第二百三十四話 好機逸(いっ)すべからず
---三人称視点---
大猫島の高台にある元猫族海軍司令部の館の二階のベランダ。
魔元帥アルバンネイルと暗黒魔導師カーリンネイツはベランダに出て、遠くを見据えた。
「どうやら無事に結界が発動したようだな」
「はい、ですがこの結界はそれ程、強いものじゃありません。
魔法の等級に換算すれば、魔王級ってところでしょう」
暗黒魔導師カーリンネイツは淡々と事実を告げた。
すると竜頭の魔元帥は「そうか」と返した。
「しかし魔王級ならば充分に強い結界と云えるだろう。
少なくとも敵の陸軍と海軍の分断には成功したではないか?」
「はい、ですがそう長い時間は持たないでしょう。
精々持って三、四時間でしょう」
「問題ない、その間にオレが敵を蹴散らす!」
あくまで強気な竜頭の魔元帥。
しかしカーリンネイツはそれに同調することなかった。
「……何だ? オレのやり方に不服でもあるのか?」
「いえ特にありません。 しかし今回の戦いに限っては、
魔元帥閣下がお一人で前線に出て戦うのは少し危険だと思います」
「……何故だ?」と、問うアルバンネイル。
「単純に戦力差に開きがありすぎます。
我が魔王軍は約2500、対する敵は5000近くの戦力を有しております。
相手は倍近くの戦力、これは閣下が思っている以上に厳しい数字です」
するとアルバンネイルも「うむ」と小さく頷いて、我に返った。
アルバンネイルの戦闘力は、魔王軍の中でも魔王レクサーに次ぐ強さである。
それは事実であり、アルバンネイル自身も自覚している。
だがいくらアルバンネイルが強くても一人で5000人の敵兵は倒せない。
一対百ならまだ可能性はあるが、流石に一対千では彼に勝ち目はない。
彼はやや自惚れの強い自信家ではあるが、夢想家ではない。
故にこの場においては、カーリンネイツの云う事も正確に理解できた。
「そうだな、流石にオレもその数を一人でどうにか出来るとは思わん。
とはいえオレは魔元帥、兵を置いて逃げる事は許されない。
だがオレの我儘で魔王陛下から預かった貴重な兵を失うわけにはいかん」
「……そうですね」
「……何か良い策ないか?」
遠回しに助力を請うアルバンネイル。
やや身勝手だが、カーリンネイツは無表情のままいくつかの解決策を提案した。
「……あると言えばあります」
「ふむ、……でどんな策だ?」
「魔元帥閣下のお立場上、このまま敵と戦う必要がありますが
最低限の保険は打っておくべきでしょう。
なので私が事前に結界魔法陣とは別に転移魔法陣を二つ生成しておきました」
するとアルバンネイルが「ほう」と感心したような声を上げた。
それに対してカーリンネイツは事務的な口調で言葉を続けた。
「まずこの館の一階に魔元帥閣下用の転移魔法陣を一つ、
それとこの館の屋上に自分用の転移魔法陣を設置しました」
「ん? 卿も逃げ――退却するつもりなのか?」
「ええ、私は魔王陛下から特命を授かりましたので」
「……そう言えばそうだったな」
「はい、ただ急いで生成した転移魔法陣なので使用制限があります。
閣下の為にご用意した転移魔法陣は転移できる人数はせいぜい10人程度です。
転移先はこの大猫島から少し離れた小島に設定しております」
「……そうか。 分かった、その事をよく覚えておこう」
「はい、そして私が使用する転移魔法陣も似たような
仕様になってます。 転移人数は十名前後、ただ転移先は猫族領の
近くの離島に設定しております」
「……カーリンネイツ、卿は敵領土の内地に向かうつもりなのか?」
「ええ、それが私に与えられた特命ですから」
と、カーリンネイツはあくまで淡々とした口調で答えた。
アルバンネイルの立場からすれば、彼女の特命の内容が気になったが、それを聞くのは少し憚られた。
なのでその話題にはあえて触れず、威厳のある口調でこう言った。
「うむ、卿の提案はオレにとっても非常に助かる。
オレもこんな戦いで戦死するつもりはないからな。
とはいえこの時点で逃げ出す事は立場的に許されない。
だから行動の限界点に達するまで、敵軍と戦い続けるつもりだ」
「はい、ご健闘をお祈りしています」
「とりあえずオレは頃合いを見て、最前線に出るつもりだ。
だからその時はサポートを頼む!」
「はい、分かりました」
どうにも調子が狂うな、と内心で思うアルバンネイル。
このカーリンネイツという女幹部は何処までも低姿勢だ。
とはいえ云うべき時はきちんと意見を云う。
だが何を考えているか、分からないタイプだ。
とはいえ与えられた役割や仕事はきちんとこなしている。
だからアルバンネイルは、多少のやりずらさを感じながらも
今は目の前の戦いに集中する事にした。
「――連合軍など所詮、烏合の衆!!
この魔元帥アルバンネイルの敵ではないわ!」
---ラサミス視点---
クソッ、やられた!?
クルレーベの時に続いて、また敵に大結界を張られて、閉じ込められた。
とオレは内心少し焦っていたが、周囲の指揮官達は妙に落ち着いていた。
「皆、落ち着け。 今回はクルレーベの時とは違う。
既にこちらの大半の戦力が上陸した状態だ。
単純な戦力差ならば、こちらが圧倒的に有利だ!
だから皆、慌てずとりあえず落ち着くんだ!」
レビン団長が周囲に言い聞かせるようにそう叫んだ。
すると心なしか、周囲の味方部隊も落ち着きを取り戻した模様。
「……少し質問して宜しいでしょうか?」
と、金髪碧眼のヒューマンの青年がレビン団長にそう尋ねた。
一見すれば只の優男に見えるが、その正体は違う。
なんとこの男があの最強の連合と呼ばれる「ヴァンキッシュ」の団長なのだ。
名は確かヨハン・デュグラーフ。
身長に関してはオレより低いな。
170あるか、ないだろう。 でも強者特有の強者オーラは発していた。
なので自然に周囲に緊張した空気が流れた。
「……何ですかね?」と、レビン団長。
「貴方達はこの結界を張った相手に心当たりがあるのでしょうか?」
「ええ、クルレーベを奪還した時に同じような結界を張られました。
ただ今回の結界は前回より弱いと思います」
「そうですか、この結界を張ったのは敵――魔族の幹部クラスでしょうか?」
「ええ、恐らくそうでしょう」
「成る程、それではこの大猫島に敵の幹部がどれくらい居るかチェックしたいと
思います。 どなたか、魔力探査出来る方居ませんか?」
ヨハンはあくまで低姿勢でそう云った。
ふむ、この男は結構腰が低いな。 少なくとも高圧的ではない。
まあ演技している可能性もあるがな。
「……そうだな、リリア。 キミがやってみろ」
「はい、ナース隊長」
ナース隊長に指名された女魔導師リリアは――
「それでは魔力探査を開始するわ」
そう言いながら、リリアは両目を瞑り、精神を集中する。
しばらくすると「うう……ん」とリリアが小さく呻いた。
広範囲の探査は周囲が思っている以上に魔力と精神力を消耗するようだ。
一秒、十秒、三十秒、と時間が経過。
「探査終了。 二時方向、約二キール(約二キロ)敵の幹部と思われる強い魔力反応を検知。 そのすぐ近くにも強い魔力反応を感じたわ。 二時方向には幹部が二人居ると思います。 それと十時方向、約二キール(約二キロ)先にも強い魔力反応を検知。 こちらは一人だと思います」
リリアの言葉に周囲の者は思わず押し黙った。
なんてこった。 この大猫島に三人も幹部が居るのか。
これは予想外だ。 骨の折れる戦いになりそうだな。
そう思ったのはオレだけではなかったようだ。
「……敵の幹部が三人か。 これは厳しい戦いになりそうだな」
アイザックが渋面でそう云った。
するとドラガンと兄貴もそれに同調した。
「ええ、特に敵の幹部を同時に二人相手するのは厳しいですね」
「ああ、だが我々はこの大猫島に閉じ込められた状態だ。
ここで引くわけにはいかない」
「ここは部隊を二つに分けて、二時方向と十時方向に攻め込むべきではないでしょうか?」
と、ヨハン・デュグラーフがこの場に相応しい解決策を提案した。
するとナース隊長やアイザックも「うむ」と頷いて、その提案を受け入れた。
そして各部隊のリーダーが集まって、数分程、討議してこの場に居る面子を二部隊に分けた。
討議の結果、二時方向へ向かう部隊は、ヨハン、アイザック、兄貴、ケビン副団長、賢者ベルローム、猫騎士ロブソン、戦乙女ジュリー、そして「ヴァンキッシュ」の団員の数名が同行する事となった。
対する十時方向へ向かう部隊は、ナース隊長、ドラガン、レビン団長、オレ、アイラ。 ミネルバ、エリス、メイリン、マリベーレ、そして女魔導師のリリア、銃使いの猫族ラモン、それと「ヴァンキッシュ」の団員である女竜人の錬金術師クロエという顔ぶれになった。
まあ若干二時方向の部隊に比べたら、こちらの部隊の戦力が劣る気もするが、
向こうの部隊は敵の幹部二人と戦う予定だからな。
だからそれに対して不平を述べる者は居なかった。
「よし、皆、これで文句ないね? そうとなれば善は急げだ!
とりあえず眼前の敵を蹴散らして、敵の幹部が居る二時方向を目指すよ!」
と、ヨハンが手にした白銀の長剣を頭上に掲げた。
すると周囲の者をそれに呼応するように「おお!」と気勢を上げた。
流石は最強と呼ばれる連合の団長だ。
いつもの間にか、ごく自然な形でこの場を仕切り始めている。
まあこの男に加えて、アイザックと兄貴が居るから、多分心配ないだろう。
「よし、では我々は作戦通り十時方向へ向かうぞ!」
と、ナース隊長が少し鋭い声でそう叫んだ。
どうやらナース隊長は向こうの部隊に対抗意識を持ち始めたようだ。
まあでもまるでやる気がないよりはまだマシだ。
そしてオレだけでなく、周囲の仲間もその空気を察したようで、
皆、声を揃えて「はい!」と返した。
さあて、これからが本番だ。
でも周りの空気に流されてはダメだ。
とりあえずしばらくは様子見に徹するか。
オレはそう思いながら、手にした「雪風」を構えながら、皆と歩調を合わせて前進した。




