を独り占めし、たまに見せる悩んだ様子にこっちも真摯に相談にのったりするうちに、私はどんどんカズキさんに惹かれていった。単純なことに、今ではそれを目的にゲームにログインしている私がいる。
最近私は期待してしまうんだ、カズキさんはどうして毎日この錆びれたゲームにログインしてくるんだろうって。
もしかして、カズキさんも――。
『RRRRRRR』
突然の着信音に我に返り、甘い考えを振り捨てる。カズキさんは純粋にゲームが好きに決まってんじゃん。
でも。でも、最近ゲームしてる時間よりもぼーっと話している時間の方が長いし、もしかして、もしかしてとか思ってしまう。案外私も乙女だな。
自分に呆れつつ、着信を確認する。カズキさんだ。
「はい、おつかれさまです」
いつも通りの私の挨拶にカズキさんもいつも通りだ。
「うん、おつ」
その声になんとなく安心する。夜ご飯の豚肉の炒め物をこっそり食べた。
「いやー、ほんと今日こっちは暑くてさ。まいったよね」
カズキさんが言う。
「へぇ、いいお天気ですか?」
「うん。ほんと快晴。今日シーツ洗うの楽しみにしてたから、ほんとラッキー」
「いいですね。こっちなんかどしゃぶりですよ。豪雨。」
「まじか、正反対だね」
「ですね」
私が雨女のせい、なんてそんなネガティブなこと言えなくて、短い言葉で返事をした。
カズキさんはなにかしているのか、向こう側にキーボードを打つ音がする。雨の音じゃなくて、こういう音に包まれていられたらなぁ。
「そういえばミサキちゃんの地方、雨多くない?」
カズキさんにとってはなんの意図もない言葉だったと思う。それでも私の心は大きく揺れた。どうしようもなく上ずる声で、平静を装って返事をする。
「そ、うですかね」
「うん、話を聞いてるとなんとなくね。俺の方は晴ればっかりだからちょっとうらやましいな」
「私は晴れの方がうらやましいですよ。太陽好きだなぁ。」
「ほんと?じゃあ、今度暇なときできたらこっち来ちゃいなよ。そんな遠くなかったよね?都合つけてこの晴れの国を案内してしんぜよう」
言おう。カズキさんの言葉に唐突にそう思った。
カズキさんのお誘いが嬉しかった。こんなネットで知り合った私に会ってもいい、そう思ってくれたのが嬉しかった。でも、私にはカズキさんと太陽の下では会えないことがわかっている。とても申し訳ない気持ちで胸が苦しくなる。
「私、雨女なんです」
「いいじゃない?俺の家農家だから、雨も恵みって素直に嬉しいよ」
「そんなんじゃないんです」
カズキさんの優しい言葉についむきになる。私が長年悩んできたのは、恵みとかそんな温かいものじゃないんだ。
「雨ばっかりじゃ作物は育ちませんよ。私が楽しみにする日はいつも雨なんです。絶対に雨なんです。いつだって、絶対に。せっかく晴れの多いカズキさんの地域にお邪魔しても絶対大雨になっちゃいますよ」
「言ったことなかったけどさ」
カズキさんが爽やかに笑う。
「俺、晴れ男なんだよね、それもめっちゃ強い雨男。楽しみにしてる日に雨なんかこの人生で一回も降ったことないくらい。すごくない?」
「私だって…!」
私もむきになって言う。
「私だって今までずっと期待した日は雨続きですよ、生まれてから、ずっと」
「そっか」
むきになって泣きそうになる私をよそにカズキさんは楽しそうだ。
「じゃあ、俺たちが出会ったらどうなるんだろうね」
雨女と晴れ男。
私はむくれて言い返す。
「雷雨じゃないですか?私は絶対雨だし。だから、カズキさんが雷。太陽の代わりに雷が光るんですよ」
「うーん、それもいいかもしれないねぇ」
カズキさんの声は呑気だ。食べるのを忘れられた夕食たちが、私の手元で冷めていく。
「いいんですか、雷雨でも?」
「俺はいいよ」
聞き返した私にカズキさんは笑う。
「だって、ミサキちゃん、二人で会うのを俺が楽しみにするよりもミサキちゃんの方が楽しみにするって自信があるってことでしょ?」
その言葉に顔がかぁっと熱くなるのを感じた。
そうだ、私の雨女がカズキさんの晴れ男に勝って雷雨になるって言い張るのは、私の方が楽しみにしてるって言ってるってことだ。
でも、否定できない。こんなの好意を剥き出しにしてるのと同じだって分かってるけど、でもどうしたってこの気持ちを否定なんかできないんだ。
何も言い返せなくて黙り込んだ私に、カズキさんが優しく言う。
「でもね、ミサキちゃん。俺は絶対に晴れると思うよ」
「へっ?!」
変な声が出た。待って待って。だって。今の流れでその言葉はそういう意味?!そういう意味ってどういう意味?!
こんなのずるい。
もう天気に期待なんかしないって思ってたのに、晴れたらいいななんて思っちゃうじゃない。
ふたりで会う日の前日、私は久しぶりにてるてる坊主を作って星空に願った。
――明日天気になあれ。