第九十四話「帰りを待つ者など居ない」
「我は汝、汝は我。 我が名はクエス。 神祖エルドリアの加護のもとに……『ハイ・ヒール』!」
僧侶のクエスがバルデロンの身体に直接触れながら、上級回復魔法を詠唱する。 するとクエスの両手から眩い光が放たれて、地面にうつ伏せたバルデロンの身体を暖かく包み込んだ。
「うっ……ここは?」
バルデロンは地面から立ち上がり、左右に首を振った。
やはり妙な気分よね。 犬が人の言葉を喋ってるだから。
「どうやら気付いたようね?」
「あ、貴方はバロンワイズ殿っ!?」
「貴方、結構危なかったわよ? 何とか私が救い出して、
あの場は事なき得たけど、次からは油断しないようにね」
「……わかりました。 以後気をつけます」
本当に妙な気分だ。
犬に感謝の言葉を言われるのは、どうも変な感じだ。
だが現時点では、この喋る犬――バルデロンは重要な位置づけだ。
なにせあの知性の実を与えたのだから、最低限の働きをしてもらわないと、こちらとしても困る。 今回の私の任務は、このバルデロンの監視とサポートである。
国王や上層部としては、投資した以上の成果を求めるのは当然だ。
だがこれまでのバルデロンの戦いぶりを見て、気付いた点がいくつかある。
確かにバルデロンは、知性の実を与えられた事により、知性と魔力が大幅に向上して、人の言葉を理解して会話する事も可能だ。
また闘気や魔法に関しても、一通りの事が出来る。
それに加えて犬の特性である嗅覚、聴覚、動体視力も大幅に引き上げられた。
それによりバルデロンは、敵の射手や狙撃手の狙撃を幾度となく回避した。 これに関しては、私の想像以上の成果だ。
だが事、接近戦になると話は少し変わってくる。
確かにバルデロンの戦闘能力は高い。 だがそれは対人戦を想定したものではない。
そもそも体長七十セレチ(約七十センチ)程度の犬が訓練を受けた兵士相手と戦う事自体に無理がある。 むろん相手が弱ければ、勝つであろう。
しかし先程の戦いを見た限り、中級者以上の相手だと対人戦は厳しい。
となると戦場における彼の役割も限られてくる。
それは当然と言えば当然の話だ。
軍用犬に知性を与えたところで、たかが一匹の戦力で戦局が大きく打開される事などまずない。 あのブラックでさえ一体では、やれる事は限られていたのだ。
しかし私がこう進言しても、国王や上層部は納得しないであろう。
何故なら彼等は大金を叩いて、知性の実を手に入れた。
ならば当然それ相応の成果が出るものと信じている。
まったくもって度し難い。
投資した分だけ必ず成果が出れば、投資家は苦労などしない。
だが今の私は立場が弱い。 半年前とは状況が違う。
故にこの不条理な命令と犬の世話役に徹しなければならない。
しかし今更この私に何があるというのだ?
もう母はこの世に居ない。 私の帰りを待つ者など居ないのだ。
そう思うと胸の内に空しさがこみ上げてくる。
「……バロンワイズ殿、どうされました?」
「いいえ、何でもないわ」
やれやれ、犬に心配されるとは、情けない限りね。
でも最後の自尊心が任務から逃げる事を拒否した。
「こちらの前線も徐々に押されつつあるわ。 敵の銃士の狙撃が思った以上に正確だわ。 ここはしばらく様子を見るわよ。 下手に前へ出ると危険だわ」
「そうですね。 敵の魔法銃は思った以上に射程距離が長いですよね。 正直私のような非力な回復役が狙われたら一溜まりもありません」
女僧侶のクエスがそう率直な意見を述べた。
「ええ、だから私達魔法部隊はバルデロンと一組になって、バルデロンの嗅覚で索敵しながら、敵に攻撃しつつ、負傷した仲間を助けましょう」
「そうですね。 このままだと戦線がどうなるか分かりませんものね」
クエスの言う通りだ。
正直今回の遠征は勢いに任せた部分が強い。
敵も最初こそ奇襲に戸惑っていたが、もう落ち着きを取り戻した。
更には猫族の援軍も駆けつけた。
ここで無理して戦死したら、それこそ犬死だ。
だからここは最低限の働きだけして、自分達の生命の安全を最優先する。
「分かりました。 私もバロンワイズ殿の意見に賛成です」
「そう、バルデロン。 貴方は貴重な戦力ですからね。 初陣で貴方を戦死させたら、それこそ私の立場がないわ」
「……お心遣い感謝します」
こうして話している分には、悪い奴じゃないのよね。
妙に素直だし、命令には忠実。 これも犬ならではの特性かしら?
何にせよ、こんな戦いで死ぬつもりはない。
生きる希望はないが、自ら死を選ぶ程、人生に絶望はしてない。
だから私は生きる為に自分の役割を果たすのだ。
次回の更新は2019年6月15日(土)の予定です。




