下心
主人公はパウズ、
ファミアが妊娠による貧血で入院した後、竜の森に帰ってきたころのお話です。
ガリガリガリガリ……
きらきらした木漏れ日が舞い散る空間に侵入した歪な音。ガリガリガリガリ……爪を研ぐのに似た不快音を生み出しているのは漆黒の幼い竜。若さゆえに瑞々しさすら感じさせる硬い鱗は木漏れ日を反射し、幻想的な世界を作り出す一方で不快音を撒き散らしていた。
前足にある三本の鉤爪で岩山を削る幼竜の姿を、一頭の雄がじっと窺っていた。鋼をも切り裂く力を持つ鋭い爪は時に竜自身の鱗を傷つける場合がある。そうならないように時々爪を研ぎはするが、幼竜の様は爪を研ぐには荒く不可思議であった。爪を研ぐというよりも岩を削っているに等しい。いや、この幼竜は実際に岩を削っているのだ。削られた岩がごろごろと太い足元に転がっている。いったい何の為にと、久し振りに訪れた自身の縄張りで行われている奇行に成竜……ガグルは興味を引かれじっと様子を窺う。
それが半時ほど続いただろうか。ガグルの視線にようやく気付いた幼竜は驚き飛び上がった。本来なら他竜の縄張りは勝手に荒らしてよいものではない。特に雄の竜は獰猛で、雄の成竜が本気で怒ればパウズの様な幼い竜は容易く息の根を止められてしまう。だがこの日、久し振りに戻った竜の森で縄張りを犯されてもガグルは怒りを抱かなかった。相手が幼い竜でパウズだというのもあったし、人間に力を貸して森を不在にしている間は縄張りに侵入されても仕方がないと納得しているからだ。パウズがいったい何をしているのかとじっと見つめていたが、ガグルの存在に気付いたパウズは驚き飛び上がった後で一歩も動かなくなり、じっとガグルがどう出るか様子を窺っていた。互いが互いを縦長の瞳孔で見つめ合う。しかしガグルには余裕があるがパウズには全くそれがない。鱗の隙間からだらだらと脂汗を滲ませ、やがてそれが滴を作って滴り落ち地面に染みを作っていく。また半時ほど互いが動かずじっとしていただろうか。パウズの足元には小さな水たまりが出来上がっていた。自身の作り上げた脂汗による水たまりの上で、パウズはガグルの出方を窺うように尻尾で岩山を弾いた。ばしばしと二度。何をしているんだというガグルからの視線を受けパウズは頭を低くし、足元に落ちていた削り落とした岩の一つを口に咥えると、踵を返して一目散に走り去った。逃亡である。
『あ奴はいったい何をしておったのか―――』
疑問に思いながら岩山に近づけば、削り取られた部分が陽の光を受けきらきらと輝いていた。原石を含んだ岩山だ。岩を削り磨けば光り輝く宝石が出てくるのだが、竜は宝石などに興味を抱かない。結局ガグルはパウズが何をしたかったのか分からないまま、幼竜の奇行と勝手に納得して縄張りの見回りを再開した。
一方パウズは手に入れた岩の欠片を口の中でゴロゴロと転がし、砕かないように注意しながら奥歯で削る。暫くすると青く透明度の高い緑柱石が歪ながらも円形の状態でパウズの口から吐き出された。予想した通りファミアの瞳と同じ色。嬉しくなって口角を上げるが、一見誰の目にも笑っている風には見えない。
ちょうどその時、竜に届く笛の音が耳に入った。ガグルを呼んでいるのだ、どうやら竜守りの父親が帰るらしい。
帰る? 帰った? 飛んだ??
パウズはじっと耳を澄まして動きを窺う。人の耳には届かぬ羽音を拾うと、緑柱石を掴んで一目散に走った。目指すは竜守りの、大好きな母親のいる場所。慌てすぎて大木に激突して半時ほど気絶していたが、気が付くと再び一目散に走り出した。
森を抜け開けた原っぱに出ると、土の上に座り込んだファミアが芋の皮むきをしていた。すぐ側のナウザーはパウズの目に入らない、空気である。嬉しくてガウガウと喉を鳴らしながら猛スピードで駆け、ファミアの目の前で急停止する。喜んでくれるファミアの顔を想像するだけで体が左右に揺れ、無意識に尻尾で地面を叩きつけていた。
「どうしたのパウズ?」
『ファミアに俺の下心』
「下心?」
緑柱石を押し付けて褒めてくれるのを待つ。ファミアは歪な円形の宝石を受け取り首を傾げながらも美しさに見入った。
「綺麗ね、これどうしたの?」
『ファミアのために作った。ガグルに見つかって殺されるかと思ったけど大丈夫だった。雄は危険犯して雌に貢ぐ。俺の下心受け取れ』
「パウズお前またっ!?」
ファミアの隣ではナウザーがぎょっとして声を上げる。また心の声を覗きやがったなという言葉を飲み込んで、ファミアが手にした空色の緑柱石を忌々しげに睨みつけていた。
「下心ってなに?」
うきうきと喜びに溢れ左右に体を振るパウズと、ぎくりと体を強張らせたナウザーをファミアが交互に見やる。
『ナウザー言ってた、ファミアに宝石やる。ハウル俺に教えた。ナウザー宝石雌に渡す、雌抱きたいとき。俺もファミア抱きたい触れたい。腹の双子ごとファミア感じて一つになりたい。雌に入り込み方わからない、でもファミアいっしょ楽しくなりたい。それ俺作った。褒めて』
「すごいね、とても綺麗。これをパウズがわたしの為に作ってくれたのね。嬉しいわ、ありがとうパウズ。」
ファミアは両腕を広げてパウズを抱きしめると、左右に揺れていた巨体はとどまり、尻尾だけが更に喜びを増してばしばしと地面を打ち固めた。
『嬉しいファミア、これが快楽ってもんか。人間の雌すごい』
「わたしもパウズと一緒で嬉しいわ。慕ってくれてありがとう、大好きよパウズ。」
縦長の瞳孔が瞼で隠され、鉤爪を握りしめた二本の腕がファミアを傷つけないようにぎこちなくも優しく触れる。その傍らではファミアの夫であるナウザーが、何故が脂汗を額に滲ませながら挙動不審に瞳を揺らしていた。
この後、夫婦の情事を気軽に漏らしてしまう夫に妻は笑顔を張り付け対応し、夫はその笑顔に怯え妻の機嫌を取るのに数日の日数を要する。さらには初めてのプレゼントとなる宝石を妻の為に特注していたのだが、下心という恐ろしい言葉が脳裏をかすめ、渡すタイミングを逃し続けることになるのであった。
おまけはこれにてお終いです。
読んで下さってありがとうございます。