第二百十三話 プライドを捨てた戦い(前編)
---三人称視点---
「……ラサミス、大丈夫か?」
「まあなんとか……しかし酷い試合だなぁ~」
ライルの言葉にラサミスは苦笑しながら、答えた。
「まったくだ。 正直、同じ猫族として恥ずかしいよ」
「私もあまり文句は云いたくないが、あの飛び膝蹴りは酷すぎる」
と、顔を少ししかめるアイラ。
するとラサミスは両肩を竦めて、こう言った。
「まあムカつくの通り越して、呆れたけどやっぱりムカつくぜ」
「……だろうな。 この先、もっと酷いジャッジが下されると思うぞ」
「兄貴、それは承知の上さ。 でもオレも遊びでやってるわけじゃねえ。
まあ無い知恵使って、なんとか勝利の方程式を導いてみせるさ」
一方のオリスター側のセコンド陣は少し焦りの色を見せていた。
「ルーベン、大丈夫か? どうやら奴は見かけによらず、かなりやるな。
大衆の面前で躊躇いもなく猫族を殴れる奴みたいだな」
と、左目に黒いアイパッチをつけた八割れの白黒猫。
「ああ、とっつぁん、オイラのローブローと飛び膝蹴りを受けて、
立ち上がってくるとは、少し奴を見くびっていたようだ」
「どうする? 何なら筋肉増強剤と回復薬入りの水を用意しているが」
「あ~、それはいらないニャン。 というかそんなの用意したのかい?」
と、オリスター。
「いやワシの意思じゃない。 大会のお偉方が用意したのさ」
「にゃぁ~、お偉方も必死だねえ。 流石のオイラもちょっと引いてるだニャン」
「しかしここで負けるわけにはいかねえ。
ルーベン、負けたら全てお終いよ。 だから勝つんじゃ!」
「とっつぁん、分かってるよ。 オイラもチャンプの座を捨てる気はねえ。
まあ見てなって! オイラにはまだまだ隠し技があるだニャン!」
「よし、その意気だ! 頑張れよ、ルーベン!」
そして最終ラウンドのゴングが鳴って、両者は椅子から立ち上がった。
この最終ラウンドは10分間ある。 そして10分内で決着がつかない場合は、
判定勝負となる。 そうなればラサミスには万が一にも勝ち目がない。
何故なら判定勝負になった時点で、オリスターの勝ちが確定しているからだ。
しかしラサミスも何となくだがそれを感じていた。
というか現時点でレフェリーのジャッジは滅茶苦茶だ。
だから判定勝負になれば、自分に勝ち目はない。
ならば確実にルーベンをノックアウトする必要がある。
ラサミスは通常通りオーソドックススタイルでジリジリと摺り足で進む。
対するオリスターは相変わらずのノーガードスタイル。
ラサミスは様子を探るべく、一発、二発、三発と左ジャブを連打。
だがオリスターはウィービングで綺麗に左ジャブを回避。
逆にオリスターが左ジャブを打つが、ラサミスは右手でジャブを弾いた。
そこから中間距離で、お互いに左の差し合いをする。
大半はブロックなり、回避したがそれでもたまには
被弾したが、ラサミスもオリスターも慌てることなく、更に左ジャブを出す。
「オマエ、なかなかやるニャ」
「テメエと話す舌はねえよ。 このインチキ猫族」
「インチキ猫族!?」
「テメエにはプライドはねえのか? せこい手ばかり使いやがって!」
「フン、真の勝利を掴む為には、プライドなんか捨てるニャン。
勝利こそ全て! 勝てば官軍というやつだニャン!」
「物は云いようだな。 だがテメエのその浅ましさにはある種の敬意を払うよ」
「言いたいこと言ってくれるニャン!
ならば我が力を見せてやろう! ニャンプシー・ロールッ!!」
オリスターはステップインして射程圏内に入るなり、
身体で八の字を描き、左右のフックの連打を繰り出した。
ラサミスはそれを両腕でガードしながら、じわりじわりと後退する。
多少強引だがオリスターは手を止めず、フックの連打をひたすら放つ。
息がかかる至近距離でオリスターとラサミスの視線が交差する。
するとオリスターが僅かに口の端を持ち上げた。
「まだだ! まだ終わらんニャ!」
「確かにスピードはあるぜ!
だが後ろに下がれば、只のフックだぜ!!」
ラサミスはそう叫ぶと同時に後ろにバックステップした。
するとオリスターの放った左フックは空を切った。
空振りしたことによって、オリスターは身体のバランスを崩した。
そしてラサミスはそれを待ちわびていたように、
渾身の右ストレートでオリスターの腹部を強打。
「にゃ、にゃ、にゃ、ニャギャンッ!!」
オリスターの顔面は大きく歪み、口からマウスピースが吐き出される。
オリスターの身体は後方に大きくぶっ飛び、ロープに背をぶつけた。
そしてその衝撃でオリスターは顔面からキャンバスに崩れ落ちた。
「よし、綺麗なカウンターが決まった!」
と、セコンドのライルが歓喜の声を上げた。
「ああ、でもここでまともなジャッジが下されるかどうかは分からん。
というか下手すれば、原因不明の反則負けにされるかもしれん」
「馬鹿なそんな事が……あっ!?」
ドラガンの言葉をライルが否定しようと思った矢先に異変が起きた。
「――スリップ!!」
なんとレフェリーがオリスターのダウンをスリップダウンというジャッジを下した。
これにはセコンド陣のライル達も唖然としながら、言葉を詰まらせていた。
だがリング上のラサミスはもう慣れたのか、平然とした表情をしていた。
しかし流石にここまで無茶苦茶なジャッジを下したら、
観客席の観客達も白け気味になり、オリスターにブーイングを浴びせ始めた。
「さ、流石にそれはダウンだろ!!」
「そうだ、そうだ! というかオレはラサミスに賭けているんだぁ!
こんな無茶苦茶な八百長試合してんじゃねえよっ!!」
「そうだ、ざけんじゃねえぞ!!
金返せ! 金! 客を舐めるのも大概にしろ!!」
すると興奮した一部の観客達がリングに向かって物を投げつけた。
だがラサミスは涼しい顔で飛び交う物やゴミを華麗に回避。
一方のオリスターは涎を垂らしながら、身体を痙攣させていた。
するとレフェリーは困った様子で遠くに視線を向けた。
その視線の先にはVIP席に座る大会運営陣の姿があった。
「流石に限度を超えているな。
レフェリーに少しラサミス寄りのジャッジをしろ、と伝えろ!」
と、VIP席に座る猫族マフィアのドン・ニャルレオーネが部下にそう告げた。
するとドン・ニャルレオーネの部下が両手で×の字を描き、ハンドシグナルを送った。
それに気付いたレフェリーは「コホン」と咳払いしてから――
「――訂正、今のはスリップダウンじゃなくダウンです。
ではカウントを数えます。 ワアァァァァァァンッ!!」
と、カウントを数え始めた。
するとオリスターは両手で腹を押さえながら、自力で立ち上がろうとする。
そしてレフェリーは遅すぎない程度のロングカウントでオリスターを休ませる。
「おい、ロングカウントだろ!?」
「流石にオリスター贔屓が酷いんじゃない?」
「そうだ、そうだ! こんなの八百長じゃねえか!
客を舐めるなよ!! ちゃんとしたジャッジを下せや!!」
再びリング上に物が投げ込まれた。
だがラサミスは慣れた感じで、悠然とした動きで飛び交う物を躱す。
一方のオリスターは物を投げつけられるなか、なんとか立ち上がった。
そしてレフェリーに向かってファイティングポーズを取った。
するとレフェリーはオリスターのグローブを両手で拭き、
マットに落ちていたマウスピースを拾い、オリスターの口の中に入れた。
そして少し間を置いてから「ファイト!」と叫んで試合を再開させた。
青コーナーに立つラサミスは、何処か悟りの開いたような表情をしていた。
なんというかもう何が起きても動じない、といった感じの表情だ。
対するオリスターは呼吸を乱しながら、肩で息をしていた。
「る、ルーベン! 適当な理由をつけて赤コーナーに戻って来い!
この回復薬入りの水を飲ませてやる!!」
と、左目に黒いアイパッチをつけた八割れの白黒猫が叫んだ。
「……それは断るニャン! 流石に限度超えてるニャン!」
「しかしルーベン、負けたら全て終わりだぞ!?」
「分かってるニャン、最早捨てるプライドがないような
酷い戦いだけど、そんな状況でも捨てちゃいけないものがあるニャ。
とっつぁん、オイラはチャンプなんだぜ?」
「……分かった。 ならワシはもう何も言わんよ。
ルーベン、後はオマエのやりたいようにやれ!」
「ああ、とっつぁん。 オイラの戦いを見ててくれや……」
そしてオリスターは身体をふらふらとさせたまま、
ゆっくりと前へ進んで、その双眸で前方のラサミスを見据えた。
――こ、コイツは強いニャン!
――このオイラをここまで追い詰めるとは大した奴だニャン!
――だがそう簡単に負けるわけにはいかないニャン!
――苦労して手にれたチャンプの座はそう簡単には渡さん!
――最終ラウンドも残すは5分といったところか。
――ならば残りの5分に全てをかけるニャン!
次回の更新は2021年4月7日(水)の予定です。




