序章(プロローグ)
魔王レクサーの意識が覚醒した時、
眼前には真っ黒い空間が広がっていた。
何もない、黒い空間。
今ではこの光景にもすっかり慣れた。
そしてレクサーは聞こえよがしにこう漏らした。
「……居るのだろ? 出て来い」
すると聞き覚えのある野太い声がレクサーの頭の中に響く。
『おう、オレ様ならここに居るぜ!』
「なんだか前にも増して、貴様と会う頻度が増えている気がする」
その言葉に対して、野太い声の主――先代魔王ムルガペーラはこう返した。
『それは多分オマエの精神状態が不安定になってるんだろうな。
どうした? また現世で何かあったか?』
レクサーはしばらく黙り込んでいたが、
この場では駆け引きは行わず、単刀直入にムルガペーラに問うた。
「……オレの精神状態が不安定だと、
無意識のうちにオレは貴様の魂を引き寄せるという事なのか?」
『さあ? 細かい理屈は分らんねえよ。 オレ様が小難しい理屈が苦手な事はオマエも知ってるだろ? だが四大種族との戦いが始まってから、オレ様とオマエがこうして引き合う事が増えただろ? そういう意味じゃ今のオマエは少し追い詰められているのかもな』
思い当たる節はある。
ここの所、魔王軍は四大種族連合軍に押され気味だ。
ついこの間にも幹部であるカーリンネイツが死亡した。
レクサーと幹部達は魔力回路によって意識の一部が繋がっていた。
正確に云えばレクサーは幹部が死ねば、それを瞬時に察する事が出来た。
そして約三週間前にレクサーとカーリンネイツを繋ぐ魔力回路が突如、切断された。
これで死亡した幹部は三人目だ。
流石にこれだけ立て続けに幹部が死亡すると、レクサーも心中穏やかではなかった。
「そうかもしれんな」
『へえ、そこは認めるんだぁ~。
で具体的に何があったんだ? ん?』
……。
さてどうしたものか、この事実をこの男に伝えるべきか。
恐らく事実を伝えたら、この男は自分の事を嘲笑うであろう。
だがそれだけでなく、何らかの助言も述べであろう。
だからレクサーはこの場においては事実を伝える事にした。
「また幹部の一人が殺られた。 これで三人目だ……」
『……また幹部が殺られたのか。
おい、おい、おい、レクサー少しマズい状況なんじゃね?』
「……嗚呼、オレもそう思う」
『……で殺された幹部はどんな奴だ?
オレの知っている奴か?』
「いや貴様が知らない者だ。 年齢こそ150歳前後という若手であったが、
総魔力量ではオレを上回る優秀な魔導師だった……」
するとムルガペーラはしばらく黙り込んだ。
レクサーも彼が口を開くまで、辛抱強く待った。
そしてしばらくするとムルガペーラが真剣な口調で語り出した。
『そうか、どうやら敵にも強い奴が居るようだな。
その若手幹部を倒したのは、ザンバルドを倒した奴と同じか?』
「いやそれは分らん。 だがプラムナイザーを倒した奴は、ヒューマンの十代の若者らしい。 ザンバルドを倒した奴とそいつは兄弟という噂もある」
『ほう、ヒューマンの十代の小僧ねえ。
おまけにザンバルドを倒した奴と兄弟ってか。
その話が本当ならば其奴らには注意した方がいいな……』
「オレもそう思う」
と、珍しくムルガペーラに同意するレクサー。
『今回の大戦にジェン・アルバのような指揮官が居るか、どうか知らんが優れた兵士は居るようだな。 油断するなよ、レクサー。 そういう奴等は短期間で急成長する。 奴等――四大種族は俺達魔族より短命だが、成長する時は一瞬で成長する。 そういう奴は早い段階で叩き潰すべきだ』
この辺に関してはレクサーも同意見だった。
正直この短期間で三人もの幹部が死んだのは完全な誤算だ。
それを腹立たしくも思いながらも、ある種の興味が沸いたのも事実。
ザンバルド、プラムナイザー、カーリンネイツを倒した奴はどんな男なのか?
其奴らはどうやってこの三人を打ち破ったのか。
……そうだな、この辺りの事を情報部隊に探らせるか、と思うレクサー。
するとムルガペーラは真面目な口調でレクサーを諫めた。
『おい、おい、おい、レクサー。 まさかオマエ、妙な事を考えてないだろうな?』
「……何がだ?」
『いやよ、オマエの事だから、その幹部を倒した奴に興味を持ち始めたんじゃねえか? オマエはオレと違って、頭を使って考えるタイプだからな~』
「……」
レクサーは図星を突かれて、一瞬黙り込んだ。
だがムルガペーラはそれを馬鹿にする事はなく、諭すようにレクサーに語りかける。
『……やはりそうか。 だがな、レクサー。 オレ達魔族は云うならば肉食生物。
そして奴等――四大種族はオレ達から見れば草食動物みたいな連中だ。
そしてその両者は絶対に交わる事はない。 この意味は分るか?』
「……嗚呼、無論だ」
『だが特に厄介な事は奴等は強者には、草食動物として振る舞うが弱者には、肉食生物として振る舞う連中だ。 要するに相手によって態度を変える狡猾さを持ち合わせている。 そして魔族はそういうセコい駆け引きは苦手な種族だ。 だけど一度奴等と対話の場を設けたら、魔族は奴等のペースに引き込まれるだろう。 奴等は目的の為なら何でもするし、平気で嘘もつくし、約束も反故するからな』
「……そうかもしれん、いや恐らくそうであろう。
だが少し意外だな。 貴様がこのような意見を云うとは思わなかった」
『……まあその辺は腐っても、いや腐りきっているがオレとオマエは親子だからな。 それとオレ様も前大戦で奴等と戦った時に同じような事を考えた事があったのさ……』
この言葉に関してはかなり意外であった。
まさか自分とこの男が同じような考えに至るとは思いもしなかった。
だがこの男もかつては魔王であった。
案外、誰しも似たような考えに辿り着くのかもしれない、と内心で思うレクサー。
『まあそういう事だ、くれぐれも馬鹿な考えは起こすなよ?
肉食生物は何も考えずに草食生物を喰えば良いんだ。
それが自然界の掟だからな……』
「嗚呼、分った」
『じゃあな、レクサー。 ではオレ様は引き続き高見の見物をさせてもらうぜ!』
「……嗚呼、好きにしろ」
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そこでレクサーは目を覚ました。
視界に映るのはすっかり見慣れた魔王の寝室の天井。
寝室の窓のカーテンの隙間から、朝日が差し込んでいた。
レクサーはベッドから起き上がると、純白の寝間着の上に黒いガウンを羽織った。 そしてベッドに腰掛けて、しばしの間、考え込んだ。
――確かに奴の云うとおりかもしれん。
――所詮、魔族と四大種族は水と油のような関係。
――奴等に対して、妙な感心や情は持つべきではないな。
――だが奴等はオレが思っている以上に賢く強い生き物かもしれん。
――だから奴等に勝つ為に、奴等の事をもっと知る必要がある。
――とはいえそれは例えるなら狩りを効率よくする為の手段に過ぎない。
「シャルパン、シャルパン!」
レクサーは外に聞こえるような大きな声で従者の名を呼んだ。
すると黒い執事服姿の老紳士風の男魔族シャルパンが部屋に入室してきた。
「陛下、いかがなされましたか?」
「情報隊長マーネスと大賢者シーネンレムスに謁見の間に来るように伝えよ!」
「ははっ! 畏まりました」
「うむ、すぐ来るように伝えよ!」」
「御意!」
――とりあえず考えを整理する必要があるな。
――まずは情報隊長マーネスに我が軍の現状と敵の状況を調べさせよう!
――そしてシーネンレムスの意見も聞いておくか。
――兎に角、このままではマズい。
――何か手を打たねばならぬ!
――だがまだ慌てる必要はない。
――だからとりあえず落ち着いて、状況を整理しよう。
レクサーはとりあえず寝間着から、豪奢な漆黒のコートに着替える。
そして従者と護衛を引き連れて、やや早足で謁見の間へ向かった。




