後悔先に立たず
第三者であるソウドから見て、ナウザーに対するエヴァルフィの態度はあきらかに異常だ。甘やかされ堕落した生活をしていた幼少期から突然、規則と規律、そして肉体的に物を言わせる竜騎士団に放り込まれ、文字通り力でもって正妃腹の王子の誇りを取り上げられ矯正された。放り込まれた当初はナウザーに処罰をと王に掛け合っていたが、王は心身ともにぼろぼろになっているエヴァルフィをあえて無視する。だが愛しい息子を取り上げられ滅茶苦茶にされる王妃の溺愛は更に加速し止まる所を知らない。王妃の溺愛は毒にしかならないと、やがてナウザーはエヴァルフィを騎士団舎に閉じ込める。エヴァルフィは城へ帰ることも許さずナウザーと共に寝泊まりするようになった。竜騎士団でエヴァルフィの相手はナウザー以外には無理だ。ソウドが役目を賜っていたなら間違いなく処刑の対象となっただろう。
子供のくせにでっぷりと不健康に太りきっていた肉体が訓練の強要でやせ細り、やがて筋肉がついてくると、エヴァルフィの心境も少しづつ変化するようになっていた。体を鍛え訓練に勤しむエヴァルフィは常にナウザーの背を追うようになる。初めは恨みと憎しみしかなかった復讐心に燃える灰色の目が、尊敬の色に染まるまでにそれ程の時間は必要なかったようにソウドは記憶している。そしてエヴァルフィ自身の努力もあり順調に体は鍛えられ、それに伴い精神も堕落から脱却していった。
エヴァルフィが正式に竜騎士団長としての才を発揮し始めたちょうどその頃、隣国との戦いが佳境に入る。エヴァルフィ自身が戦場に立ち竜騎士らを動かしたのだが、反王太子派が仕組んだ裏切りで王太子の命が危うくなり、ナウザーは囮として敵と王太子を亡き者にしようとする味方の軍をたった一人で引き付ける役目を担った。お蔭で王太子や他の竜たちは無傷で済んだが、敵地に落ちたナウザーは腕を失いハウルは深い傷を負ってしまう。その事実に強い衝撃を受けたエヴァルフィは責任を感じ、ナウザーに土下座までしようとしたが、ナウザーは任務だからとそれを許さなかった。自身による責め苦に耐えかねたエヴァルフィは最終的に竜騎士団長を退いてしまったのだ。
良くも悪くもナウザーは過去に囚われない。竜騎士を続けられなくはなったが竜と過ごす竜守りの仕事を得て、孤独ではあるが落ち着いた十年を過ごした。だが一方でエヴァルフィは自責の念に苛まれ続けていたのだ。常に前に立ち背を追っていたナウザーに去られた影響も大きかったのかもしれない。やがてソウドも別の任務に就きエヴァルフィとの接点はなくなっていたのだが、基地に戻ってから王太子として立派に成長したエヴァルフィと再会し、王太子でありながらソウドという個人を訪ねてきたエヴァルフィに、彼が未だにナウザーへの依存を続けているのだと知る。ナウザーの結婚の話を聞き祝いと謝罪に行きたいというエヴァルフィに、明日は行っても不在だからと告げ諦めさせようとすれば、逆にその方が都合がいいと言い出した。ナウザーが腕を失いハウルが飛べなくなったのは事実だが、あれは任務中の出来事だと竜騎士たちは理解しているし、裏切った者や首謀者である側妃腹の王子も処罰された。だがエヴァルフィは納得していない。何時まで経っても解放されないエヴァルフィを哀れに感じたのもあるが、少しばかり毛色の変わったファミアと話でもすれば、何か解決策が見出せるのではないかと思いソウドは命令に従ったが―――ファミアの言葉により心は軽くなっても、さらにナウザー依存が増したように感じるのは気のせいだろうか。
「ですから領地はいらないと申し上げております。」
「うむ。ではもともと譲渡するつもりであった領地と合わせて其方の名義に書き変えさせよう。」
「だからっ、かつての部下って程度の男に祝いの品を贈る王太子が何処にいるんですか?!」
最後に会ったのは十年前。成長途中にあったエヴァルフィも立派な大人になり、王太子としての役目もしっかりと果たしているようでナウザーとしては感慨深いものを感じなければいけないのだろうが。別の意味でしつこくなった相手を前に身分も忘れ声を荒げ、王太子への不敬に見守る侍従らが睨みを利かせた。
「ナウザー、其方は私の恩人というだけではない。堕落しきった少年期を過ごした私を見事更生させた功績は我が国の将来を光に導いたと讃えられるものだ。それなのに私は判断を誤り、罠にかかって其方を危険に曝し竜騎士という誉ある未来を奪った。其方の退団は多大な損失であり全ては私の責任だ。如何様に償えばよいのかそれだけを考えこの十年過ごしてきた。其方に教えられたすべてを受け継ぐべく生きて王太子としての任についているが、弱音を吐かせてもらえるのならば生きるのが辛く、いっそ一思いにと考えてしまう十年でもあった。」
だったらもっと早く踏み込めよと、ナウザーは額に手を当て沈痛な様のエヴァルフィに引き攣った笑みを浮かべる。確かに弱音を吐くなとエヴァルフィの体に教え込んだのはナウザーだが、言いたいことがあるならはっきり言えと怒鳴りつけた記憶もあるのだ。ナウザーを睨む侍従も睨むくらいなら王太子を止めろと睨み返せば慌てて視線を外される始末。ナウザーはエヴァルフィに再会して何度目になるか分からない溜息を吐いた。
「そのお気持ちだけで十分に御座います。殿下の尊いお心遣いは国民にお向けください。」
「勿論だ。私が国民を思うのもすべては其方の教え通り。そうだ。領地だけではなく竜守り専用のあの小屋も総大理石の城に建て替えてはどうだろう?」
「話は正しく理解してくださいませんか?」
「やはり腕を失くして私を恨んでいるのだな―――」
いい年した男が灰色の瞳を潤ませ、今にも泣き出しそうになる様にナウザーのこめかみがぴくりと震えた。
「恨んでなんかいませんよ。全く、ほんのちょっとも微塵にも、腕を失くしたのが殿下のせいだなんてこれっぽっちも思ってやしませんからっ。それ所か竜守りとなり四六時中竜といられて感謝しているくらいです!」
「私は其方に去られて悲しくてたまらない。」
「誤解を招くような冗談は今後一切やめていただけませんかね殿下。」
「私は其方を前に冗談を言える立場にないが。」
「立場にあるんですよ、王太子様でしょうがっ!」
「其方のお蔭で得られた地位だ。」
「貴方は生まれながらの王太子様です!」
「その言葉を胸に刻み更に精進しよう。再び其方とこうして語り合える日がこようとは、やはり其方の教えを守り生きていてよかったと実感する。やはり今日は最後の機会と勇気を振り絞り、森を訪ねてよかった―――」
感極まったのか、ついにほろほろと涙を流し始めたエヴァルフィを前にナウザーは頭を抱えた。なんでお前如きが王太子の信頼を得ているのだという周囲の視線も痛い。臣下である身を弁えずエヴァルフィを扱き尽くしたナウザーの所業はかなりの噂になっていたのだ。エヴァルフィがナウザーを特別視すればするほど、権力を望む輩はナウザーを邪魔にする。まさか十年たってこんなことになるとは夢にも思っていなかっただけに、正直かなり面倒臭い。そもそも事の発端である腕を失ってからエヴァルフィと交わしたやり取りなどごく僅かで、色々と面倒になりさっさと森に引き籠ったのだ。エヴァルフィの再教育におおいに係わった身としては、その後どうなるかをもっと真剣に考えるべきであったのだろうが、今となっては後の祭りだ。ああもう何でもいいからさっさと森に帰ってファミアを抱きたいと、白い絹のハンカチで丁寧に涙を拭うエヴァルフィに大人しく従うことにした。
「了解しました。殿下のご厚意、有難く受け取らせていただきます。」
「真か?! 何処が良い? 何なら瑠璃の採れる領地も持って行くか?」
瑠璃は女性に人気だと金剛石が採れる領地と共にすすめられる。
「領地はいりません。こういうものは妻の望む品が何よりと思いますので、一度帰って吟味し改めて後日、ご報告させていただきます。」
このまましらばっくれてしまおう。そうすればエヴァルフィも満足だし、他の貴族らからのやっかみも避けらえると妙案を思い付いたナウザーであったのだが。
「そうか、その通りだな。其方の奥方は女神のように美しい女性であった。彼女の髪や瞳に金が散らばる瑠璃はとても似合うだろう。瑠璃だけではなく他に見本も持って行くか。どうしたナウザー、流石の私も時間がない。其方の教え通り政務は常に前倒しでやってはいるが、女性が装飾品を選ぶのには多大なる時間が必要だ。急ぐぞ。」
「誰が一緒に行くと言いました?」
「こういう場合しらばっくれられるのが常識と其方に教えられた。私は祝いがしたい、何か贈りたいのだ。安心しろ、祝いの品は全て私の私財から出す。誰にも文句は言わせない。」
さあ行くぞと、どこに隠していたのか宝石見本を山の様に抱え歩き出したエヴァルフィを前に、ナウザーはあることないこと教えまくった過去を盛大に後悔していた。
そうして陽が沈み、辺りはすっかり闇に染まった夜空を二体の竜が飛行する。ナウザーと、王太子を乗せたソウドの竜だ。護衛は必要ないとしたが気付かれぬようついてきてはいるだろう。王太子という身分あるエヴァルフィの訪れをあきらかに歓迎していなかったファミアの様子からして、ナウザー自らが連れてきたとなれば激怒されるに違いない。その結果を予想するとたまらなく落ち込まされる。だがエヴァルフィを矯正し、こんな風にしてしまったのはナウザーなのだ。王太子としてはきちんと仕事をしているようで良かったのだろうが……後悔先に立たずである。
夜も更け寝静まった森に二体の竜が降りたつ。あと数刻もすれば東の空が白み始めるだろうが、霜が降りる前の寒さが肌を刺した。
重い溜息を落としながらナウザーは扉を叩く。眠っているだろうと思っていたがすぐに明かりがつき閂が外されると、優しい笑みを浮かべたファミアがナウザーを迎えてくれた。
「お帰りなさい。きちんとお話しできま……し、た?」
薄い空色の瞳がナウザーの背後に向かいゆっくりと大きく見開かれる。
「夜分に再び申し訳ない。其方に祝いの品を選んでもらおうと馳せ参じたのだ。」
大量の宝石見本を抱えたエヴァルフィが目を細め口に弧を描くと、唖然としたファミアが視線を固定したままゆっくりと扉を閉めた。扉の向こうでは『幻でも見ているのかしら?』と独り言が零れている。
「ファミア、すまない。取りあえずここを開けてくれないか?」
ナウザーの呼びかけに、かたんと閂がかけられる音がした。再び締め出されたのだ。それも頼んでもいないのにわざわざ訪ねてきた王太子を夜の闇に置き去りにしたままで。
「仕方がない。奥方の心が解けるのを待とう。」
帰るという選択肢はないのか。エヴァルフィは怒る所か楽しそうにしているし、後ろでは闇に紛れソウドが声を押し殺して大笑いしている。全くどうしてこんな事にと、突然訪れた災難にナウザーは白い息を吐いてかつての行いを後悔し続けていた。




