第三百二十五話 ライルの助言
---ラサミス視点---
「とりあえず中へ入れよ」
「ああ、お邪魔するよ」
オレはそう云って、兄貴のテントの中へ入った。
テントの中にはランプ、それと兄貴のバックパック、毛布以外は、
これといった物は置かれてなかった。
とりあえずオレは入り口の所でブーツを脱いで、
テントの底に敷かれた毛布の上に座った。
すると兄貴も同じように軍靴を脱ぎ、オレの真正面に座った。
「……それで話とは何だ?」
「ああ、実はオレ……昨夜、ミネルバと一夜を共にしたんだ」
「……本当なのか?」
兄貴は少し驚いた表情でそう問うた。
兄貴でも驚く事があるんだな。
「ああ、本当だよ」
「……ならば結構な事じゃないか?
それで俺に何を相談すると云うのだ?」
「……いやそれがさ。
一夜経ったら、ミネルバの態度が少し変わったんだよ。
今回の件は一夜限りの事にして、お互いに忘れよう、
って云われたんだよ……」
「話の筋が読めないな。
……どうしてそうなったんだ?」
「いや今朝、エリスとバッタリ顔を合わせてね。 それで彼女もオレの微妙な変化を嗅ぎ取ったらしくてさ。 その会話をミネルバが聞いていたようで、それで「お互い忘れましょう」という話になったんだ」
「成程、そういう訳か」
「……うん」
するとオレ達はしばらく黙り込んだ。
兄貴は何やら考えているようだ。
……ここは辛抱強く兄貴の言葉を待とう。
すると兄貴は落ち着いた口調で語り出した。
「……話の大筋は分かった。
それで何故ミネルバと急にそういう関係になったのだ?」
「いや……こう何というか、昨夜急に人恋しくなって……
なんかこのまま女を知らないで、死にたくない。
と思ったら、ミネルバとバッタリ会って、そういう空気になったんだ」
「成程、恐らく戦場における種の保存本能が働いたのだろう」
「ああ、オレもその話は聞いた事あるよ」
「それでお前としては、今後どうしたいのだ?」
「いやだから今後どうすればいいのか、
分からなくて、兄貴の助言が欲しいんだ……」
「話が漠然としているな。
もう少し要点を絞ってくれ」
まあそうだよな。
ならばここはオレの思った通りの感情を述べよう。
「いやだから――」
それからオレは五分程、自分の思った感情を述べた。
ミネルバを思う気持ち、それと同時に連合内の人間関係の変化を恐れている事。
また男の立場として、どうすべきか。 と自分の心情を語った。
すると兄貴はオレの話に何度か頷いて、両腕を組んで黙考する。
「要するにミネルバとこのまま疎遠になるのも嫌だが、
連合内の人間関係がおかしくなるのも嫌、というわけか?」
「まあ端的に云えば……」
「なら今まで通り、普段通りの態度を貫き通せ」
「えっ?」
「お前が悩んでいる事は、思春期の少年少女にはありがちな事だ。 また連合内でもよくある男女の問題でもある。 だけど仲間と云えど、全てを打ち明ける必要は無い。 それで人間関係がおかしくなるなら、黙っているというのも一つの手だ」
「……兄貴はそれで良いと思うの?」
「いや思わんよ」
あっさりと否定されたな。
でも兄貴の表情はいつになく真剣だ。
だからこの場は結論を急がず、兄貴の言葉に耳を傾けよう。
「そう思わないなら、何故黙っているべきだ、と云ったの?」
「それでしばらくは今の関係が維持出来るからだ。
それにここは戦場だからな。 少年少女の憩いの場ではない。
ここで変に関係が拗れて、戦いに支障をきたしてもらっては困る」
「……確かにそうだね」
「ああ、だが戦いが終わった時にはちゃんと結論を出すんだ。
例えばラサミス、今回の件でミネルバがもし妊娠したらどうするつもりだ?」
「えっ? に、妊娠……」
オレは予想外の言葉に戸惑った。
でも確かに有り得る話なのだ。
だが情けない話だが、そこまで考えが至らなかった。
「ああ、男女の関係を持つと云う事は、そういう可能性もあるのだ」
「……そうだね、もし今回の件で彼女が妊娠すれば、
男としての責任は取るよ!」
「そうか、その気持ちがあるならば良いさ。
ならば俺としても、これ以上五月蠅く云うつもりはない」
「……これで良いのかな?」
「最適解の答えではないだろうな。
まあ男女の関係は数式のように簡単に答えが出る問題ではない。
だから状況に応じて、どう動くか、自分で判断するんだな」
「う、うん……」
確かにそうだ。
まあ完全な意味で解決した訳じゃないけど、
少しだけ気が楽になった。
「あ、兄貴、色々とありがとね」
「これぐらいお安い御用さ。
しかし今回の相談を聞いて、俺は少し安心したよ」
「安心? それってどういう意味?」
「いやお前も人並みの思春期の少年だな、
と安心したんだよ」
「いやオレは只の十七歳の小僧だよ?」
「只の小僧に龍族の魔元帥相手に互角以上の戦いは出来ないさ」
「いやアレは運が良かっただけだよ」
「例え運が良かったとしても、常人には真似できないさ」
……。
まあ兄貴に褒められると誇らしい気分にはなるが、
オレとしては過度に持ち上げられるのも少し恥ずかしい。
だが兄貴は真顔で言葉を続けた。
「正直、お前の急成長には驚かされっぱなしだ。
案外もう俺より強いのかもしれないな……」
「い、いや……それはないよ?」
「だとしてもこの調子じゃいずれに俺を追い抜くだろう。
俺としては、それが嬉しいような、寂しいような気分なんだよ」
「……まあ褒めてくれるのは、
嬉しいけど、それを真に受けて調子に乗らないようにするよ」
「ああ、それでいい。 俺はともかく他の者の嫉妬は買わん方がいいからな」
「ラサミス」
「……何だよ?」
「俺はこの戦いが終わったら、アイラと結婚するつもりだ」
「……うん」
まあそれが男の務めだろうな。
しかし何というか兄貴が結婚するという事がイマイチ想像出来ない。
俺としては、兄貴にはまだまだ冒険者を続けて欲しいものだ。
とはいえ身籠もったアイラを放置する訳にもいかないしな。
だからこの場の兄貴の選択は間違ってないだろう。
「思えば俺は長男なのに、自由気ままに生きてきた。
だからアイラ――彼女と結婚したら、
父さんと母さんの許で修行をして、家業を継ぐつもりだ」
「えっ? 兄貴、実家を継ぐつもりなの?」
「……俺は長男だから、当たり前と云えば当たり前だろう」
「でも……」
「俺が実家を出て、もう七、八年は経つ。
そろそろ両親も老け込む頃だろうし、
長男の俺が両親の支えになるべきだろう」
……。
まあ云っている事は至極全うだ。
いずれは俺も冒険者稼業から足を洗う時が来る。
それは頭の中では理解しているつもりだ。
だがいざ兄貴が引退する、となるとその衝撃は小さなものではない。
しかし当の本人である兄貴は、穏やかな口調でオレを諭した。
「だがお前はまだまだ自由に生きるがいいさ。
お前はまだ十七歳、お前の人生は無限の可能性が秘めている。
でももしミネルバが妊娠したら、男として責任を取れ!」
「……うん、そうするよ」
「ならば良い。 兎に角、今は気持ちの整理がつかんだろうが、
男としての最低限の責任を取る覚悟があるならば、
今後もお前は好きに生きろ。 但しいつかは誰か一人を選ぶ。
という事を覚えておくんだな」
「……うん」
……。
兄貴と話していたら、何か色々と気持ちの整理がついたぜ。
そうだな、とりあえず今は堂々として皆に接しよう。
でも自分自身が後ろめたい気持ちになるような真似は止めよう。
「……気持ちの整理はついたか?」
「うん、兄貴に話してだいぶ楽になったよ」
「そうか、それは良かった」
「兄貴、色々とありがとね」
「気にするな、俺達は兄弟だろ。 ……ラサミス」
「な、何?」
「お互い絶対に生き残ろうな。
俺もお前もここで死ぬには、まだ若すぎる。
俺達の人生はまだまだこれからだ。 だから生き残ろう」
「うん!」
こうして兄貴と話した事によって、オレも気持ちの整理がついた。
とりあえず昨夜の件でおたおたするのは止めよう。
もし男としての責任を取る必要があれば、責任は必ず取る。
それさえ決心していれば、後ろめたく思う事もない。
でも今後は色々と気を付けよう。
いつかは誰か一人を選ぶ時が来るのだから……
それがいつかは分からないが、
今はこの瞬間を精一杯生きよう。
でもやっぱり兄貴は頼りになるなあ。
その兄貴も引退を考えている。
それはとても寂しい事だが、仕方ない事でもある。
ならばオレとしては、兄貴だけでなく連合の仲間、
それと連合軍の仲間を全力で護る!
そして必ず全員無事で故郷に帰るぜ。
よし、決意は固まった。
もうウジウジしないぜ、胸張って今日も精一杯生きるぜ!
次回の更新は2021年12月18日(土)の予定です。
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