第九十七話「犬らしく犬死してもらおうか」
「糞っ……なんたる醜態だ。 エルドリア王国騎士団の名が泣くぞ!」
騎士団長ジョー・ヴェルゴットは、周囲の部下達にそう当り散らしながら、手に持った杯を地面に叩きつけた。 砕け散るガラスの破片を眼で追いながら、騎士団長ヴェルゴットは親指の爪を噛んだ。
正直予想外の展開だ。
まさか穏健派――ネイティブ・ガーディアンの力がここまでとは思わなかった。
戦況を大きく左右させたのは、敵の銃士なる存在だ。
穏健派が失われた古代文明の兵器を使うとは聞いていたが、
あの魔法銃と呼ばれる銃器は想像以上に凄かった。
射程距離はゆうに二百メーレル(約二百メートル)に達して、使用する弾丸もかなり特殊だ。 魔法戦士のように付与魔法をかけたと思えば、対魔結界を張る事も出来る。 更には二属性の効果を併せ持った弾丸で長距離狙撃されたら、正直手の打ちようがない。
遠征前は八百人に達した戦力も今では、五百人を切っている。
これ以上の被害は避けねばならぬが、敵も執拗な追撃を繰り返す。
「騎士団長。 我が軍の劣勢は明らかです。
ここは恥を忍んで、撤退をお選びください」
痩身長躯の副団長であるヒム・ハイデッカーがそう耳打ちしてきた。
撤退。 嫌な響きの言葉だ。
しかし現状ではそれしか選択肢がないのも事実。
「……そうだな。 これ以上、陛下からお預かりした貴重な戦力を減らすわけにもいかぬ。 だから副団長。 卿に百五十の兵を預けるから、部隊を再編して、殿を務めよ。 これは敵の追撃を食い止める重要な任務だ」
すると副団長ヒム・ハイデッカーの双眸が鋭く細まった。
要するに自分は逃げるから、お前が後始末しろ、という事だ。
遠征前は国王の前で散々大言を吐いたが、実際はこの体たらく。
いかにもエルフらしい言動と振る舞いだ。
だがここで反論したところで無意味。
故にハイデッカーは騎士団長の言葉に小さく頷いた。
「謹んでご命令に従います」
「うむ、期待しているぞ。 副団長」
「はい。 ですが一つだけお願いがあります」
「ん? 何だ? 申してみよ」
「はい、それは私にあの犬族を預けて欲しいのです。 このまま何の成果もなく、本国に帰るのは騎士として恥辱。 なのであの犬族を使い、戦場で有効活用しようと思う次第であります。 元はと言えば今回の遠征はあの犬族が深く関与しております。 なので奴にはそれ相応に役に立ってもらうべきかと」
「それもそうだな。 ならついでにバロンワイズ女史にもあの犬の護衛についてもらおう。 彼女にも名誉挽回の機会を与えてやろう」
それっぽく言っているが、ようは厄介払いだろう。
もうこの男は逃げる事で頭が一杯なのだろう。
こんな男が騎士団長なのだから、文明派の未来も暗いな。
と思いながらも、ハイデッカーは表情一つ変えずに――
「ええ、名案です。 彼女も汚名を晴らす良い機会でしょう。
それでは私は部隊の再編成に行ってまいります」
「うむ、後は任せたぞ」
そう言って踵を返す騎士団長。
あの男、もう完全に戦況に興味を失っているな。
だが無能な指揮官にこれ以上場を荒らされる心配はもうない。
それがせめてもの救いかと、内心で苦笑するハイデッカー。
さて、どうしたものか。 百五十余りの戦力で五百以上の敵と戦わなくてはならない。
これは想像以上に厳しい。
既に兵士の士気は下がっている。
ならばあの犬――犬族を何か有効活用できないか?
例えば囮役を任せて、そのまま見殺しにする。
……悪くないかもしれん。
どうせ本国にはまだ数匹程、喋る犬が残っている。
奴が戦死すれば国王や上層部から責められるかもしれんが、そもそも犬一匹で戦局を大きく変える事など不可能なのだ。
そして今回の失敗で国王がそれを学べば、今後は国王もあの喋る犬に過度な期待をかける事はないだろう。 そう考えると、名案に思えてきた。
そうだな、奴には犬らしく犬死してもらおう。
奴も主人の為に死ねるなら、忠犬としては本望だろうさ。
「おい、バロンワイズ女史とバルデロンを今すぐ呼んで来い」
「はっ!」
近くの部下にそう命じるハイデッカー。
ついでにバロンワイズも死んでくれたら助かる。
あの女は色々と目障りだったからな。 これぞ一石二鳥、という奴だ。
そう思いながら、ハイデッカーは口の端を僅かに持ち上げた。
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