第百話 「私は犬ではない!」
「くっ……どういう事だ?
レイジング・ベアが群れをなして襲ってくるとは!?」
「ネイミス、落ち着いて! あの首輪を見て!」
慌てるネイミスを宥める女魔導師のリリア。
「あ、あれはスレイブ・チョーカー!?」
ネイティブ・ガーディアンの兵士ネイミスは、眼前の大熊の首に嵌められた漆黒の首輪を見るなり、そう叫んだ。
スレイブ・チョーカー。
魔物調教師が強制的に魔物や魔獣を従わせる時に使う魔道具である。
この首輪を嵌められたら、魔物や魔獣を即座に調教する事が可能だ。 そしてその首輪を外されない限り、死ぬまで主の命令に従う。
「そういう事よ! 敵の魔物調教師がスレイブ・チョーカーを使って、次々とレイジング・ベアを操っているみたいね。 まずいわね、このままじゃ全滅よ!」
「クソッ……既にこちらは四人もやられた。
リリア、キーンを連れて逃げるんだ!」
既に残された戦力はネイミスとリリアを含めて四人。
戦士のネイミスにレンジャー二人と女魔導師のリリア。
少ない人数で陣形を組みながら、次々と襲い掛かる大熊に抵抗しているが、既に満身創痍。 このままでは全滅するのも時間の問題だ。
「な、何言ってるのよ! そんな真似できるわけないじゃない!」
激しく反論するリリア。
だがネイミスは冷静な口調でこう続けた。
「お前は貴重な女魔導師だ。 こんな戦いで死なすわけにはいかん。 なあに、俺達も死ぬつもりはない。 近くに味方が居るかどうか、探しに行ってくれ。 大丈夫だ、それぐらいなら持ちこたえられる」
「で、でも……」
「リリア、ネイミスの旦那の言う通りだぜ!
ただ逃げるわけじゃない。 味方を探しに行く立派な戦術さ」
口篭るリリアにそう語りかける妖精のキーン。
だがキーンのネイミスの本意を汲み取っていた。
もう自分達は助からない。 だからせめてリリアだけでも逃がす、という本意を。 長い付き合いだ。 言われなくてもそれくらい分かる。
「……分かったわ。 必ず助けを呼んでくるわ。
ネイミス、それまで生き延びてね!」
「おうよ。 俺はまだまだ死ぬつもりはねえよ!」
もちろん嘘であった。
リリアを気遣う優しい嘘であった。
「さあ、リリア。 おいらが誘導するから、全速力で走るんだ!」
「わかったわ、キーン!」
「ガオオオン!」
眼前のレイジング・ベアの視線がリリアとキーンに向かう。
「てめえの相手は俺だっ! パワフル・スマッシュ!」
ネイミスは技名を叫びながら、白刃の大剣を大熊の頭上に振り下ろす。
ぐしゃっ、という鈍い音と共に手元に確かな手応えが伝わる。
「うおおおおおお……おおっ! くたばれ、くたばれっ、くたばれやあっ!」
雄叫びを上げながら、ひたすら白刃の大剣を振るうネイミス。
そして気が付いた時には、眼前の大熊は頭部が破壊されて生き絶えていた。
「ハアハァハアッ……ザック、ギャラハッド! だ、大丈夫か!!」
ネイミスは思わず仲間の名前を叫んだ。
「こっちも何とか倒したが、ギャラハッドが腹部を抉られた!」
そう言いながら、ギャラハッドの腹部に手を当てながら回復するザック。
「お、おい! 大丈夫か? ギャラハッ……」
そう言いかけたところで、ネイミスは言葉を失った。
ギャラハッドの腹部が激しく抉られ、臓物の一部が露わになっていた。
一目見てもう助からないと悟るネイミス。
「ご、ごぼっ……お、おれは……もう駄目だ……
俺を見捨てて……り、リリアのあ、後を追うん……だ」
「ギャラハッド、も、もう喋るな!」
「……!? う、うし……後ろだあああっ!!」
残された生命力を使って、ギャラハッドはそう叫んだ。
それに釣られて、ネイミスとザックは後ろに振り返る。
すると後ろには風の精霊と二足歩行の犬が立っていた。
「我は汝、汝は我。 母なる大地ウェルガリアよ。
我に力を与えたまえっ! 『ワール・ウインド』!」
そう呪文を唱えて、両手から中級風魔術を放つ風の精霊。
放たれた旋風が、ネイミスとザックに絡みついて、乱暴に身体を揺らす。
それと同時に二足歩行の犬が両腕を前に突き出す。
「……悪く思うなよ? フレミング・ブラスター!!」
「ああっ!! ……り、リリアァッ!!」
ネイミスは最後に愛する者の名前を叫んだ。
だがその叫びはリリアには届かない。
そして放たれた炎が風と交わり、魔力反応『熱風』が発生。
ネイミスとザックは炎に包まれながら、身を焼かれた。
そして三十秒後には息絶えて、地面に倒れ伏せた。
「何だあ? こいつ、最後に女の名前を叫んだのか?」
と、右手に鞭を持った粗雑なみなりのエルフの男が、
ネイミスの亡骸に軽く蹴りを入れた。
「青春しちゃってるじゃん、笑えるわぁ」
と、深緑色の軽鎧を着た騎士らしきエルフの男が嘲笑する。
「パーベル殿、ミロ殿。 敵とはいえ死体に鞭を打つのは……」
軽く抗議するようにそう告げる犬族のバルデロン。
「はあ? 犬コロ風情が俺に指図すんじゃねえよ?」
パーベルと呼ばれた粗雑なみなりの魔物調教師がバルデロンを一睨みして、そう言った。
「な、何ですと!? 私を侮辱するのですか!?」
「パーベル、止めとけよ。 犬ごときにムキになるなよ?」
ミロと呼ばれた深緑色の軽鎧の聖騎士が苦笑を浮かべる。
「ミロ殿まで! 私は犬ではない! 犬族だ!!」
「二人ともそれぐらいにしておきなさい」
二人を諫めるべく、後方に居たエリーザが一歩前へ出た。
するとパーベルとミロが軽く舌打ちしながら「はいはい」と返事する。
「敵の一人が逃げたわね。 確かあの女は魔導師。 先日の戦いで攻守に渡って活躍したのを覚えているわ。 女魔導師は貴重な戦力。 ――後を追うわよ!」
「おい、おい。 マジかよ? エリーザさんよお?」
ふてくされた表情でそう言うパーベル。
するとエリーザは双眸を細めて、きっと睨みつけた。
「……この部隊のリーダーは私よ? 逆らうつもり?」
「いやそういうわけじゃねえよ? でもよ、深追いは危険だぜ? 俺達はゲリラ戦法で今日だけで二十人以上始末したが、数は敵の方が上なんだぜ? ここは無理するところじゃねえよ」
「俺もパーベルの意見に賛成だ! そもそも俺達の仕事は敵の足を食い止める事じゃねえか。 この負け戦で今更頑張っても意味ないぜ? 違うかい?」
パーベルとミロの言う事も一理ある。
エリーザにパーベルとミロ、女僧侶のクエス。
それにバルデロンを加えた四人+一匹のこの小隊では、ゲリラ戦法を仕掛けて、敵の戦力を削ぐのがやっとだ。
そういう意味じゃこの状況下で、敵兵を二十人以上倒したのだから、充分といえる戦果だ。 だがパーベルとミロから悪意のようなものを感じる。 そもそもこの二人は昨夜、突然エリーザ達の部隊に組み込まれた。 その前に組んでいた戦士二人とレンジャー一人が急遽、別部隊に転属され、この二人が人員補充の形で加わった。
人員が三人から二人に減った事はまだ我慢できるが、この二人は事あるごとにエリーザやバルデロンを挑発してくる。 そこに作為的な何かを感じる。
そういえばエリーザ達にゲリラ戦法を命じた副団長ヒム・ハイデッカーは、エリーザやバルデロンを見るなり、非常に冷たい視線を送っていた。 あれは邪魔な部下を厄介払いする、という意味だけではない気がする。
もしかしたらハイデッカーは、パーベルとミロに戦場のどさくさに紛れて、エリーザとバルデロンの始末するように命じた。 という可能性もある。
これは油断しない方がいいわね、と内心で思いながら――
「そうね、確かに無理する必要はないわ。 でも相手は一人の上に上級職の女魔導師。 後を追って、周囲に敵の仲間がいないようなら、始末しておいても問題ないんじゃないかしら?」
「……まあそれもそうだな。 俺が強制調教したレイジング・ベアはまだ六体居るからな。 女魔導師一人くらいなら、問題なく始末できるぜ。 仮に敵の部隊と遭遇しても、少人数なら戦えなくもないぜ」
「ええ、貴方のおかげでこの少人数で戦果が挙げられているわ」
「いえいえ、それが俺の仕事なんでね。 ところでエリーザさん、よう」
「……何かしら?」
やや警戒気味にパーベルを見るエリーザ。
「半年前に猫族領への攻めた時にアンタが、陣頭指揮を取っていたらしいが、ジークの奴は本当にあの時に死んだのかい? 俺はアイツとは仲良かったんでね、気になるのよ」
ジークと言われて、一瞬思い悩むエリーザ。
だが五秒後には思い出した。 ああ、あの粗野な赤髪の男か。
「ええ、そうよ。 残念ながらあの時に彼は戦死したわ」
「そうか、それは残念。 んであのマライアとギランも死んだのかい?」
一瞬、パーベルの眼がぎらりと光ったように見えた。
もしかして探りを入れている? しかしここは慌ててはいけない。
「ええ、そうよ。 彼等も戦死したわ。 それだけじゃない。 巨人も全滅したわ。 だから今こうして損な役回りを押し付けられているのよ」
「まあアンタは超エリートだったからな。
それが今や犬のお守り役とは、天下のエリーザさんも落ちたもんだね」
「い、犬のお守りだとっ!?」
バルデロンは思わずパーベルに詰め寄ろうとしたが。
エリーザが右手でさっとバルデロンの前を塞いだ。
「私はともかくあまりバルデロンを挑発しないでもらえるかしら?
それに今は内輪揉めしている場合じゃないでしょ?」
「まっ、それもそうだな。 悪かったよ、バルデロン」
「……い、いえ」
「んじゃ見失う前にあの魔導師を追うぜ?」
ミロがそう締めくくり、エリーザ達はリリアの後を追った。
――やはりこの二人には気をつけた方がいいわね。
――今更失うものはないけど、犬死にするのは御免だわ。
――少なくとも私は簡単には、殺されないわよ?
疑心暗鬼になりながらも、エリーザはゆっくりと森の中を歩いて行った。
次回の更新は2019年7月27日(土)の予定です。




