第九十三話「精霊(エレメンタル)」
「ガオオオンッ!」
そう吼えながら、眼前の犬がこちらに飛びかかってきた。
想像以上に速い! 俺は条件反射的に右にサイドステップする。
しかし地面に着地するなり、言葉を話す犬は反転して、再びこちらに向かって、突貫して来た。
「死ねいっ!!」
そう言うなり、左前足を水平に払う眼前の犬。
俺は再度、右にサイドステップするが、僅かに右頬を抉られた。
「イテッ……この犬ころがっ!?」
「ラサミス、油断しないで! 相手は只の犬じゃないわ!」
確かに只の犬じゃねえよな。
只の犬は闘気なんか纏わない。
想像以上に速い。 戦斧を振るっている暇はなさそうだ。
ならば両腕に闘気を纏い、殴打するのが良さそうだ。
「ミネルバ、しばらく俺が戦って様子を見てみるから、周囲の警戒を頼むっ!」
「そうね。 とりあえずここは貴方に任せるわ!」
そう言葉を交わして、俺は両腕に闘気を宿らせた。
今のところ、標的は武器を使う様子はない。
更には二足歩行でなく、四足歩行で地を駆け回っている。
やはりまだ犬の特性が強く残っているのであろうか。
それならば、こちらとしても戦い様はある。
敵の攻撃は、爪による引っ搔き、あるいは噛みつきがメインだろう。
それに闘気による攻撃と魔法攻撃を加えた感じか。
「一人でいいのか? 貴様じゃ私には勝てぬ!」
眼前の犬はそう言い放った。 ……犬族とはよく言ったもんだぜ。
「それはどうかな? やってみないとわからねえじゃん」
「舐められたものだ。 よかろう、ならば本気で行こう」
次の瞬間、眼前の犬が大きく口を開けた。
何かするつもりだ! 俺は咄嗟に後ろに飛んだ。
「ウオオオオオオンッ!!」
咆哮かっ!?
俺は即座に左側にサイドステップした。
ギリギリのところで咆哮を回避。
放たれた衝撃波は近くの木の幹に命中。
まるでハンマーで殴打されたように、木の幹が削られた。
「遅いわっ!!」
犬族は物凄い速さで地を駆けて、こちらに迫ってきた。
そして大きな口を開けて、牙を剥き出しにする。
――少々痛い思いをするが、仕方ねえ!
そう思いながら、俺は左腕をやや曲げながら、前に突き出した。
次の瞬間、俺の左腕に激痛が走った。
犬族の牙が俺の左腕に激しく食い込んでいた。
だがこの噛み付いている瞬間は、敵も無防備だ。
「うおおおらああああああぁっ!」
俺は右拳に炎の闘気を宿らせて、全力で犬族の腹部を殴打。
犬族の腹が激しく揺れた。 これで終わりじゃねえ。
殴打、殴打、殴打。 更に殴打だっ!!
「ぎ、ぎゃいんっ!!」
犬族はたまらず左腕を噛んでいた口を、赤い血の糸を引きながら離した。
俺は左腕の激痛に耐えながら、右足で地を強く蹴った。
次の瞬間、俺の飛び膝蹴りが犬族の顔面に命中。
犬族の牙が何本か折れて、そのまま後方に吹っ飛んだ。
それと同時に俺は右手で左腕を掴んで――
「我は汝、汝は我。 我が名はラサミス。
レディスの加護のもとに……『ヒール』!」
即座に回復を発動。
そして俺の右手から眩い光が生じて、左腕の傷を癒した。
すると俺の傷ついた左腕が見る見るうちに回復していく。
でも俺の回復では、完全回復は無理だった。
だがそれでも問題ない。 何故ならこの大聖林では、強い自然治癒能力が働く。 故にこの左腕もいずれ完治するというわけさ。 しかしそれは相手も同じ。 それ故にこの好機を逃す手はない。
「さあ、お仕置きの時間だぜっ!」
俺はわざとらしく、両手の指をボキボキと鳴らした。
しかし眼前の犬族は、やや後ろに後ずさりながらも戦意を失わない。
「……い、意外にやるではないか。 少しお前の事を見くびっていたよ。 もう油断はせぬ! 我は汝、汝は我。 我が名はバルデロン。 ウェルガリアの加護のもとに……『ヒール』!」
犬族が早口で呪文を紡ぐなり、その両前足が眩い光で覆われる。
そして奴はその左前足を腹部に、右前足を口内に当てた。
こいつ、回復魔法も使えるのかっ!?
――ちっ……このまま完治させるわけにはいかねえっ!
そして俺は覚悟を決めて、両足で地を蹴り、前進する。
すると眼前の犬族は、後ろ足二本で地面に立ち、両手に魔力を籠め始めた。
俺は射程距離に捉えるなり、渾身の力で左ジャブを放った。
パアンッ!
鈍い感触と共に左拳が犬族の鼻っ柱に命中。
よし、左で相手の距離は測った。 後は大砲を喰らわせるだけだ!
「犬コロが一人前の口を聞いてるんじゃねえよ!」
そして炎の闘気を宿らせた右ストレートをぶっ放す。
だが俺の右拳はすんでのところで、躱された。
こいつ、頭部を狙ったのにダッキングして回避しやがった。
ヤバい。 懐に入り込まれたっ!?
「もらったあっ! ハアアァッ……――『フレミング・ブラスター』!!」
零距離でこの魔法はヤバいっ!?
俺は条件反射的に、両腕を腹の前で交差させて、全身を氷の闘気で覆うが――。
完全にレジストできず、次の瞬間、激しい爆風に巻き込まれた。
どごおおおんっ!!
ごふっ……。
この耐魔力の高い幻獣の皮の黒灰色のベストを着てなかったら、今の一撃で意識が飛んでいたかもしれん。
そのご自慢のこの黒灰色のベストも今の衝撃で一部が破けてしまった。
クソッ……このベスト高かったんだぞ!?
「ほう、あの瞬時で闘気で防御したのか? やるではないか。 ならばこれならばどうだっ!?」
こいつ、続け様に魔法を連発する気かっ!?
やべえ、単独連携魔法が発動したら、一環の終わりだっ!!
「……させるかあああぁっ!!」
俺は両手を頭上に振り上げて、犬族の頭部にハンマーナックルを喰らわせた。
その衝撃で犬族は身体をふらつかせた。
更に俺は両手で犬族の両肩を掴んで――
その腹部目掛けて、渾身の膝蹴りを喰らわせた。
「ぎ、ぎゃいんっ!!」
流石にこの連続技は堪えたようで、後ろに飛びのける犬族。
そして俺は左手を腹部に当てながら――
「わ、我は汝、な、汝は我。 わ、我が名はラサミス。 レディスの加護のもとに……『ヒール』!」
素早く呪文を紡いだ。
零距離で火炎魔法を受けて、火傷を負った腹部が癒されていく。
だがこの初級回復魔法では、完治には至らなかった。
腹部の辺りのインナーは破けており、素肌が丸見え状態だ。
まあここでは自然治癒が働くし、とりあえず動ければ問題ない。
「……犬コロ風情が味な真似をするじゃねえか?」
「犬ではない。 私は犬族だ!」
抗議するように、そう吐き捨てる犬族。
ワンマン? なんだ、そりゃ?
もしかして猫族にかけているのか?
だから犬族だから、犬族……みたいな感じか?
「ラサミス、敵とお喋りしている場合じゃないわよ! こいつの戦い方は、大体頭に入ったわ。 次からは私も参戦するわ」
後方で様子を見ていたミネルバがゆっくりと前へ出てきた。
そうだな。 正直俺一人じゃコイツに勝つのは、難しいかもしれん。
犬相手に二人掛かりとは、少々情けないが、そんな事も言ってられん。
「……二対一は少し厳しいな。 仕方ない、ここは一端……っ!?」
「させないわよ! 我は汝、汝は我。 我が名はメイリン。 ウェルガリアに集う水の精霊よ、我に力を与えたまえ! ――行けえええっ! ……『――アクア・スプラッシュ』ッ!!」
この瞬間を待ちわびてたように、いつのまにか近くの大木の枝に、立っていたメイリンが狙い済ましたように呪文を詠唱。 メイリンの両手杖の先端から、中級水魔法が直線状に犬族目掛けて放たれた。 不意を突かれた形だが、犬族は顔しかめながら後方にジャンプするが――
「――水よ、弾けろっ!!」
すると直線状に放たれた水魔法が弾けて、周囲に飛散した。
犬族の周囲は水浸しだ。 なる程、メイリン。 狙いは分かったぜ!
「――凍結ッ!!」
今度は飛散した水を凍結させるメイリン。
それと同時に俺は全速力で犬族に迫った。
「こ、小細工ばかり使いよって……な、なにっ!?」
凍結した氷の上でバランスを崩す犬族。
そして目を大きく見開き、「し、しまったぁっ!?」と叫んだ。
悪いな。 犬は嫌いじゃないが、これも任務だ。 だから恨むなよ!
「ハアアアァッ……せいやあぁっ!!」
そう叫ぶと同時に俺は炎の闘気を宿らせた右拳を直線状に放つ。
どこん、という鈍い音と共に俺の右拳が犬族の眉間に命中。
その衝撃で後ろに吹っ飛ぶ犬族。 そこから俺は右足を振り上げて、犬族の即頭部目掛けて、ハイキックを放った。
この一撃が命中すれば、犬族の首はぽっきり折れる筈だった。
しかし犬族も生存本能を最大限に働かせて、両前足を十字に交差させて防御する。
だが完全には防御できず、凄い勢いで左側に吹っ飛んだ。
即座に立ち上がろうとするが、腰砕けになって地面に倒れる犬族。
「チェックメイトみたいね。 止めは私が刺すわ」
そう言いながら、右手に斧槍を構えて、前へ進むミネルバ。
正直あまり良い気分ではない。 こいつも知性の実が
なければ、普通の犬として生きられた。 ある意味不憫な奴だぜ。
それはミネルバも同じであろう。
だからあえて捕獲せず、一思いに止めを刺してやろうというわけか。
しかしこの躊躇いが僅かな隙を生んだ。
「――行きなさい、風の精霊!!」
「了解です、使役者。 我は汝、汝は我。 母なる大地ウェルガリアよ。 我に力を与えたまえっ! 『ウインド・ソード』!」
何処からともなく、敵の新手が現れた。
ヤバい、完全に不意を突かれたぜ。
「ミネルバ、メイリンッ! 避けろ!!」
かまいたちのような鋭い風の刃がこちらに目掛けて飛来してきた。
俺は咄嗟に風の闘気を両足に纏い、そのまま頭上にジャンプした。
そして近くの木の頂上に到達するなり、木影に隠れた。
ミネルバもサイドステップとバックステップを駆使して、回避行動を試みる。
メイリンは咄嗟に対魔結界を張り、風の刃を弾き返した。
だがその隙に深緑色のローブを着た敵兵が犬族に近寄る。
犬族ばかりに気を取られて、敵の奇襲を許してしまったな。
でもあのローブを着た敵を何処かで見た気がするぞ。
「敵兵発見! 排除開始!」
「なっ!? なんだ、この妖精を大きくしたような生き物は!?」
気が付けば、目の前に裸体を長い髪で、隠した妖精のような生物が立っていた。 体長は六十セレチ(約六十センチ)前後か? だが出るところは出ている。
うおっ、見えそうで見えない……じゃなくて、コイツは何者だよっ!?
「ラサミス、それは精霊よ! 恐らく風の精霊よ。 すぐに全身に闘気を纏いなさい!」
と、メイリンが大声でそう叫んだ。
「お、おうっ……うわあ!?」
「我は汝、汝は我。 母なる大地ウェルガリアよ。
我に力を与えたまえっ! 『ワール・ウインド』!」
素早く呪文を紡ぎ、両手から中級風魔術を放つ風の精霊。
放たれた旋風が、俺の身体に絡みついて、乱暴にシェイクする。
「うぐおおおっ……身体が揺れて、自由が利かない!?」
メイリンの言葉通り、咄嗟に闘気を纏ったが、完全に防御するまでは、至らず俺は後方に吹き飛ばされた。 やべえ、このままだと背中から、後ろの大木に衝突してしまう!?
「ラサミス、足で後ろの大木の幹を蹴って、反転するのよ!!」
お、おい……無茶を言うんじゃねえよ、ミネルバさんよ!
だがこのままの勢いで背中から衝突するのは、非常に危険だ。
ならば一かバチか、やってみるしかねえ!
バシンッ!!
折りたたんだ両足に凄い衝撃が走った。
だが咄嗟に両足に闘気を纏ったので、何とか衝撃に耐えられた。
そして俺は両足で大木の幹を蹴った。
闘気に加え、羽根付きの靴の効果もあり、
俺は背中の戦斧を両手で握りながら、前方の敵目掛けて一直線に飛んだ。
羽根付きの靴のおかげで一瞬なら、宙に浮遊できる。
標的も俺の予想外の動きに驚いている。 この隙を逃す手はない!
俺は両手に持ったプラチナ製の戦斧を頭上に振り上げて――
「――『レイジング・スパイク』ッ!!」
眼前の精霊の頭上に戦斧を振り下ろす。
頭の先から股下まで綺麗に一刀両断する形で、上級斧スキルが見事に決まった。
すると精霊の身体が明滅しながら、周囲に四散して消滅する。
……や、やったのか?
「やるじゃん、ラサミス! 敵は実体を持たない精霊だから、強い衝撃を受けると、その身体はすぐに消滅するのよ」
なる程、そういう事か。 説明ありがとな、メイリン。
「喜ぶのはまだ早いわ! 敵が犬族を連れて逃亡してるわよ!」
ミネルバの声に釣られて、俺は前方に視界を向けた。
すると深緑色のローブを着た敵兵が、
犬族を左肩に背負いながら、全速力でこの場から逃走している。
「逃がすわけには……うわっ!?」
即座に追いかけようとしたが、すると急遽、森の茂みに 隠れ潜んでいた敵の弓兵部隊が一斉に矢を放ってきた。 矢が雨となって降り注がれた。
流石にこれだけの矢を一瞬で弾いたり、全部回避するのは無理だ。
俺は軽く舌打ちしながら、近くの木影に隠れてやり過ごす。
そうこうしているうちにも、犬族を背負った敵兵の姿がどんどん遠のいていく。
「仕方ないわね。 深追いは危険だわ。 ここは一端引くわよ!」
「そうね、あたしもミネルバの意見に賛成だわ」
ミネルバ、メイリンがそう言って、俺に視線を向ける。
そうだな。 ここで犬族を逃がすのは、
不本意だが、ここは無理する場面じゃないな。
「わかった。 一端引いて、陣形を再編成するぞ」
「ええ」「了解!」
奴を逃がしたのは、俺達のミスだ。
だが焦る必要はない。 戦場に居る限り、奴と戦う機会はまたあるであろう。
その時こそ必ず止めを刺す。 もう変な同情などしない。
奴は――犬族は俺達の敵、それ以上でもそれ以下でもない。
そう心に刻みながら、俺達はエリス達と合流すべく、この場から撤退した。
次回の更新は2019年6月8日(土)の予定です。