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竜守りの妻  作者: momo
本編
28/50




 たいてい朝は一度目にファミアが寝台を抜ける気配、二度目にパンの焼ける匂いで目を覚ます。だがこの日は違った。ナウザーが目を開けると、右腕には妻の温もりが実態と共に囲い込まれたままだったのだ。珍しいこともあると薄い金色の髪に指を埋め込む。落とされていた瞼が震え、薄い空色の瞳がわずかに覗いた。いつもと様子が違うと気付いて、剥きだしになった白い肩に掛布をきっちりかけてやる。


 「あ……ごめんなさい。寝過ごしてしまったみたい―――」


 横向きの体を仰向けによじるファミアは何処か辛そうで、ナウザーは昨夜の情事を反省する。


 「俺のせいだな、すまん。」

 「いいえ、大丈夫。すぐにご飯の用意をしますね。」


 竜の血のお蔭か、多少無理をしても普通にやれるファミアだが今朝はどうも様子がおかしかった。気遣うナウザーを置き去りに、だるそうにしながらも服を着たファミアは寝室を出て行く。いつも通りだったつもりがやり過ぎたかと、ナウザーは起き上がりながらしっくりしない頭を掻いた。


 食料が不足する村では病にかかる率も高く、犠牲になるのは幼い子供や年寄りだ。ファミアも例にもれず小さいころはよく怪我をしたり病気になったりもしたが、ある時を境にぴたりと風邪をひくことすらなくなっていた。だからだろうか。久し振りの不調が酷く辛い。横になっているといいのだが、起き上がると息が上がって眩暈に襲われた。熱はなく風邪とも症状が違う。妊娠したのかもと疑うが、月の物は順調でないのでよくわからないうえに、妊娠した義姉は吐き気が酷く食べ物も喉を通らない時期があったがそれとも違った。不調が原因で腹が空かないが無理をすれば食事もできるのだ。ただとにかく息苦しい。かと思えばぴたりと症状が治まる時間帯もあり、ファミアはその間を使って家事や食事の準備を怠らなかった。

 

 ファミアの不調を最も身近で心配したのはナウザーだ。側にいるのはナウザーだけなので当然なのだが、彼も妊娠を疑いながら同時に重病を案じていた。


 「竜は子供が腹にできても具合が悪くなったりしないもんなぁ。」

 『多少気が立ち獰猛にはなるが、人と違い体調不良になったりはせん』


 相談相手が他に居ないのでハウルにしてみるが、人の肉体は解らんと興味がなさそうだ。竜の血を引くナウザーと血を飲んだファミアが同じとは限らない。これがパウズなら母親とみなすファミアの不調に大騒ぎだろうが、同じ血を持っていてもハウルにとってファミアはあくまで『人』らしい。竜の血を受けたという特別なものはあるが、自分に近い存在というだけで過剰反応はしない。ナウザーはやはり病なのだろうかとハウルに頭を押し付ける。


 「人と竜は体の作りが違うからな……」

 『竜の血を引くおぬしらとファミアは異なろうよ。人は人だ、賢人にでも教えを乞うて来い』


 竜の血を受けているファミアはナウザーらとは違うので、病にはかかるかもしれない。いかなる理由があってもやはりファミアの作りは人なのだ。ハウルの言うようにこんな所で考え込んでいるより、医者に見せた方がいいに決まっていた。ただ気になるのは妊娠の可能性と同時に、ファミアの肉体を調べられ、何かが出た時の恐怖だ。重い病だった場合もだが、人と作りが違うとなったらどうなるのか。竜の血の秘密も知られる危険がある。ちょうどいい具合に弟がファミアの主治医となってくれているが、食事指導が主で、相手が兄嫁というのと女嫌いが手伝ってか直接の診察は遠慮してくれていた。迷うよりシアルに相談するか。するにしても体調不良のファミアを竜に乗せるのは憚られる。


 『人は脆い。だがあの雌が我が血を受けておるのは間違いないのだ。おぬしの憂いを無くしたくば行動するしか無かろう』


 さっさと行けと促され急ぎ戻ったナウザーだが、この日戻ってみればファミアはエヴァルフィから贈られた一級品の豆の種をせっせと小屋近くに埋めていた。それで一時ほっとしてその日はやり過ごしたのだが、やはり翌日も息切れが激しいファミアをナウザーは案じながら竜に乗せ都を目指す。呼吸困難を恐れ許された低空ぎりぎりを飛び基地に降りると、今にも倒れそうなファミアを抱えたナウザーに気付いたソウドが慌てて駆け寄ってきた。


 「どうした、具合が悪いのか?」

 「昨日から調子が悪かったんだが、今朝になったら息が切れて立ち上がれなくなった。」


 いつ見てもよく動いているファミアがナウザーの片腕に抱き上げられている。落としはしないが不安定だからとソウドがファミアを預かろうとするが、妻が心配でならないナウザーはファミアを離さない。受け答えはできるが明らかに冷静さを失っているナウザーにソウドは馬車を勧めた。先を急ぎたがるナウザーは単騎を希望するが、それを無視してソウドは二人を馬車に押し込む。


 「ファルムントのお屋敷じゃないんだろう、シアル殿の所か?」


 実家に帰るつもりがあるなら無理をしても広大な庭に竜を着地させただろう。そうしなかったという事はファミアを一刻も早く医者に見せたいに違いない。


 「ああ頼む。ファミアはあいつに色々相談していたからな。」

 「先触を出そう。持病でもあったのか?」

 「いや……血の道の事でだ。」


 女性特有の事なので一瞬迷ったが、五人の子持ちであるソウドなら今更変な風には取らないだろうと口を割る。


 「成程なぁ。血管でも詰まってんじゃねぇよな。だったらあんま揺らさねぇ方がいいな。」


 御者はソウド自らが務めてくれるようだ。呟きながら扉を閉めたソウドの言葉に、ナウザーはファミアを抱く手を強めた。地上に降りて息がしやすくなったのか、意識を失ってはいないがずっと目を瞑ったままだったファミアが瞼を持ち上げる。


 「わたし、何か重い病気なのかしら―――」

 「大丈夫だ、シアルが治してくれる。」


 自分で動くと息が上がってしまうのでナウザーに抱かれたまま馬車に揺られた。呼吸が落ち着いてくると周りを見る余裕が出てくる。心配そうに黒い髭だらけのしかめっ面がファミアを至近距離で見下ろしていて、もし悪い病気だったらどうしよう、この人を残しては逝けないとファミアはナウザーを心配した。


 シアルは国の医療研究施設に身を置いていた。一般の患者も見るが研究もする医者だ。知らせを聞いたシアルは仕事の手を止めるとすぐに受け入れ態勢を整え、外に出て馬車の到着を待つ。シアルにとってファミアはただの患者ではない。次兄の妻であり、心が許せる女性の一人にもなりかけていた。そんな女性が急な病でシアルを呼び寄せるではなくここまでやって来たというのである。緊急性に手が震えそうになり、身内の自分ではなく信頼できる他の医師に治療を頼んだ方がいいのかもとの考えが一瞬浮かぶが、シアルは慌てて首を振って考えを押し出す。ファミアの主治医は自分だと、医師としての冷静さを取り戻そうと深く深呼吸をした。


 馬車が止まると狭い乗り入れ口から体をくねらせナウザーが降りてくる。たった一つの腕に抱えるのは大事な愛しい妻だ。挨拶もなく向けられた視線はシアルの知らない切羽詰まったものだった。

 竜騎士となる使命を負ったナウザーはもともとの性格も手伝い楽観的かつ自信に満ち溢れていて、幼い頃からシアルにとっては憧れかつ羨みを向ける人でもあった。そうとは知らずナウザーの婚約者に淡い初恋を抱き、自分が竜騎士の資格がないばかりに辛い失恋を経験したこともある。次兄が羨ましくてたまらず、己の生まれを嘆いた時もあった。そんな弱い自分とは違いいつも迷いのなかった漆黒の目が、不安に支配されるだけではなく、唯一の希望を見つけたかに自分に向けられる様にシアルは動揺する。


 「昨日から急に具合が悪くなった。とにかく息切れがひどくて呼吸がしづらいみたいだ。良い時分もあるんだが、今日になってからは酷いままで……いったい何の病気だ?!」


 診察台に横たえたファミアは意識はちゃんとしているものの、肌の色は白を通り越して青い。披露宴と間をあけて一度診療したときには色白だが健康そのものだったが、今は明らかに病人だ。


 「何処か痛い所はある?」

 「んなもんねぇよ!」

 「兄さん……」


 妻の状態は全て把握しているとばかりに声を上げるナウザーに、シアルは患者の家族の大抵がそうなると解っていても思わず溜息を落とす。


 「声が大きいよ兄さん。ファミアさん、痛い所は?」


 細い手首に指を当て脈をとりながら呼びかけると、ファミアは「どこも痛くありません」と首を振った。


 額に触れ両手を添えて首筋を撫でようとすれば太い腕に掴まれる。


 「何やってんだ?」

 「診察だよ。あのね、兄さん。」


 シアルは椅子から立ち上がると邪魔ばかりする兄の前に立った。憧れの対象である兄だったが、唯一敵う長身でシアルは次兄を僅かに見下ろす。


 「僕は今、医者として患者と向き合っているんだ。診察の邪魔をしないでくれないか。」

 「触る必要があるのかよ。」

 「当然だよ。邪魔だから出てってもらう。」


 ナウザーに居られては診察に集中できない所か、折角意識があるのにファミアから情報を得る機会すら奪われてしまいかねない。


 「いや、でもな。俺がいた方がファミアも安心するよな?」

 「ソウド殿!」

 

 若くて美しい妻が心配なのはわかる。弟を頼って連れてきてもらえたのも嬉しいが、その医者である弟に嫉妬していちいち診察の邪魔をされてはかなわないのだ。シアルにとってもファミアは義姉であり大切な患者だ。出来る限り正確な診断を下し解決してやりたい。だがその前に最も邪魔で障害となる次兄を排除すべく、扉の外をうろついているソウドを呼んだ。


 「予想通りだな。ほら、行くぞナウザー。」

 「いや、だが俺は―――」

 「医者でもねぇてめぇに何が出来んだ。そんじゃシアル殿、頼みましたよ。」 


 ナウザーの行動を予想していたソウドは、抵抗するナウザーを羽交い絞めにして診察室から引き摺り出す。言い争う声が遠くなったのを確認してからシアルは再度腰を下ろすと、ファミアの首に両手を当て診察を再開した。


 「月の物は来てる?」

 「前回の診察の時に説明して……あれから来ていないから―――」

 「四十日くらいか。」


 ファミアに限らず過去の診察記録は書面を確認せずともすべて頭に記憶されていた。シアルはファミアの下瞼を引っ張り様子を見ながら問診を進める。


 「吐き気や眩暈は?」

 「昨日は眩暈が少し。でも吐き気はなくて食べることも出来ました。今日はただもう息をするのが辛くて。」

 「そうか……あのねファミアさん。僕は医者だけど身内だから、嫌なら正直に言ってくれて構わないんだけど。これからする診察は服を開いて直接肌に触れたりするんだ。だから僕以外の医者がいいって言うなら紹介するし、女性の医者も今は不在だけど明日には出勤するから。」


 シアルの言葉にファミアは少し迷いを見せる。相手が医者であっても男性で、まして義弟にあたる人物だ。肌を見せるのは正直恥ずかしい。これが医者で見知らぬ相手なら一時の恥じらいで済むし、一日待てば同性の医者に診てもらうのも可能だ。きっとナウザーがここにいたら嫌がるに違いない。けれど、やはり自分の主治医はシアルだし、見知らぬ相手よりも信用した相手に診てもらうのが一番だと、結局ファミアはシアルを選んだ。


 「シアル様さえ良ければ、このまま診察をお願いします。」

 「うん。それじゃあちょっと失礼するよ。」


 シアルは慣れた手つきでファミアの衣服をくつろがせると、聴診器を忍び込ませ胸の音を確認した。背中の音を聞かれるときは横向きになり肌を曝したが、終わるときっちり釦を留めてくれる。次にブラウスをスカートから引き抜いて腹部に触れながら状態を確認し、聴診器もあてられる。シアルは真剣な表情でペンをとると一つ一つを記録していた。ファミアは大人しくシアルの診察を受け質問には素直に答えたが、診察が進むにつれシアルの表情に陰りの色が宿ったのをファミアは見逃さず、最後には考え込むように拳を顎に当てたシアルにファミアは良くない答えを覚悟した。う~んと唸ってシアルが口を開く。


 「これは……暫く入院してもらった方がいいな。」


 




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