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淋しさ鬼  作者: 天宮秀俊
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小さな僕はいつもひとりぼっちだった

小さな僕は、眠るときはいつも一人ぼっちだった。

いつの頃から一人ぼっちで眠るようになったのかまったく記憶がないので、つまりそれは、まだ物心も付かない頃からずっとそうだったのだろう。

非嫡出子(ひちゃくしゅつし)。舌を噛みそうなややこしい言葉だ。最近、世間では相続問題でちょくちょく耳にするようになった。難しい法律用語だが、何のことはない、父が外で作った子供のことだ。  

しかしこの呼び名はいつ聞いてもぞっとしない。妾の子と蔑まれるよりはマシではあるが、それはどこか冷たい金属製の医療器具を想像させる。そして僕は非嫡出子(それ)だった。

当時、父と正妻との関係は、もうとっくの昔に破綻していた。そして僕の母さんは、法律上は内縁の妻と言うことになるが、事実上は、正妻以上の存在として誰もが認めた女性だった。

母はまだ少女だった頃、生まれ故郷である新潟の古町と言うところにあった古町置屋というところに身を寄せていた。僕は顔も見たこともない祖父が、当時流行っていた小豆相場というやつに手を出した。そしてお約束のように失敗。その借金のために母はまだ十にもならない頃にその身を売られた。その当時はこの国でもそういったことはどこにでもあったらしいが、僕には遠い世界のお話だ。

気丈な母さんはそんなことぐらいでへこたれはしなかった。そこで下働きをしながらみっちりと芸妓の修行を積み、さらに京都の有名な置屋の看板芸子となった。その後、二十以上も齢の離れた父が、金に物を言わせて落籍(身請け)させたのだ。

自分の母のことを自慢するわけではないが、知性と美貌を兼ね備えた母は、仕事の上でもその才色兼備ぶりを大いに発揮した。一代で会社を興した父に取っては、ただの二号さんという立場にとどまらず、しかし、決して出過ぎたまねはせず、しっかりと父をサポートする重要な存在だったのだ。入籍こそしてはいないが、それは、正妻や、周りの人たちが、社会的に母を妻だと認めたことにほかならなかった。まわりがそのように認知すると、愛人とか、妾とか、ましてや不倫相手などではなく、二人の関係は、事実婚と呼ばれるようになった。

幼い僕が、そんな父や母の複雑な事情や、その尋常ではない多忙な日々を送っていたことなど理解できるわけもなく、夜ともなれば、毎日のように接待やら何やらで、家族三人が食卓を囲んでの夕食を、などと言うことは滅多になかった。僕が眠りにつく前に二人そろって帰宅することは皆無に等しかった。そして、その多忙を極めた父は、僕がわずか九才のときに、癌であっけなく逝ってしまったので、僕にはよく世間で言われる親子三人仲良く川の字になって寝た、などという記憶どころか父の思い出すらまともになかった。もっとも、夜遅くに帰宅した父と母にとっては、僕のあどけない寝顔が何よりの労いだったことは間違いないのだが……


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