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竜守りの妻  作者: momo
番外・後日談
35/50

番外編 その3 祖父の竜

ナウザーの少年期から腕を失う頃までの短い番外編です。



 憧れが恋に似ていると知ったのは大人になってからだ。子供の頃のナウザーは竜に夢中で、竜騎士を引退した祖父と基地に赴いては祖父の竜を見せてもらっていた。

 

 大岩のような巨体は多くの人間に恐怖を抱かせるが、竜を怖いと感じたことは一度もない。美しく輝く漆黒の硬い鱗も、爬虫類と同じ縦長の瞳孔も誰もが不気味と表現したが、ナウザーに言わせると見る目のない奴らの負け惜しみだ。これほど美しく、心を開いた人間に一途で深い愛情を向けてくれる存在はなかなか得られるものではない。羽のない漆黒の翼を広げ空を舞う姿には感嘆の息が漏れる。とりわけナウザーは祖父の竜にぞっこんだった。


 竜が住み慣れた森を離れ人間に力を貸すのは一代限り。心を通わせた竜騎士を失った竜は人里を去り森へ帰る。過去には森に帰った後で数十年経ち再び人に背を貸すこともあったがそれも稀だった。だからナウザーが祖父の竜を得たいと望んでも叶えられる事柄ではなく夢のまた夢。憧れを憧れで終わらせなければならない。子供ながらにそれを解っていた。けれど竜に恋した少年は、家族と離れて暮らすようになっても一人竜の元を訪れる。それを祖父の竜は特に機嫌を悪くするでもなく、興味なさ気に佇んで岩山の様に動くこともなく、問いかけに返事をすることもなくただ少年の成長を黙って見守っていた。


 そんなある日、祖父が世を去った。病知らずの竜騎士にしては早すぎる死だったが、死因は特定できないまま葬儀が執り行われた。竜騎士になる運命を背負い家を出たナウザーにとって父は上官となり、厳しい父に代わり祖父はナウザーにとても甘く優しく接してくれていた。祖父を亡くしたナウザーは竜騎士になるという目標も忘れ、小さな子供に戻り人の目を気にする余裕もなく祖父の死を嘆く。亡骸に縋り、墓地に埋葬された後もずっとその場にとどまり離れられなくなった。葬儀に参列した者たちもいなくなり、母や父もナウザーを残して墓地を去るが、それでもナウザーは祖父の墓標に佇み続ける。やがて陽が暮れ闇に染まった墓地に聞きなれた羽音が流れた。涙に濡れた顔を闇に向けると、細い銀色の三日月を背に巨大な竜が羽を広げ上空を旋回している。一言も声を発することなくいつまでも旋回を続けた竜はやがてその場から消え去った。祖父の竜だ。彼女も森へ帰ってしまうのかと更なる絶望と悲しみにナウザーは苛まれる。朝まで墓地で過ごしたナウザーは、そこに竜がいないと解っていても基地を訪れずにはいられない。悲嘆に暮れる少年の背を基地の竜騎士らは黙って見過ごした。


 基地に人工的に作られた広大な森。もともとあった森に植林して更に敷地を増やしたそこに、竜騎士らを背に乗せる竜たちが姿を隠している。祖父の竜もいつもそこにいた。お気に入りの大木の根元は、竜が座り続けた形に窪んでしまっている。いないと解っていた。いないと思っていた。けれどその窪みに体を預け巨体を休めているのは漆黒の、ナウザーが恋した祖父の竜だ。


 「ハウル―――」


 問いかけても言葉を返してくれたことはない。けれどナウザーは目の前にいた恋する存在から漏れる同じ悲しみを感じ取り、地面を蹴ると硬い鱗に突進した。


 「爺様がっ……爺様が死んだ!」


 まだまだ生きると思われた優しい祖父の死。子供のナウザーには受け入れるには辛すぎる現実だった。竜騎士となるために七歳になった途端に家を出され寄宿生活に入る。父は上官となり、母にも甘えることを禁じられた。そんな中で祖父だけがナウザーの祖父としての立ち位置を変えずに接してくれた人だったのだ。泣きじゃくるナウザーに竜が鼻を寄せ、鼻息で黒い髪を混ぜる様に掻き乱す。ハウルの方から接触してくれるのは初めてで、驚いたナウザーは涙を止めてハウルを見上げた。


 『幼子よ、ウェルレムのような男になれ。ウェルレムはわしの認めた唯一の男だ。そうなれるならば、わしはおぬしに背を預けよう』


 ハウルが初めてナウザーに紡いだ言葉は、落ち込んだ少年を一気に浮上させる魔法の言葉であった。




 竜が生涯背を預けるのはただ一人の騎士だけだ。その例が覆されるのは極稀なこと。その例外の一つにナウザーが加わったのは、祖父の死から数年後、彼が十五になる前であった。ある日を境に一気に成長した肉体は天を仰ぐ長身で、鍛え上げられた肉体は竜の背に立ち武器を振るうのに相応しいものだった。陸戦で使用されるものの何倍も太く長い槍を振るい、複数人を同時に射抜く巨大な弓を引いて敵を串刺しにする。地上の剣や槍は空を舞う竜には届かず、自国を荒らす敵に竜騎士らは容赦なく立ち向かった。愛国心もあるが、それにもまして彼らを突き動かすのは竜たちの住まう森を守るという使命にかけて。高潔な竜に憧れを抱くのは背に立つ竜騎士らとて同じだ。声が聴こえるからこそ思いも強い。そんな美しく雄々しい竜の森は彼らにとっての聖地。それを有する国はかけがえのない場所でもあった。


 ハウルは偉大で、優美な姿に強い憧れを持った。その竜と心を通わせる祖父をナウザーは敬愛し、何時かは同じ舞台に立てるのではないかという幻想すらい抱いていたのである。そのハウルを受け継いだのはナウザーだ。希望となった竜と生涯共に飛べるのだと疑いもしなかったある日、愛しい竜は自分のせいで羽をもがれるに至った。腕を食われる痛みも出血による死も恐れはない。だが飛べなくなった竜を前にナウザーは絶叫した。腕を失った痛みと出血により極限まで傷ついた体で竜に縋る。喉から血が噴き出しても叫び続けるナウザーに同僚たちは何もできない。彼の悲しみは己事のように感じられるからこそ、彼らは同じく苦しみ悲しんだ。

 最後の力を振り絞り森へ帰ったハウルの肉体は、動くことすらできない程に痛めつけらえていた。それを責めない、仕方のないことだと黙って感情を送って来る竜の袂で、ナウザーは飲まず食わずで幾日も泣き崩れていた。


 『ウェルレムより託された子供は脆くはなかった。ナウザーよ、おぬしはあの幼子より弱く脆い』


 前を向いて生きてきたナウザーにとって、これほどまでに落ち込む経験は祖父の死以来の出来事だ。それ以上ともいえる。希望を見出せた当時よりも更に悪い。この時のナウザーは我が身を食らってくれない竜を前に希望を失ってしまっていた。竜を操りあらゆる人々の羨望の的であった二十二の若い青年が、肌を硬くするほど涙を流し、嗚咽に喉を傷め髪も髭もぼさぼさになって悲嘆に暮れ続ける。そこで落とされた正直な竜の言葉。呆れと落胆と、そして気遣いを含んだ声に、ナウザーはようやく立ち直る切っ掛けを得ることとなる。


 自分は何だ? 誇り高き竜に背を許された竜騎士であり、尊敬するウェルレムの孫だ。その祖父はハウルに自分を託してくれたのだと初めて知らされた事実が胸を突く。ナウザーに背を預けてくれたハウルがくれた言葉は全て記憶していた。祖父のような男になったはずなのに、それを自らの手で穢し失望に変えてしまうのかと。起きてしまったことを嘆き悲しむよりもやるべきことが、できることがあるはずなのだと。ようやく前を見ることができたナウザーは、弱り切った体を持ち上げ愛する竜を求める。竜は伸ばされた腕に向かって頭を下げ、竜の鱗よりも軟で頼りない掌に鼻先を摺り寄せた。

 

 「なぁハウル。俺が死んだらこの肉体を食ってくれるか?」


 優しい竜はあらゆることに許しをくれるくせに、最たる望みにはけして頷いてはくれなかった。それならば土に還るしかない亡骸を、せめて再び空を舞う糧としてくれないかと願う。


 竜は言葉を返しはしなかったが首を回してナウザーを抱き込み、抱き込まれたナウザーは太い腕で傷だらけの黒い首に腕を回して顔を寄せた。


 『人の生は短い。ウェルレム同様わしが見守ってやろう』

 

 人に興味を抱かぬ竜は、ひとたび心を開いた人間には永久とわの情を抱く。大空を舞う自由よりも望むのは側にあり続けることだ。だが異種族ゆえに生きる時の長さが違って残されるのはいつも竜の方で。けれどそれも全て納得済みで竜は人を愛する。置き去りにされる悲しみを気取られぬまま、あまりに短命な愛するものを見送るのだ。


 『おぬしが紡ぐ血を、わしの命が続く限りこの地で見守ろう。空よりも、わしはそれを望む』

 『馬鹿言うな。俺は―――多分無理だ。」


 婚約している娘はいるが情を交わせているわけではない。竜騎士の妻になる事だけを望んだ娘がこの森で生きるのは無理だろうし、約束を違えたのはナウザーだ。ナウザーではなく竜騎士を求めた娘に期待してはいけないし、それよりも今はハウルの事だけが心を占めている。自分自身の将来について、まして妻を得て子供を作るなんてことまでは考える余裕はなかった。


 『いづれおぬしの心に入り込む雌も現れようて』


 それまではけして離さぬがなと、ハウルはナウザーを抱き込む首に力を込めた。


 

 


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